こころの教育Q&A
子どもの心理を知ろう

家庭教育専門カウンセラー    
深田 昭一 さん
心理分析室 深田昭一事務所
TEL 06(6942)0605

大阪青年会議所会員(文化都市推進委員)
元暴走族から更生、教師を経てカウンセラーに転身。現在、カウンセリング、並びに各地での講演活動を実践。テレビ、ラジオなどにも出演。

関西カウンセラーズ研究会 http://www.geocities.jp/kansai_kokoro/


親と子の真の「絆」〜生まれた時から親孝行〜/H24.3月15日号
自分で立てた目標を自分自身と約束/H24.2月15日号

おきて
/H23.12月15日号
人は変化し成長できる/H23.11月15日号
自己中心的/H23.10月15日号
緊張と緩和/H23.9月15日号
被災者の「心のケア」は慎重に(2)
/H23.7月15日号
被災者の「心のケア」は慎重に
/H23.6月15日号
無条件の愛、無償の愛/H23.4月15日号
自律神経失調症について/H23.3月15日号
小学校受験の留意点(前号の続き)/H23.2月15日号
小学校受験/H23.1月1・15日合併号 

「三陽生活」で人生を幸せに/H22.12月15日号
「頭の良い・悪い」は何で決まる?(2)/H22.11月15日号
「頭の良い・悪い」は何で決まる?/H22.10月15日号
「人は日々進化」変化に適応した者だけが 生き残れる/H22.9月15日号
「共感」することの重要性
/H22.7月15日号
心の回復力 2/H22.6月15日号
心の回復力 1/H22.5月15日号
私の人間観 2/H22.4月15日号
私の人間観 1/H22.3月15日号
グウからパーの生き方へ/H22.2月15日号

悪夢について その2
/H21.12月15日号
悪夢について その1/H21.11月15日号
「矛盾」について/H21.10月15日号
「子どもの宿題と勉強」その2/H21.9月15日号
「子どもの宿題と勉強」その1/H21.7月15日号
人間主義的リーダーシップ/H21.6月15日号
イチローに学べ/H21.5月15日号
ピンチはピンチ/H21.4月15日号
大きな失敗小さな失敗/H21.3日15日号
おねしょの原因と対処法
/H21.2日15日号
"CHANGE"/H21.1.1日15日合併号

「べき思考」と「越したことはない思考」/H20.12.15号
エディプス感情/H20.11.15号
血圧は大丈夫?
/H20.10.15号
一日一つの愛を/H20.9.15号
「カウンセリングアプロー/H20.7.15号
人生相談と
 カウンセリングの違い
 /H20.6.15号
「大人」の定義
 /H20.5.15号
ありがとうの効果 /H20.4.15号
世万引きの原因はさまざま
しっかりと話し合って
 /H20.3.15号
世界一のカウンセラーは
あなたの魂の中に
 /H20.2.15号
 徹底的に自分を褒めること /H19.12.15号
「ええ加減な子育て」を /H19.11.15号
カウンセラーの役割 /H19.10.15号
子どもが望む愛情をタイムリーに
/H19.9.15号
フィフティーフィフティールール
 /H19.8.1号
自己概念 /H19.7.15号
「自己不一致」を「自己一致」に
変容させるカウンセリング技法
 /H19.6.15号
自己概念 /H19.5.15号
リストカットについて /H19.4.15号
うつ病について
 /H19.3.15号
年間目標の立て方
 /H19.2.15号

「親近効果」について
 /H18.12.15号
「いじめ」について /H18.11.15号
こんな相談は誰に? /H18.10.15号
こんな相談は誰に?
 /H18.9.15号
沈黙を制する者、カウンセリングを制す

             /H18.8.1日15日合併号
カウンセリングを受ける前に
/H18.7.15号
どっちもうれしい理論 /H18.6.15号
長所は長所、短所も長所
/H18.5.15号
したい事
/H18.4.15号
青い鳥症候群
/H18.3.15号
「親バカのすすめ」
/H18.2.15号

苦手克服に行動療法
/H17.12.15号
夫婦喧嘩の子どもへの影響は /H17.11.15号
自殺について /H17.10.15号
失敗は成功のもと?
/H17.9.15号
質問技法 /H17.8.1日15日合併号
ジェラシーの概念
/H17.7.15号
人生、自分に起こる事はすべてベスト
/H17.6.15号
インナードクターについて
/H17.5.15号
病は気から /H17.4.15号
心のケアはなぜ必要? /H17.3.15号

達成させるための目標設定
/H14.2.1号
「ひきこもりA君への対応」その2
漢方薬的対応の効き目
/H14.1.1号  

引きこもりA君への対応
/H13.12.1号
「自己否定感」について /H13.11.1号
お母さんの顔 /H13.10.1号
受験を前にして /H13.9.1号
学校の教師の評価について /H13.8.1号
人の性格について /H13.7.1号
人の性格は変わるのか?
/H13.6.1号
好きこそものの上手なれ
/H13.5.1号
兄弟喧嘩 H13.4.1号
ほめる・叱るのバランス /H13.3.1号
子どもへの接し方
/H13.2.1号
ピグマリオン効果 /H13.1.1号

「ありがとうございます」
/H12.12.1号
個性化教育について /H12.11.1号
思春期ど真ん中
/H12.10.1号
退行現象について /H12.9.1号
  「過期待」の親 /H12.8.1号
子は親を見て育つ
/H12.7.1号
カウンセラーになるには /H12.6.1号
父親の尊厳とは /H12.5.1号
いじめについて /H12.4.1号
教育方針について /H12.3.1号
子どもの不登校
/H12.2.1号
カウンセリングを親が受けた場合 /H12.1.1号

子どもの言葉づかい
/H11.12.1号 

親と子の真の「絆」〜生まれた時から親孝行〜

子どもが生まれた時には可愛くて仕方なかったのですが、最近では「産んでくれって頼んだ覚えはない」と、偉そうな口をたたきます。親と子との絆とは、こんなものなのでしょうか?寂しい思いでいっぱいです。
 過去を振り返れば私も同じようなセリフを吐いた経験があります。今回は私なりの「ロマン」を書かせていただきます。生まれてすぐの赤ちゃんのほほ笑みは、光輝いています。目もキラキラです。そして、お父さん、お母さんの指を赤ちゃんは精一杯の力を込めて握りしめます。まだ、生まれてすぐの赤ちゃんは話すことができません。だから親の指を握るのです。実は指を握る行動には意味があると私は信じています。それは「約束」という意味です。
 「産んでくれてありがとう。しばらくはお父さん、お母さんにお世話になるけど、大きくなったら必ず親孝行するから待っててね。約束するよ」と言っているのではないかと…。つまり赤ちゃんの手を握る行動は、お父さん、お母さんとの「幸せ指切りゲンマン」だと私は思うのです。
 子どもさんの一生涯の中で反抗する時もあるでしょう。親の言うことを否定することもあるでしょう。しかし、生まれてすぐに約束をしたのですから、必ず、大人になった時に親孝行してくれると確信しております。
 さあ、これを読まれた後、すぐに子どもさんが生まれた時の写真を見てください。また、子どもさんを抱いているお父さん、お母さんの満面の笑みを見てください。子どもさんは生まれた時にお父さん、お母さんの顔を満面の笑みにするという親孝行をしているのです。これが親と子どもとの真の「絆」なのです。寂しい思いなんてしなくていいのです。

自分で立てた目標を自分自身と約束

毎年、わが家では子どもに「今年一年の目標」を立てさせるのですが、その目標が達成されたことはありません。意志が弱いからでしょうか?
 子どもさんが目標を語る際に、その目標を口に出して言っているのか、それとも何かの用紙に書かせておられるのかどちらでしょう?
 私が代表を務めるカウンセリング研究会では、毎年、年頭の講義で、会員の皆さんに今年一年の目標を用紙に記入していただいております。その用紙の表題は「約束ワークショップ」です。自分自身が立てた目標を自分自身と約束してもらうのです。
 手法はこうです。まず1番目は、「今年は私にとって必ず○○○点となります!」。この○○○にはすべての方に100点と記入してもらいます。70点や80点と控え目な点数ではなく、最高得点の100点とします。2番目は、「私は今年、必ず○○をやり遂げます!」。3番目は、「私は今年、必ず○○○な態度で人に接します!」です。
 ここでの注意点は、「こうなればいいと思います」。「こうしたいと思います」。このような書き方は禁止です。右記の言葉、これは目標ではなく「願望」なのです。願望では達成できる可能性は低くなります。
 ではどのような書き方をしてもらうかと申しますと、「私は必ず、今年中に3キロダイエットを成功させます!」「私は必ず、今年中に本を50冊読みます!」と言い切ってもらうのです。目標達成の要諦は期限付き、かつ、言い切り型です。
 そして最後の項目は、「今年の私の未来を一語で表わすと」。用紙の大きなマス目に一字を書いてもらって、今年の未来を決定します。思考は実現するのです。ぜひともお試しください。素晴らしい未来図を描いてください。

おきて

小学生の子どもなのですが、以前は学校であったことを話してくれていました。ここ最近は、ほとんど口を開きません。どのように対応すれば良いのでしょうか?
 われわれ、大人であっても、充実した一日もあれば、そうでない日もあります。私事で恐縮ですが、わが家では「夫婦のおきて」を設けてます。
 まず、双方が帰宅した場合には「あぁ今日は疲れたぁ…」は絶対に禁句です。では、どのような言葉を発するのか?笑顔で「今日、一日、よう頑張ったでぇ」です。そうすると、食卓の場は「頑張った話」になります。そこで、その頑張った話を聴いて、お互いを褒めたたえます。
 次の「夫婦のおきて」は、これも帰宅時、または食事の時間帯に「今日は何か良いことあった?」と尋ねます。良いことがあれば、その話は食卓のメーンディッシュとなります。もし、良いことがないとの返答が返って来たときには、「今日は平和な一日で良かったね」と答えます。
 また、つらいことがあった日には徹底的に妻の話に耳を傾け、「それはつらかったなぁ…」「それは腹立つよなぁ…」と、受容し、共感します。それもカウンセリング料金は無料です。
 子どもの笑顔は、何か良いことがあったはずです。子どもの曇った顔は、何か嫌なことがあったのでしょう。
 年末、年始は子どもと話す時間も増えることでしょう。そのようなときにこそ、手前みそですが、私たち夫婦のように「子どもとのおきて」をひそかに心に秘め、うまく使い分けをしてみてください。必ず、良い越年、新年を迎えることができるはずです。
 本年も私の拙文を読んでいただきまして、心より感謝申し上げます。皆様のご家族全員が無事故、ご健康な状態での越年、迎春を祈念致しております。

人は変化し成長できる

漠然とした質問で申し訳ないのですが、成長とともに、性格は変わるのでしょうか?最近、子どもの言動が荒れ出してきています。恐らく私の過去の子育てが悪かったのだと思います。今後、親のかかわり方で、子どもの性格を変えることはできるのでしょうか?
 結論から申し上げますと、お母さんの力で子どもは変わります。私の嫌いな言葉(昔はお気に入り)は、「過去と他人は変えられない」という言葉です。私が代表を務める関西カウンセラーズ研究会で年度の終わりに「ビフォア、アフター」の発表会をします。カウンセリングを学んで自分自身、何がどう変わったのかという発表です。
 例を挙げますと、「『マイナス思考とは、危機管理能力があるということだ』と聞いて、楽になった」「『自分の持つ感情には善悪はない』と聞いてから、あるがままの自分で良いと思えた」「過去に起こった出来事自体を変えることはできないけれど、過去にとらわれて生きてきた自分が、今は過去を『とらえて』生きていくようになれた」など。会員の皆さん、すごい変化です。すごい成長です。
 前述の会員さんの声をご紹介したのは、決して私の自画自賛ではありません。言葉との出合い、仲間との出会い、自己洞察力の向上のたまものです。また、会員さんの喜びの言葉を聞いて、私も変化し成長の機会を頂いております。
 「過去へのとらわれから、過去をとらえて生きる」。それがきっかけとなり、自分自身が変わった。これは厳然たる事実です。
 最後に、私の好きな言葉を紹介します。「人間、いつからでも、どこからでも変わることができる」「人は変化したいと思った時点で既に変化し始めている」。必ず子どもさんも変わります。過去を責めないで、今を生きてください。

自己中心的

子どもはもう高校も卒業し、今は大学生なのですが、自己中心的な言動が絶えません。このままでは、就職してもすぐに辞めさせられるのではないかと心配しています。
 自他共に認める自己中心的な私にとって、今回のご質問は、大変うれしい限りです。
 現在、世間では自己中心的=わがまま、自分のことしか考えていない人と悪評高き性格として流布しています。また、それで周囲から批判を受けたり、翻弄されたりしているでしょう。
 それでは視点を変えて考えてみましょう。われわれ人間は自己を中心として生きています。心理学では「自己」とは崇高で尊いものだと定義しています。「自己実現」「自己愛」「自己肯定」と…つまり自己とは生きていく上で中核を成す部分なのです。世に言う「アイデンティティー」と呼ばれるものですね。 その中で「アイデンティティークライシス(自己の危機状態)」という言葉があります。つまり自己を否定するあまり、自分の存在意義すら持てなくなり、自分を見失った状態です。他者のことばかり見つめて、自分のことが見えなくなって、心が迷子になってしまっているのです。他者中心で生きていくと、必ず迷子になります。心が病んでしまいます。
 私は、世間で言われている、「わがまま、人のことは全く考えないという自己中心」については否定します。
 しかし、前述の通り、自分自身を見失わないため、迷子にならないための自己中心的な生き方には大賛成です。自己を中核に生きてこそ、様々な判断、決断ができるのです。
 どうか、自己中心的な子どもさんに、その生き方を全否定するのではなく、概念的に本来の自己中心はこうであるということを話してみてあげてください。

緊張と緩和

この秋に私学の小学校を受験します。子どもを合格をさせるための特効薬など無いのは分かっているのですが、家庭内においてするべきことはあるのでしょうか?できれば心理学的な観点からご指示いただければ幸いです。
 私は塾の講師ではありませんので、どこの学校が、どのような合格基準を設けているかなどの情報や、知識はありません。故にご希望の「心理学的観点」からご説明させていただきます。
 数年前よりアメリカ直輸入の育て方、「褒めて育てる」教育法があります。私はこの意見に半分賛成で半分反対です。違った言い方をすると、褒める、叱るのどちらかに偏り過ぎるといけないということです。
 「緊張と緩和の心理」という言葉があります。これは甲子園出場を果たした、ある高校の野球部監督の手法です。
 練習中は「鬼監督」で、ビシバシと指導をします。これが「緊張」です。そして試合間近になると、その鬼監督が一転し、「菩薩の監督」に変わります。「お前たちなら必ず優勝できる」と。
 さて、試合当日のミーティングで、菩薩の監督から、次は「仏の監督」に変わります。選手たちに掛けた言葉は、こうです。「お前たちは今まで血のにじむような練習を重ねてきた。俺も常に厳しい指導をしてきた。だから今日の試合は思う存分楽しんで来い」と笑顔で語ったそうです。これが「緩和」です。結果、その高校は見事に優勝を果たしました。
 よって、受験までまだ日数がある場合には、「鬼親」。受験間近になると、「菩薩親」。受験当日には「仏親」になっていただき、「今日の試験、楽しんでおいで。お母さんも、お父さんも楽しませてもらうから」と。
 親子一緒に満面の笑みで余裕を持って受験に臨んでください。

被災者の「心のケア」は慎重に(2)

「災害後の心のケア」はどのように行われているのでしょうか?(前号の続き)
 前号では「心のケア」は専門家に委ねるべきであると提言しました。さて、それでは専門家はどのようなケアで、後のPTSD(心的外傷後ストレス障害)を未然に防ぐのかということなのですが、その前に、ある精神科のドクター指示文をご紹介します。
 「震災で親、兄弟、友人を亡くした子どもに対して、その話題には一切触れず、とにかく楽しい遊びをさせて気持ちを紛らわせてやってください」。さてこの指示文を読まれてどうお感じになられたでしょうか?「その通り」と思われた方、それは全く間違った対応です。これはその場限りの対応に過ぎないばかりか、前述の、PTSDになれと言わんばかりの対応です。
 まず行わなければならないことは「暴露療法」と呼ばれるものです。前号でも触れました通り、子どもの恐怖心、悲しみ、不安をすべて吐き出させることから始めないといけないのです。ケアをする側も、される側も大変つらい作業ですが早い段階でこのような措置を取らないと、特に子どもはすべてのマイナス感情を無意識という心の領域に抑圧します。この抑圧された感情が後にストレス障害として出てくるのがまさにPTSDなのです。歯が痛いのに歯医者にも行かせず、痛み止めを飲ませる。その間、歯はますますむしばまれていくのと同じ道理です。また、「地震ゴッコ」「津波ゴッコ」と称して、震災を受けた状況を遊びという形で再現させたり(遊戯療法)、絵を描かせたり(絵画療法)するのです。
 このような措置、療法には専門的知識が必要となります。故に専門家以外の人が、安易に対応してはいけないということなのです。

被災者の「心のケア」は慎重に

今回の東日本大震災で「心のケア」の重要性が連日、報道されていますが、実際に心のケアとはどのように行われるのでしょうか?
 辞書を引けば「ケアとは、看護、注意、配慮すること」と書かれています。現在、ボランティアの方々、またはある自治会では「ココロ癒やし隊」との名称を付け、心のケアに奔走されています。頭の下がる思いです。
 しかし、ここで心の専門家としてあえて苦言を呈します。その苦言とは専門家以外の方々がケアすることによって、崩壊寸前の心を全壊させてしまうというリスクが生じるからです。前述の通り、適切なケアを実施するには、看護を含めた、細心の注意と配慮が必要なのです。
 例えば被災した子どもに、「みんな頑張っているんだから負けてはいけない」、「まだ、生きられていることに感謝しないと」等の言葉を掛けたとします。これを聞いた子どもは、「悲しんだり、泣いたりしてはいけないんだ」、「ボク(ワタシ)は、弱い子なんだ」と感じます。
 となれば、今の不安感、恐怖感などの感情を抑圧し、元気に振る舞ってしまうのです。
 この抑圧が後にPTSD(心的外傷後ストレス障害)として重いストレス障害に悩まされます。また、それが引き金になって、うつ病を発症したケースも多々あります。
 主なケアの方法は、「聴く」ことです。では、何を聴くのか?
 被災した悲しみ、怖さ、不安のすべての感情を聴くのです。安易な励ましや、安易な未来予測的な事を言ってはダメなのです。故にカウンセリング、心理療法を施術できる専門家が必要なのです。
 次号では災害心理学の観点から、具体的なケアの方法をお伝え致します。

無条件の愛、無償の愛

私は子どもに対して、無条件の愛をもって育ててきました。でも子どもは今、親に反抗ばかりします。何か悲しくて仕方ないです…。
 「愛情」という言葉、それは、確かに美しい言葉です。しかしながら、この愛情、誠に厄介なものなのです。
 年齢や環境によって差異はありますが、親に対して、「私は100%、無条件の愛を受けて育ちました。親に感謝することはあっても、恨むようなことは決してございません」と断言できる人は何人いらっしゃるでしょうか?少し乱暴な表現になりますが、子どもは親を恨んで成長していくものだと私は考えています。
 世の中には完璧な親などあり得ません。また何をもって完璧と言うのかも分かりません。親は子どもに対して「反面教師的存在」なのです。また、親は子どもに対して「無条件の愛、無償の愛」を持つと言われますが、本当にそうでしょうか?
 赤ん坊を抱き締めます。赤ん坊はあどけない笑顔を見せます。親はうれしいでしょう。子育ての本を読み、より良い育て方を学びます。なぜなら、「良い子」になってほしいからです。ややへそ曲がりな表現になりますが、良い子に育つという、条件を満たしてほしいが故に親は愛情を注ぐのです。無償ではありません。有償の愛なのです。
 では、「無条件の愛、無償の愛」はあり得るのか?あり得ます。それは親が子どもに注ぐものではなく、子どもが親から得るものが本当の無条件、無償の愛なのです。
 「私は子どもを無条件の愛をもって育てた」と声高に叫ぶのではく、「私は無条件に子どもに愛された」と、とらえ方を変えてみてはいかがでしょうか。
 今回、ちょっと厳しい文面になってごめんなさい。

自律神経失調症について

中学生の息子なのですが、私学受験の前頃から長い間微熱が続き、倦怠感を訴えています。病院に行くようにとすすめるのですが、
「大丈夫」の一点張りで行こうとしません。何か心の病ではないかと、心配しています。
 まず、病院で診察を受けてください。長期間、不明熱が続くということは、体に何がしかの、炎症が起こっている可能性があります。例えば、膠原病、気管支喘息、肺炎と、考えられる疾患は多岐にわたります。そして、医療機関ですべて正常との診断が出た場合に考えられるのは「自律神経失調症」です。
 自律神経失調症の顕著な症状は、微熱(37度〜37・5度)が続きます。特に夕方になると熱が上がるケースが多いようです。また、人によって症状は様々ですが、発汗、寝汗、頭痛、肩こり、風邪の諸症状等々です。つまり今の状態で、体に何ら異常がないということをまず明らかにし、消去法で最後に残るのが自律神経失調症です。 自律神経失調症ならば、自律神経調整剤や安定剤、また、軽い運動などで回復します。これはあくまで私の仮説ですが、私学受験や、新たな環境に適応できるかどうかという心的不安が自律神経を乱したと考えられます。
 ただ、冒頭に記述しました通り、長期間の不明熱はあらゆる身体疾患が考えられますので、医療機関の検査を受けてみてください。その結果、医師から自律神経失調症との診断を受けた後には、投薬治療、規則的な生活をすることが大切です。また、度々、熱を計らないようにしましょう。また熱が上がっているのではとの不安が、さらに自律神経を乱す可能性があります。
 それでもまだ微熱が続くようなら、カウンセリングを受けてみることをおすすめします。

小学校受験の留意点(前号の続き)

前号からの続き
 前号は子どもの自己肯定感を高める対応についてご説明しました。
 今号ではさらに小学校受験に有効なイメージトレーニングについてご説明します。
 読者の皆様は、「ダイエット」にチャレンジされた経験はおありでしょうか?そのダイエットは成功しましたか?それとも失敗に終わりましたか?ダイエットは摂取を抑え、消費を高めるのが基本です。しかし、それに加え、ダイエット効果をもたらすのが、実はイメージトレーニングなのです。方法はこうです。
 昔、着ていたお気に入りの洋服(今の体形では到底着られない)を、常に目の届く場所のハンガーに掛けておきます。そして、その後はそのお気に入りの洋服を着て歩いている姿をイメージするのです。
 そうすることによって、脳は「やせないといけない」との指令を出します。また、この指令が基礎代謝力を高めるのです。これが「イメージダイエット」と言われるものです。われわれ人間は強くイメージすることで、体の細胞がそのイメージに見合った働きをしてくれます。
 この例でご理解いただけたと思いますが、子どもの試験、特に面接では、どのような質問をされても、緊張せず、朗々と答えているイメージを子どもに持たせるのです。子どもは大人よりはるかにイメージ力を持っています。このイメージ力を使うのです。
 さらにイメージ力を強固にするためには、家庭での模擬面接が必要です。その際の留意事項はとにかく「ほめる」ことです。「あなたなら大丈夫」というメッセージを送り続けるのです。小学校、並びにほかの試験を受験される場合にもご活用ください。
 お子様が試験に合格されることを心よりお祈り申し上げます。

小学校受験

来年の秋に小学校受験(私学)をさせるのですが、合格させるにあたって、どのような対応が望ましいのかを教えてください
 受験校によって合格基準は異なるとは思いますが、最低限、家庭でできるサポートをご説明致します。
 恐らく小学校受験ということであれば、幼児教室に通っておられると思いますが、幼児教室から様々な宿題が出ます。例えば、その宿題が折り紙だったとしましょう。 さて、この折り紙、子どもにとってそれが「したいこと」であれば問題はありません。厄介なのは、「したくない」「しなければならい」と子どもが感じている場合です。なかなか取り組もうとしない子ども。その様子を見てお母さんはイライラします。しかし、「なぜしないの!」「なぜできないの!」などの叱咤は禁句です。
 なぜなら自己否定感が高まるからです。自己否定感が高まると、緊張感が増します。受験当日は緊張の固まりです。これでは、本来子どもの持っている能力が十分に発揮できません。
 それではどうすれば良いのか?お母さんも一緒に折り紙を折るのです。ただ折るだけではなく、子どもと競争し、子どもが先に折り紙を完成させたら、少しのご褒美を与えます。
 また、ここでの留意点は「勝ち過ぎず、負け過ぎず」です。お母さんが
早々と完成させると、子どもの有能感は低下します。また負け過ぎると、そこに油断が生じます。故に少しの差で、勝つか負けるかの結果に持っていくのです。
 子どもが勝った時には大げさに賞賛し、お母さんが勝った時には子どものように無邪気に喜ぶ。これでモチベーションを上げてみてください。
 次号はイメージトレーニングについて説明します。

「三陽生活」で人生を幸せに

来年、成人式を迎える娘から「どうすれば人生、幸せに生きていけるのか?」との質問。あまりにも抽象的すぎて答えようがありません。どう答えれば良いのでしょうか?
 「幸せ」の定義付けは個人的なものです。参考になるかどうか分かりませんが、私なりの「幸せ哲学」をご紹介させていただきます。
 名付けて「三陽生活」。まず、一の陽は「陽相」です。これは、いつもニコニコしながら笑顔で暮らすことです。何年か前に感謝を表す言葉とし
て、「すみません」ではなく「ありがとう」を使いましょうと書きました。「ありがとう」と言う時の顔は笑顔です。口角が上がります。しかし「すみません」では眉間にしわが寄ってしまうのです。これではせっかくの美貌も台無しです。笑うこと、ありがとうと言うこと、これが「陽相」です。
 次に二の陽は「陽言」です。明るく前向きに、そして楽観的な発言をすることです。口癖が人生をつくります。悲観的な言葉ばかり言っていたのでは、女神はほほ笑んでくれません。苦しくても前向き発言をすることが「陽言」です。
 最後の三は「陽動」。人に対して、光の如く照らしてあげる行動をすることです。人の前にろうそくの明かりを照らしてあげると、自分の前も明るくなります。自分の利益より、先に相手の利益を考えて行動する利他の精神、並びに行動をすることです。
 時にはつらいこと、悲しいこと、また腹の立つことがあるかと思いますが、そのような時にこそ、この「三陽」生活を送ると、どんどんと幸せになってきます。また、いつまでも健康でいられます。これで少しは具体的になったでしょうか?
笑ってありがとう。私は大丈夫。私はあなたのために動きます。幸せはすぐ目の前です。

「頭の良い・悪い」は何で決まる?(2)

高校生の息子なのですが、「おれは頭が悪いから、何をしてもダメだ」と言うのですが、頭が良い、悪いは何で決まるのでしょうか?
 今回は、もう一つ頭の良い人の定義を説明しましょう。
 キーワードは「知識」と「推論」です。この双方がうまく機能できる人を、頭が良いと定義付けしました。
 料理の例を用いて説明します。「ピーマン」という一つの食材があります。「ピーマン=知識」とお考えください。さて、ピーマン一つでどれだけの料理のレパートリーが考えられるでしょうか?恐らくレパートリーは少ないはずです。しかし、このピーマンに玉ねぎ、肉、人参と食材を増やすとレパートリーは広がるでしょう(知識の増大性)。 
 このレパートリーを引き出す力が「推論力」なのです。つまり推論力をつけるためには、まず知識ありきなのです。
 「知識」浴u整理」浴u知恵」という構図も、頭の良い定義となります。いくら知識があっても、それを項目ごとに整理しておかないと、必要な時に必要な情報(知恵)が出てきません。
 博識の大学教授の講演。知識はたくさんあるけれど、その知識がきちんと整理されていないから、話す内容はチンプンカンプン。パソコンに例えるとインプット量(知識)は多いのですが、フォルダー登録(整理)がなされていない。故にアウトプット(知恵)を引き出すのに時間を費やしてしまうということです。
 日常生活においても、服、下着、靴下などはすぐに分かる場所に整理保管されているからこそ、スムーズにお出掛けの準備ができるのと同じ理屈です。
 最後に、頭を良くする方法…。それはインプットする際に、この内容は誰に伝えれば役に立つか、誰に話すと喜ぶか、つまり常にアウトプットを意識しながらインプットすることが肝要です。

「頭の良い・悪い」は何で決まる?

高校生の息子なのですが、「おれは頭が悪いから、何をしてもダメだ」と言うのですが、頭が良い、悪いは何で決まるのでしょうか?
 あるセミナーで「どのような人を頭が良いと思いますか?」との質問をしました。「理数系に強い人」「学歴の高い人」「空気の読める人」「適応能力のある人」と、返ってきた意見は様々です。どの意見も間違いではありません。それでは私なりの「頭の良い定義」を説明します。
 まず、「学習的知能の高い人」と「社会的知能の高い人」とに二分してみましょう。前述の「理数系に強い人」「学歴の高い人」は学習的知能の高い領域です。逆に「空気の読める人」「適応能力のある人」は社会的知能の領域です。高学歴ではあるけれど、適応性、協調性に欠ける。適応性、協調性はあるが、学術的なことに話が及ぶと全く分からない…。そう考えてみますと、学習的、社会的、その双方を兼ね備えた人を頭が良い人と定義付けすれば良いのではないでしょうか?
 しかし、その二つを併せ持つ人は少数です。博士と言われるような人であっても、他人とのコミュニケーションは全くと言ってよい程、取ることができない。コミュニケーション能力は群を抜いて長けているけれど、語彙(ボキャブラリー)が少ない。そのような人物をよく見かけます。故に子どもさんの「おれは頭が悪いから…」の発言は何を指して言っているのかが問題となってきます。
 そこでカウンセリングの技法の活用です。「なぜ、あんたは頭が悪いと思うの?」と質問してみてください。客観的発言から、質問技法によって具体的発言を引き出してみてください。
 次号では今回と違った観点から頭の良し悪しを説明します。

「人は日々進化」変化に適応した者だけが生き残れる

小学生、中学生、高校生の3人の子どもがいるのですが、急に言葉遣いが変わったり(悪くなる)、今までなかった行動が最近、多く見られ、心配しています。ですが、これも成長と考えれば良いのでしょうか?
 「この世で生き残ることができるのは、強い者とも限らない、頭のいい者とも限らない、変化に適応した者だけが生き残れる」
 この言葉はダーウィンが『進化論』の中で残した言葉です。ご質問の中で「成長」という言葉を使われていますが、私の場合は、「進化」と呼んでいます。
 子どもたちは、学年が変わり、クラスや環境、友人も変わっていきます。前の学年では、前のクラスでは、「こうであった自分」が、前述のような幾多の変化によって、それに合わせていかないと生き残れないのです。
 キリンはなぜ首が長くなったのか?それは高い木の葉を好んだ故に長くなったのです。なぜ、象の鼻は長いのか?象は巨体です。餌や水を飲むためにはかがまないといけません。それは象にとってかなりの労力でしょう。故に鼻を伸ばし、かがまずして餌を取るために鼻が伸びたのです。
 ダーウィンの言葉「変化に適応した者だけが生き残れる」。親から見れば、急激とも言える子どもの変化に驚かれるでしょうが、子どもたちは、今居る場所に懸命に適応しているのです。進化の過程をたどっているのです。それを旧態依然の自分でいると、不適応を起こしてしまいま
す。またこれがイジメの温床になりかねません。「人、日々進化」なのです。
 もしかすれば人の話を常に聴いている私の耳も、人より大きくなるかも知れませんね。

「共感」することの重要性

最近、「共感」することの重要性という言葉を耳にしますが、共感は子どもとの接し方に対しても効果があるのでしょうか
 もちろんあります。この「共感」という言葉はカウンセリングの領域だけではなく、すべての対人関係において効果的です。共感とは相手の心に添うこと。つまり知的理解ではなく、感情理解と言ってもいいでしょう。
 さて、一例を挙げて共感の効果をご紹介しましょう。例えば、子どもがクラブ活動で疲れ果てて帰宅します。
 子ども…「オカン、腹減ったぁ、はよご飯にして」。
 オカン…「ごはんの前に、先にお風呂に入りなさい」。
 子ども…「今日はクタクタやから風呂はええわぁ。そやから先にご飯にして」。
 オカン…「あんた何言うてんのん!シャワーでもええから、さっと浴びといで!その方が疲れが取れてご飯もおいしいから」。
 子ども…「もう今日は風呂ええってぇ、はよご飯にして」。
 オカン…「そんな汚い体で寝られたら、布団洗わんとあかんやろ!はよお風呂入りなさい」。
子ども…「今日は絶対に入らへん!」。…となる訳です。
 ここで「共感」です!
「そやなぁ…そんなに疲れてたら、お風呂入るのしんどいわなぁ」とお母さん。子どもは疲れている今の状態を、また疲れている気持ちを理解してもらいました。
 ここがポイントです。そうすることによって思考、感情、行動が変化し、不思議なことに、「やっぱり風呂入るわぁ」となる訳です。
 私が代表を務めるカウンセリング研究会でも、この共感という秘技?を使って「いい結果が出ました」と絶賛を受けています。一度お試しください。

心の回復力 2

「小学5年生の息子が低学年からいじめに遭い、今もおびえながら登校。将来への影響が心配」という相談について(前号の続き)
 子どもの受けた心の傷を癒やすのは親であると前号で申し上げました。それでは具体的にどのようなかかわりをすれば良いのか。またどのような対応で「心の回復力」がアップするのかを説明します。
 まず第一は「共感」することです。前号の親の例では、子どもに共感するどころか、いじめっ子の側に立った発言をしました。そうではなく全面的に子ども側に立っての対応が必要です。
具体的には「そんなひどいことをするやつがいてるのか!お父さんは絶対に許せへん!」。この発言は子どもの持つ「怒り」の感情への共感です。そして、「あんた、つらい思いしてたんやなぁ…」。これは「つらさ」への共感です。この共感こそが傷ついた心の良薬となり、その良薬で心は回復していくのです。
 あるアンケートで、「あなたは、どのようにしていじめを克服しましたか」との問いに、「自分の気持ちを理解してくれる人がいたから」という答えが多数を占めました。自分には味方がいると確信できた時に、子どもは、また人は「勇気」が湧いてくるのです。味方は一人でも多い方が良いのです。この勇気が自尊心を高めていきます。
 東京大学名誉教授である深谷和子先生は、この自尊心を「心の自己資産」と名付けられました。お金やモノなどの資産は一夜にして奪われることがあります。しかし心に蓄えた資産は奪われません。逆に利子が付き、ますます資産は増えていきます。つまり「心の資産家」になる訳です。困っている人がいれば貸し付け(共感)をしてあげることもできます。心的外傷後ストレス障害になる前に、たくさんの資産を子どもに与えてあげてください。

心の回復力 1

小学5年生の息子が、低学年のころからいじめに遇い、今もおびえながら登校しています。将来、いじめが原因で何らかの影響が出ないか心配しています。このような場合、カウンセリングを受けた方が良いのでしょうか?
 「はい、すぐさまカウンセリングをお受けください」と言いたいところですが、まずその前にご両親の対応が最優先です。
 最近、「リジリエンシー」(心の回復力)と言われる用語が注目されています。ひどいいじめを受けた子どもがどのような経緯で心の傷を癒やしていくかということです。
 このような悪例があります。いじめを受けた子どもに対して父親は、「お前が弱いからいじめられるんや!お父さんなんていじめられたことなんてないぞ!もっと強くなれ!」とげきを飛ばします。次に母親は「友だちとは仲良くしなさい。いじめられるあんたにも問題があるんと違う?」といじめっ子の肩を持つ発言。心にトゲがいっぱい刺さった子どもに追い打ちをかける対応です。そうなるといじめっ子に対しての恨み、自分の状況、気持ちを理解してくれない両親に対しての恨みと、恨みが倍増していきま
す。このような場合、恨みの感情が長期化した
り、心身に何らかの症状が出るケースが多くなります。
 また、いじめを受けた何年か後に「PTSD」(心に受けた傷が、何年か後に様々な症状として出てくる状態)に陥る可能性が出てきます。こうなればカウンセリング、心理治療が必要となるでしょう。そうならないうちに、今の時点で食い止めなければなりません。
 今号では、親の悪しき対応を例に出しました。次号では、どのような対応で「心の回復力」が増していくのかを説明していきます。

私の人間観 2

(前号の続き)中学生の息子のことなのですが、友だちに対しての好き嫌いが激しく、心から何でも話せる友だちがいないようです。どうすれば友だちを増やすことができるのでしょうか?
 前号の冒頭で「嫌いから入ると道は狭くなり、好きから入ると道は広くなる」という言葉とその説明をしました。
 さてそれでは、人を好きと思える私見をお話しします。「私は人の好き嫌いがはっきりしてるねん!」と、さも自慢気に豪語される方と出会いますが、私はそういった生き方は否定しています。なぜならその生き方は「損な生き方」だからです。
 人は何をもって好きか嫌いかを判断するの
でしょうか?それは自分と同じ価値観を有するかどうかが主たる判断基準になっているようです。逆に、全く価値観を異とする人に対しては理解不能ということで「変わった人」と、らく印を押してしまいます。
 さてそこで、こう考えてみましょう。同じ価値観、あるいは同じ趣味を持つ人と話をしていると楽しい。でも、違った価値観、違った趣味を持つ人と話をしていると勉強になる…と。
 私は変わった人が大好きです。なぜなら変わった人は自分が考えもつかない発想や意見を持っています。そのような未知な発想や意見を聞かせてもらえた時に、「あ〜勉強になった」と思うことができるので、すごく「得」をした気持ちになれるのです。そうするとますます、その人に対する関心が高まってきます。
 つまり「損得(感情)」で人と接するのです。もし、息子さんと「嫌いな友だち」について話す機会があれば、どこが、何がどう変わっているのかを聞いてみてくださ
い。そしてその後に、今月号の話をしてみてください。

私の人間観 1

中学生の息子のことなのですが、友だちに対しての好き嫌いが激しく、心から何でも話せる友だちがいないようです。どうすれば友だちを増やすことができるのでしょうか?
 「嫌いから入ると道は狭くなり、好きから入ると道は広くなる」という言葉があります。
 これを食に例えると、私は納豆が大嫌いです。以前は納豆を食べる人に対しても不信感を抱いていました(納豆ファンの方、ごめんなさい)。故に納豆に関する知識は全くないのです。しかし納豆を食べる方に聞くと、まあ何と納豆料理のレパートリーが広いこと。驚きました。これこそまさに「好きから入ると道は広くなる」という厳然たる事実です。
 さて、これを人間関係に置き換えても同じことが言えるのではないでしょうか?私たちは時として、苦手な人に出会ってしまいます。普通そういった場合には距離を置いたり、拒否することが一般的な行動でしょう。しかしカウンセラーは来談者に対して、好きや嫌いやなどと言っていたのでは、カウンセリングは成立しません。すべての来談者に対し、「肯定的な関心、配慮、理解」を示せないといけないのです。
 私がカウンセラーの
「タマゴ」のころには苦手な来談者が存在しました。結果、前述の通り、カウンセリングが全く機能しないのです。よって、2回目からは来られません。
 今ではようやく、苦手な来談者はほぼ皆無となりましたので、効果的なカウンセリングをしていると自負しております。おそらく息子さんは友だちを見る際に嫌いから入っているのではないでしょうか?
 どうすれば「あばたもえくぼ」的な発想ができるかについての具体的なアドバイスは次号で詳しく説明させいただきます。

グウからパーの生き方へ

高校生の息子ですが、勉強にもクラブ活動にも一生懸命で、「何があっても俺は負けない!」が口癖です。途中で燃え尽きてしまわないかが心配です。
 今年一年の私の生きるスローガン。それは「グウからパーの生き方へ」です。このグウとパーは、ジャンケンのグウとパーです。過去の私の生き方はグウの比率が高かったように思います。「怒り、執着、負けじ魂」などです。 
 人は怒りを感じたり、人を許せないような時には、手はグウの状態です。また何か(物欲、我欲)に執着している時にも、それを手放したくないのでグウをしています。そう、グウをして生きていると疲れるのです。またグウをしている時には、緊張状態でもあります。
 それをパーにしてみます。すると、「怒りから許しへ」、「執着から解放へ」、「緊張から緩和へ」と変わります。親が子どもに「こっちへおいで」と言う時には手はパー。頭をなでるのもパー。仏壇に手を合わすのも、うれしい時の万歳もすべて人間の手はパーになるのです。
 けれど、当然ここ一番の勝負時にはグウも大切です。また、マイライフ年頭のあいさつで書かせていただいた、手のひらの上に乗っているチャンスをつかむ時にはグウをしないとつかめません。チャンスをつかむと成功します。地位や名誉、お金が手に入ります。しかし、それらのものを独り占めする人は常にそれを守るためにグウをしておかないといけません。すると、疲れます。常に恐怖が付きまといます。ですから一度つかんだあらゆるものを、次はパーをして人に分け与えないといけないのです。 
 今まさに頑張っている息子さん。いつかグウから手を開き、パーの生き方に移行することができたなら燃え尽きる心配はないと考えます。

悪夢について その2

〈前号の続き〉悪夢を見て、その日は一日中落ち込んでいる子どもへのアドバイスについて。
 悪夢を見ると、もちろん目覚めは最悪。夢だと分かっているのにその悪夢で一日が憂うつに。しかし、そのせいで一日が楽しく過ごせないのはナンセンスの極みです。悪夢であれ、楽しい夢であれ、夢を見ることで心の疲れを取ってくれているからなのです。
 日常の生活で、対人関係でストレスを感じる、恋愛関係での嫉妬妄想、あるいはしたいことや言いたいことが言えなかった等々と、楽しくない日も少なくはありません。これらのストレスをうまく発散できない場合には、無意識に抑圧されていきます。つまり、心の中にゴミが蓄積されていくのです。
 さて、このような状態が続くと、心が病んできます。どこかでゴミを出さなければいけません。そのゴミ出し作業が「悪夢」であるという理屈です。前号のホメオスタシス(心身に異常が発生した場合、元の健康状態に戻そうという働き)が起こっているのです。いえ、ホメオスタシスが心を守ってくれているのです。
 ですから、子どもが悪夢を見て不安や恐怖を親に訴えた場合には、「良かったやん。その夢があんたの心の中にあるゴミを出してくれたんやで。だから、イヤな夢を見た時には、ありがとうって感謝せなあかんよ」と伝えてあげてください。また親を殴る夢を見た場合…。本当は親を殴りたかったのでしょうが、実際に殴ることはできません。その分、夢で夢をかなえてくれているのです(願望充足説)。だから決して親を殴る夢を見た子どもを叱らず、褒めてあげてください。

悪夢について その1

最近、子どもが悪夢にうなされ、悪夢を見た日は一日中、落ち込んでいます。どのようなアドバイスをしてやればいいのでしょうか?
 眠りは浅い眠り (REM睡眠)と、深い眠り(NON REM睡眠)に分けられます。深い眠りは体の疲労を取る役割を担い、浅い眠りは心の疲労を取る役割を担っているのです。また、夢は浅い眠りの時に見やすいと言われています。毎日夢を見るということは、それだけ心が疲れている証拠なのです。
 と書けば、毎日夢を見るということはストレス状態にさらされているのかとご心配になられるでしょう。確かにストレスや悩み、問題を抱えている状態であることは間違いありません。少し難しい内容になりますが、われわれの心身に異常が発生した場合、元の健康状態に戻そうという働きが生じます。これを「ホメオスタシス」と呼びます。例えば高熱が出た場合、汗を出し、また皮膚の血管を拡張して体温を下げようとします。つまり人間の体は「形状記憶能力」が備わっているのです。
 話を戻します。日々ストレス状態が続くと、前述の通り、浅い眠りをもって、体と脳は一生懸命、心の疲れを取ろうと頑張ってくれているのです。読者の皆様も体を動かしてクタクタになった日はぐっすり眠れるでしょう。しかし逆に悩み事、心配事がある場合には寝ているのか、起きているのか分からないという長い夜を過ごされたという経験があるかと思います。その日、体をメーンに使ったのか、脳・心をメーンに使ったのかで、睡眠の質が決定付けられるのです。
 次号は本題の悪夢に焦点を当てて説明します。

「矛盾」について

高校生の息子が最近、色々なことで生じる矛盾に悩んだり苛立ったりして、困っています。
 「矛盾」という文字を辞書で調べますと、「つじつまが合わないこと」と説明されています。語源については、ご存じだと思いますので省略しますが、お尋ねの「矛盾を取り除いて…」のくだりですが、果たして矛盾は取り除かなければいけないのでしょうか? 私たちは日々、矛盾の中で生きていると言っても過言ではありません。逆に全く矛盾なしで生きているという人がいらっしゃったらお目にかかりたいものです。そう、矛盾は決して悪しきものではないのです。私など、一日の中で矛盾を感じない日はありません。概念と感情の矛盾、感情と行動の矛盾、矛盾のオンパレードです。
 よって矛盾を取り除くのではなく、受け止めるのです。「矛盾が生じて当たり前」と考えるのです。また、矛盾が生じた時に、すぐにどちらかに決めないといけないという考え方を捨てて、時期が来れば解決するだろうと、矛盾を一度、棚上げしておくのです。その結果、気が付いたら矛盾は消失している場合が多いものです。
 ですから、息子さんが矛盾を感じることがあった場合には、「人間、矛盾の中で生きているから大丈夫。矛盾の中から何かに気付き、何かを学ぶんだよ」と答えてあげてください。
 さて、この度、私の処女作となります著書、『心の家庭教育法 いっしょに育とう親も子も!!』を出版する運びとなりました。本紙プレゼントコーナー(6面参照)で5冊、読者の皆様にプレゼントさせていただきます(よっ!太っ腹)。ぜひともご応募いただきますようお願い申し上げます。

「子どもの宿題と勉強」その2

小学生の子どもなのですが、言っても言ってもなかなか宿題をしません。今から夏休みの宿題のことが心配です。(前号の続き)
 今月号は、「ガミガミ父さん」の留意点について説明します。前号の通り、このお父さん、日々の学習スケジュールを作成し、予定通り進んでいない場合には雷が落ちます。私は「勉強」という言葉が大嫌いです。なぜなら「強いて勉める」が語源だからです。私の好きな言葉は「楽習」です。 強いられるものではなく、楽しみながら習得する方が、より良い結果が出るのです。「お父さんも昔、勉強は嫌いやった。でも親の言う通り頑張ったからいい結果が出た。だからお前たちも必ず勉強が好きになる」が口癖。しかし血のつながった親子と言え、時代も環境も性格も異なります。教育に「普遍性」はないのです。故に親の権威を振りかざして強いるやり方ではなく、どうすれば楽しく学べる環境を作るかが重要です。
 私の奨励するのは「笑いと愛情」です。ある子どもは先生から指示された内容を連絡帳に書き写してこないのです。だから宿題を忘れるのは日常茶飯事。そこでお母さんが「なぜ、連絡帳に書き写してこないの?」と聞くと、「ボクは今、連絡帳に頼らず、自分の暗記力を鍛えてるねん」との返事。そこで、お母さんは大爆笑して、「あんたは偉い」と言ったそうです。するとその後、連絡帳を書いて帰るようになったという話があります。また、ある子どもは試験で100点満点を取った時に、お父さんが「褒美に欲しい物を買ってやる」と言うと、子どもは「そんなん要らん。ただ、『お前よう頑張ったな』って言ってくれるだけでええねん」との返答。
 強制的な指導から、笑いと愛情を持った指導に切り替えてみてはいかがでしょうか。

「子どもの宿題と勉強」その1

小学生の子どもなのですが、言っても言ってもなかなか宿題をしません。今から夏休みの宿題のことが心配です。
 ある家庭で、子どもの勉強や宿題に対して、父親の方が厳しく、学習予定表なるものを作成し、それができていなかった場合には、雷が落ちます。そのお父さんのことを「ガミガミ父さん」と名付けましょう。
 それに反して、お母さんの方は「そこまでガミガミ言って勉強、宿題をさせると、言われないとしないという悪しき習慣がついてしまって、子どもの主体性を削いでしまう…」と、真っ向から父親の教育方針に異を唱えます。このお母さんを「フワフワお母さん」と名付けました。
 さて、それではどちらの指導方針、考えが正しいのか?答えは「どちらも正しい」です。
 しかしここで注意が必要です。
 まず、お母さんの言い分、「子どもが自ら宿題、勉強をしようと思うまで待っておく。したい時にするのが最も効果的」(鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス)の考え方では、いつまでたっても宿題、勉強をする気配がないという状況下で、いつになったら始めるのか毎日が不安で、またイライラしてきます。揚げ句の果てには「あんた、いつになったら宿題するの?」と叱ってしまいます。
 叱るなら最初からある程度の予定表を作るなり、「お母さんが宿題見てあげるから一緒にしよう」との声掛けをしてあげればいいのです。 時として子どもは勉強や宿題をするのはイヤだけれど、お母さんと共に時間を過ごしたいという心理が働きます。その心理をうまく利用し、宿題、勉強に取り掛かる動機付けをしていけばいかがでしょうか?
 次号は「ガミガミ父さん」の留意点をご説明します。

人間主義的リーダーシップ

大学生の息子が、今年、クラブでキャプテンをすることになったのですが、どうも皆を引っ張っていく自信がないようなのです…。
 先月号に引き続き、当カウンセリング研究会の話で申し訳ないのですが、当会では「会員さんすべてが幸せにな
る」ことを目指し、またそれを目的としています。
 「一人ひとりを大切に、一人ひとりに感動を」という言葉をスローガンとして掲げ、一人が幸せになることによって、その周囲の人たちも幸せになっていくというものです。
 そうすると、その人のまた周囲も幸せになります。これを「ハッピーネットワーク」と呼んでいるのですが、そのハッピーネットワークを広げていくことこそが当会の最大目的です。
 130人を超す団体の中で、顧問の先生方、代表(私)、執行部、運営委員と組織立てをしているのですが、その中で、私たち役員はあくまでも会員さんのお世話係なのです。
 役員の方が会員さんより偉いとは全く考えていません。故に「指示」という言葉は禁句。常に「お願いします」の言葉と「ありがとうございます」の言葉を送ってます。
 一人が一人を大切にし、また、みんなが一人を大切にしていくという運営方式です。つまり「キャプテンである自分が一番偉いんだ」という認識を捨て、「自分がみんなを幸せにするんだ」という意識を持つことが寛容かと思います。
 確かに「俺に付いて来い」とのリーダーシップを取る方が良い場合もあるかと思われますが、ほかの部員より先に練習場に行き、練習が終われば最後まで残り、悩んでいる友人、後輩たちがいた場合には話を聞き、励ましてやるという「人間主義的なリーダーシップ」を取れる人が私は大好きです。

イチローに学べ

息子は中学校で野球部に所属しています。練習では調子が良いのですが、いざ試合になると結果が出ないと嘆いています。どうすれば良いのでしょうか?
 私が代表を務める関西カウンセラーズ研究会ではロールプレイ研修を行っています。カウンセラー役とクライエント役(悩みを抱えた人)の役割を決めて行うという研修です。
 さて、その中で、上手にカウンセラー役をこなす人もいれば苦手な人もいます。それは会員さんたちの経験年数や技術力が要因ではなく、「不安と恐怖」があるかないかなのです。
 普段の会話では会員さんの話を聞き、共感できる人が、いざロールプレイになると固まってしまい、なかなか言葉が出てこなくなってしまうのです。ロールプレイ終了後、観察していた会員さんたちからは「普段の○○さんと全く別人…そのままの○○さんで演じればいいのに」との感想が返ってきます。
 たくさんの会員さんから観察され、また、しかめっ面をした私の前では、不安、恐怖が伴うのでしょう。そのような状態なので、十分の一の力も出し切れていないのです。
 今回お尋ねの件で申し上げますと、練習の時には不安、恐怖もなく、「思いっ切りやろう!」、「失敗から学んでいこう」、という気概で臨んでい
る。故に本来持っている実力が発揮される。しかし、試合になると「ここ
で三振してしまったら…」「この大事な局面でエラーをしたら…」と不安と恐怖で心がいっぱで体がガチガチになってしまっているのです。
 イチローのように試合の時こそ練習でうまくプレーできているイメージを膨らませ、「ここでヒットを打てばオレはヒーロー」という自信みなぎる状態で打席に入れるように、うまく暗示をかけてあげてください。

ピンチはピンチ

4月より高校に入学する息子なのですが、「ピンチやアカンわ…」が口癖です。このようなネガティブな考えで新しい環境に適応していけるかが心配です。
 「ピンチはチャンス」であると言われます。また、偉業を成し遂げた人物はピンチからチャンスをつかんでこられました。
 この概念は否定されるものではないのです
が、私の場合、少し違ったとらえ方をしています。
 「ピンチはピンチである」ということです。会社が倒産した。リストラに遭った。大病にかかった。人はこのような状況で「今、まさにチャンスの到来だ!」と考えることができるでしょうか?私は無理です。落ち込みます。へこみます。逃げ出したくなります。
 そのような時に「落ち込んでたらアカンよ」「元気出さないと」との励ましの言葉に対して、「お前に何が分かんねん」とムカツクのです。故に私はこう考えます。…今はピンチである。一両日中にこのピンチがチャンスに変わることは極めて可能性は低い。
 しかし、このピンチの「状態」の中で、どのような「思考」を持てば良いのか。このままこのピンチが続く、また、更に悪化すると考えるとそこには「絶望」あるのみ。
 しかし、今はピンチだけれども、必ずチャンスは到来するんだと考えると、絶望ではなく「希望」がわいてくる…と。
 不思議なもので、ピンチの中で希望を持つことによって後からチャンスが追い付いてきてくれるのです。
 ピンチ即チャンスではなく、ピンチ後チャンスなのです。厳冬に耐えてこそ、春到来の喜びは大きいものなのです。
 「ピンチ→希望→チャンス」の方程式を語ってあげてください。

大きな失敗小さな失敗

失敗ばかりする子どもに父親がきつく叱ります。これではますます、子どもは委縮してしまうのではないかと心配しています。
 例えば子どもがお父さんの大切にしている高額な釣り竿を壊してしまいました。もちろん、不可抗力。わざと壊したのではありません。しかし、これは大きな失敗です。
 そこでお父さんが「お前、なんちゅうことしてくれたんや!この釣り竿はなぁ、お母さんよりも、またお父さんの命より大切なものやってん
ぞ!アホンダラ!」と激高して怒鳴り、長丁場の説教が永遠と続きます。子どもは頭を垂れて、委縮状態です。
 つまり、子どもは既に大きな失敗をしでかしたということは十二分に理解し、反省しています。故にその大きな失敗に対してきつく叱ることは子どもの心の傷口に塩を塗っていることになるのです。
 ここでは「形ある物はいつか壊れるから仕方ない。気にするな」と愛情あふれる言葉、また、鷹揚な態度が必要なのです。私もお弟子さんにカウンセリングの指導をする際に、明らかに失敗をしたと気付いている場合には、叱りません。笑っております。
 次に子どもが気付かずにしている小さな失敗。この時こそしっかりと叱らなくてはならないのです。気付かない小さな失敗は恒常化していきます。
 「これくらいの失敗なら別に叱らなくていいかぁ」が大きな落とし穴となるのです。また、その小さな失敗の積み重ねが大きな失敗を生み出すのです。
 大きな失敗をした子どもの心は「ガラス」みたいなものです。強い力で触ると、粉々になって割れてしまいます。また触った方も手にけがをしてしまいます。どちらもけがのないように愛情を持ち、かつ慎重に取り扱ってください。

おねしょの原因と対処法

5歳になる子どもですが、なかなかおねしょが止まりません。どうすればいいでしょうか?
 おねしょの原因と対処法なのですが、まず、「膀胱は感情である」とご理解ください。膀胱は感情?それってどういうこと?と思われていることでしょう。
 さて、そこで説明。皆さんが緊張した状況、例えば結婚式のスピーチ、子どものピアノ発表会などのような時にオシッコの頻度が多くなるはずです。逆に、安心している時やリラックスしている時には頻度は少なくなります。
 つまり、膀胱は安定時には広がり、緊張時(恐怖、不安、イヤな時)には縮まってしまっているのです。ですから、オシッコの入る量には限りがあり、こぼれやすく回数も増える、というメカニズムです。
 これを証明する統計が出ています。夏休みなどの長期休暇の時には、おねしょが止まり、保育所や幼稚園に通い出すとおねしょが始まる。もう少し詳しい統計では、土曜日、日曜日は少なく、月曜日、火曜日に多い。楽しい一日を過ごした日には少なく、叱られた日には多いなどです。
 また、生理学的には寒い時には膀胱は小さくなり、暖かい日には広がるという、気温の変動も影響してきます。
 子どもが毎日を楽しく過ごすと心は大きくなります。逆に常に不安や恐怖を抱いて生活していると、心は小さくなり、委縮してしまうのです。これが「膀胱は感情」という意味です。
 心が小さくなると涙が出ます。心が大きくなると笑顔が出ます。お母さん、お父さんの笑顔が子どもの心を大きくするのです。
 さて、次におねしょ対処法ですが、「叱らない」「起こさない」「焦らない」の三原則を守ってください。おねしょはいけないことだとの罪悪感を子どもに持たせないことが重要です。

"CHANGE"

 1.今年は変化を恐れず、変化を楽しみます。2.もし何かに行き詰まったなら、「これは成長の兆し」だととらえてみます。
3.限界なんてこの世に存在しない、限界と言ってしまうから限界は来ると考えます。4.誰かのように生きるのではなく、自分らしく生きてみます。5.悲しみも苦しみも心の栄養としてみせます。
 5つの「CHANGE」で今年の深田も大飛躍!


「べき思考」と「越したことはない思考」

高校生の娘が、友人をつくろうとしません。理由を聞くと「私と価値観が違うから」としか言わないのですが、どうすれば良いのでしょうか?
 私たち人間は「許容範囲」という名の器があります。この許容範囲は人によって様々で、広い人もいれば、狭い人もいます。では、許容範囲の広さ、狭さは、どのように決まるのでしょうか?
 その大きな要因は、個人が持つ「べき思考」なのです。「こうでなければならない」、「こうあるべきである」といった思考が多ければ多いほど、許容範囲は狭くなります。また、少なければ少ないほど許容範囲は広くなるという理屈です。
 例えば、「万人は私に対して優しくしなければならない」、「友だちというものは私を理解すべきである」などの「べき思考」があればあるほど、友人の数は限られてきます。許容範囲が狭いから当然のことです。頑固オヤジが常に人を否定し、怒り散らしているのを想像すれば納得がいくでしょう。
 では逆に、許容範囲の広い人はどうなのか?それは、「べき思考」ではなく、「越したことはない思考」の持ち主です。「こうあるに越したことはない」との考え方です。そのように言葉を変換するだけで、許容範囲はおのずから広がってきます。多少嫌な友だちであっても、その範囲にスッポリと収まってくれるのです。
 「あの人といると、なぜかホッとする」という経験があるかと思いますが、人に安心感を与えられるような人は懐が深いのです。一度、娘さんにどれだけの「べき思考」があるのかを話し合ってみてはいかがでしょうか?
 余談になりますが、もし皆さんの中で「一生涯あの人を許すことができない」という人がいたならば、それは恨みや怒りになってしまいます。
 そこでアドバイス!「あの人を許すことできたなら私の許容範囲は無限大」と、思考変換してみてください。

エディプス期2「エディプス感情」

6歳になる息子なのですが、異常に父親に対して敵対心を持ち、困っています。何か理由があるのでしょうか?
 前号では、「エディプス期」をうまく乗り越えられたケースについて説明をしました。今回は、逆にうまく乗り越えられなかったケースについて説明します。
 ここでのポイントは「父親と母親の関係性が良好であるか」です。つまり「夫婦仲」の良さ、悪さが大きく作用します。
 例えば、夫婦仲が良くなく、夫婦げんかが絶えない。あるいは、子どもの前で「あんた、お父さんみたいになったらあかんで」などの発言は要注意です。なぜなら、その言葉を受けた段階で、子どもにとって父親の存在は脅威でなくなるからです。「なんや、僕の恋敵、たいしたことないし…」となります。そうなれば必然的に父親からの男性性を摂取しません。しようともしません。故に母親に対する性愛感情は継続します。これが「母子密着」と言われる状態です。世間では、これを「マザコン」あるいは「ファザコン」と呼んでいますが、正確には「エディプスコンプレックス」との名称が付きます。
 さて、この状態のまま、大人となり、結婚したとしましょう。本来なら「夫と妻」の関係性が優先されるはずが、母子密着の関係性が継続しているため、母子の関係性を優先してしまうのです。よって嫁姑問題が勃発した際には、姑、つまり母親側に立った発言をしたりします。
 また、母子密着の関係性が崩壊するのを恐れ、常に母親にコントロールされてしまう状況となります。「うちの旦那、マザコンやし〜」と言われる訳はまさにこの「エディプスコンプレックス」にあるということです。
 父親の威厳が低下してきていると言われる今日このごろ。世のお父さん、子どもが「エディプスコンプレックス」に至らないように、頑張ってください。夫婦仲改善のために努力してください。また、世のお母さん方…「亭主元気で留守がいい」などの発言もお控えください。

エディプス期

 6歳になる息子なのですが、異常に父親に対して敵対心を持ち、困っています。何か理由があるのでしょうか?
 その心理的メカニズムを説明しますと、このころの子どもは、異性の親に性愛感情を持ちます。「僕が大人になったらお母さんと結婚するんだ」とお母さんのそばを離れようとはしません。となると、子どもにとって父親は「憎き恋敵」の存在となります。その恋敵に対する感情が「敵対心」なのです。この心理状態を「エディプス感情」、またこの期間を「エディプス期」と呼んでいます。故にこの異性の親に対して持つ敵対心は正常であると言えます。
 さて、この状態が未来永劫続くのか?これは一過性のもので、長続きはしません。では、なぜ、一過性のものなのか?
 子どもはお母さんに強烈なラブメッセージを送り、ラブアタックを仕掛けてきます。しかし、ある時期から、「僕が一生懸命、お母さんを好きになっても、到底、お父さんにはかなわない。だったらこの横恋慕はあきらめて、お父さんのような男性になろう。そうすれば、お母さんのような素敵な女性と結婚できるんだ」との決断をします。ここから、昔の恋敵であった父親の存在が、男性としての「見本」となるのです。
 つまり、この時期からは、父親の持つ男らしさ、たくましさ、力強さを取り込んでいきます(摂取)。 ジェンダーフリーと言われるこの時代にこの説明は「いかがなものか」とご批判を受けるかも知れませんが、この心理的メカニズムは厳然たる事実なので、この行(くだり)を読まれてムカっときておられる方がいらっしゃったとしたら、どうか私を責めるのではなく、この心理学的メカニズムを提唱した精神分析学者のフロイト先生をお責めください(もう既に他界しておられますが…)。
 次号ではこの「エディプス期」を乗り越えられなかったケースについて説明します。

一日一つの愛を

最近、青少年による無差別殺人が相次いで起こっていますが、未然に防ぐ方法はないのでしょうか?
 すべての人間は、「自己愛」を満たすために生きています。自己愛とはその名の通り、自分自身を自分が愛することです。この自己愛は、自ら育むことは難しいとされています。
 例えば、何か種を植えたとしましょう。しかし、植えただけでは実はなりません。太陽の光も必要です。また水も与えなければいけません。つまり一人ひとりの人間には、自己を愛するという種は植えられているのです。しかし残念なことに、太陽の光も水も与えられない状態であると、種は土の中で埋もれてしまっています。
 前置きが長くなりましたが、しっかりと自己愛に満たされている場合、このような問題を起こすことは皆無であると言っても過言ではないでしょう。
 自己愛の低さ↓自己否定感の高さ↓他者肯定感の低さ↓社会に対しての恨み、このような心理的連鎖で犯罪が行われる可能性が高いと思われます。 「結局、自分はダメな人間なんだ。生きている価値もない人間なんだ。その原因は親にある。その原因は社会にある」と、子どもは悲観的に自分を評価します。そこで宿った破壊願望(心理学者・フロイトはこれを死の本能と呼んでいます)が爆発するのです。これは激情型反抗ではなく、殺人予告をしていることから「確信犯的犯行」と言えるでしょう。
 要するに、子どもの心の中に植えられている種に太陽の光と水を与えること、つまり親や教師が、子どもを「ほめる」「認める」ことが太陽の光であり、水なのです。
 人は皆、仏です。人は誰でも崇高な魂を持っています。マザー・テレサは言っています。「一日一つの愛を贈りましょう」と。その一つの愛で犯罪は防げると確信しています。

カウンセリングアプローチ

前号の続き。人生相談的アプローチからカウンセリングアプローチへ。
 さて、前号では「説教」がいかに非効果的であるかを説明しました。今回は「カウンセリングアプローチ」について説明します。
 カウンセリングというものは一般論、正論では成り立ちません。なぜならば、すべてにおいて「絶対」ということは「絶対にあり得ない」ということをカウンセラーは知っているからです。
 しかしカウンセリングを受けに来られる方の多くは、カウンセラーは「資格を持った説教の達人」という感覚をお持ちのようです。特に非行に走っている子どもさんのカウンセリングではその期待たるや絶大です。「先生、昔、元暴走族だったんでしょう。それなら、うちの息子にガツンと一発かましてやってください」。…何をかましたらいいのか、ほとほと困るのであります。
 確かにその子どもたちは「良いこと」をしていません。タバコ、けんか、シンナー、万引きと、まさに過去の自分の行動の再来です。前号で説明した通り、「そんな悪いことをしていたらダメです」との説教は一切致しません。また、元暴走族の説教なんて真実味がありません。
 そこでカウンセラーは子どもが語る「武勇伝?」にひたすら耳を傾けます。子どもの住む世界を知ろうと、必死に聴きます。彼らの行動の裏に隠れた「何か」を、必死に聴きます。
 そうすることによって、子どもは自分の行動の矛盾点に気付き始めます。事の善悪ではなく、そうしなければならない、またはそうしてしまう本当の自分と出合うのです。
 ここまでくれば、ほぼカウンセリングは成功です。その後は、どのように軌道修正していけば良いのかを本人が考え、結論を出します。つまり長々とした説教より、子どもの話をとことん聴くことの方が効果があるのです。「話し勝ち」ではなく「聴き勝ち」という観点で子どもと接してみてください。

人生相談とカウンセリングの違い

思春期を迎える子どもなのですが、最近、親の言うことを全く聞かず困っています。もう、事の善悪も分かる年ごろだと思うのですが。
カウンセリングでは、「正しいことと、相手の役に立つことはかけ離れる場合が多い」と言われています。
 例えば、未成年者がタバコを吸うことはいけないことです。それを親は「タバコを吸ってはいけません」と指導します。この指導は決して間違っていません。むしろ、正しいことです。しかしながらその言葉で、「はい、僕が間違っていました。もう吸いません」と子どもはタバコを止めるでしょうか…。 不登校の子どもに「学校に行かなくてはいけません」と言って、「はい、今からすぐに準備をして学校に行って参ります」…とは、無理な話です。
 私たちのカウンセリング研究会では、人生相談とカウンセリングは、どこが違うのかというテーマで、いかにカウンセリングの方が効果的かを説明しています。つまり、正しいことを言って、それを押し付けようとするのは「説教」であり、また、これを「人生相談的アプローチ」と呼んでいます。
 ではなぜ、人は説教をしたくなるのか。またなぜ、説教は長引くのか。それは説教者の言うことは道徳的、倫理的なものだからです。故に説教者は話しているうちに自己陶酔(自分が素晴らしい人間であるとの感覚)し、またそれで自己愛を高めることができるというメリットがあるからなのです。
 しかしながら、説教を受けている当の本人にはそれが届かない場合がほとんどです。右から左へと通過してしまいます。この態度を感じ取った説教者は「本当にあんた分かってるん?」との発言の後、また一から説教を繰り返します。これも説教が長引く一つの要因なのです。
 では、次号では、子どもに伝わる「カウンセリング的アプローチ」についてご説明します。

「大人」の定義

大学生になる息子なのですが、まだまだ依存性が強く自立できていないように感じます。もうそろそろ大人になってもいい年ごろだと思うのですが…。
一般的には成人式を迎えた時点で「大人」という定義がなされるようですが、それには個人差があるかと思います。
 よく親は「もうあなたは大人なんだから」と、げきを飛ばしますが、何をもって「大人」と定義付けをしているかが問題です。
 「もうあなたは大人なんだから」と言う前に、子どもに対して「大人になるってどういうことだと思ってるの?」との発問が必要なのです。この発問に対する返答によって、お互いの「大人の定義」の共通認識が明確となります。
 すごく高いハードルの定義付けをしている場合も、逆に低いハードルの定義の場合もあるでしょう。
 また、この定義を聞くことにより、その子どもが目指している理想の大人像を知ることができるのです。それ以後、子どもが語った「大人の定義」が、言動行動により実行された場合には、思い切り賞賛してあげてください。この賞賛は子どもが理想の大人に近付く一番の後押しとなります。
 もし、子どもから逆に「お父さん、お母さんの大人の定義は?」と質問を受けた場合には、「もう、長い間、大人やってるから分かれへんわぁ」と、とぼけておくのです。なぜなら、ほとんどの親は、自分が子どもに望む理想の大人像を語ってしまうからです。「そんなんやったら、おれ、大人になんかなりたくないわ」と意気消沈するかも知れません。
 また、「真の自立」とは依存を排除するのではなく、必要な依存は受け入れ、自分の依存度はどれだけかを自覚し、そして、依存対象である親に、また周囲に感謝する心も持つことができることだと考えます。「依存なき所に自立なし」「依存なき所は孤立なり」です。

ありがとうの効果

わが家では、子育てや、夫婦間のことで争い事が絶えません。罵倒、罵声が飛び交う毎日です。このままではいけないと思いつつも打開策が見当たりません。この状態は永久に続くのでしょうか。
罵倒、罵声ということは、マイナスの言葉で家庭内は充満しているのでしょう。私の尊敬する先輩セラピストに野坂礼子先生という方がいらっしゃいます。その先生のセラピーは「笑顔セラピー」と言われるもので、「ありがとう、ありがとうございますの言葉ですべてが変わる」と言い切っておられます。またそれでたくさんの方を幸せに導いておられます。著書も拝読し、直接、先生ともお話をさせていただきました。 単純な私は、すぐにその「ありがとう呪文」を唱え始めました。朝起きて「今日も命を頂きありがとうございます」。食事をする際にも「料理を作ってくれた妻に、食材を販売してくれた方に、食材を運んでくれた方に、魚料理なら漁業の方、お米なら農家の方に」。それと食物が育つために必要な「水、酸素、太陽」に。日々欠かさずにありがとう呪文を唱えています。運気絶好調です。また、わが関西カウンセラーズ研究会の会員さんにも、この魔法の言葉、奇跡の言葉を唱えると運気が上がるとの熱弁を奮いました。すると、この紙面では書ききれないほどのたくさんの変化が起き始めています。一例を挙げますと、花粉症にかからなかった。何を作ってもおいしいと言わない夫が「今日のぬか漬けおいしいなぁ」と言った等々です。
 魂が一番喜ぶ言葉が「ありがとう」なのです。昔から言霊という言葉がよく使われるように、言葉は一つのエネルギーなのです。家族の中での罵倒、罵声を「ありがとう」の言葉で消し去ってください。必ず変化します。とにかくマイナスの言葉を避けてください。
 読者の皆様方すべてが幸せになりますように。ありがとうございます。

万引きの原因はさまざましっかりと話し合って

 高校生の娘が最近、万引きをしました。以前にも一度前歴があるのですが、常習化しないかが心配です。万引きをする心理を教えてください。
それでは万引きの原因と考えられるさまざまなケースを列挙します。@思春期の不安定な時期に加え、月経前に万引きをする場合(月経前症候群)。A「万引きをしないといけない」という強迫観念からくる脅迫行動的な万引き。B自分では万引きをしているという意識がないまま盗んでしまうという、乖離(かいり)的な要因。C万引きをする際のスリルを味わいたいという場合。例えばジェットコースターに乗った時や、お化け屋敷に入った時の恐怖感、この時には脳から快楽物質ドーパミンが出ています。これと同じように万引きをする際のスリルからドーパミンを引き出しているという理屈です。こうなれば、万引き依存症(窃盗症)となり常習化する可能性が高くなります。また、このケースでは欲しいから盗むのではなく、盗むことに快楽を覚えています。D他者から万引きを強要されて行う場合。E幼少期より欲求不満への耐性力欠如から、欲しい物は何が何でも手に入れないと気が済まないという快楽的行動からくるケース。F家庭内で、自分の存在価値が認められていないという不安から、家族の関心を得ようとする。この場合は、補導されることは意に介さないのが特徴です。これは子どもが病気になった時だけ親に優しくしてもらったという経験が頻繁であった場合に、自然と免疫力が弱まり、本当に病気になる。そしてそこで親の愛情を確認するというもので、これを「疾病利得」と呼び、この病気が万引きに形を変えたというケースです(疾病利得説)。
 以上のように万引きの要因はさまざまです。子どもとしっかりと話し合うか、カウンセリングをお受けになることをお勧めします。

世界一のカウンセラーはあなたの魂の中に

 最近スピリチュアルカウンセリングという言葉をよく耳にしますが、一般的なカウンセリングとは違うのでしょうか?子どもが非常に興味を示しています。
 確かに今、スピリチュアルカウンセリングという言葉を耳にしますが、私の思うところのスピリチュアルカウンセリングの認識は、今風の認識とは異なります。例えば、悪霊にとりつかれている人に対して、祈祷などを施したり、亡き父親の霊を呼び出し、その言葉を息子に伝えたりなどはカウンセリングとは言い難いと思っています。
 しかしながら、それで楽になったり、伝え切れなかった思いを霊に伝え、また、霊からの言葉を聞き、自己完結するという意味ではカウンセリング的な効果はあるのでしょう。
 私のスピリチュアルカウンセリングの概念はスピリチュアルという言葉を「霊性」ととらえるのでなく、人間、誰もが持っている「崇高な魂」ととらえております。仏教的な表現をしますと、「人みな仏」という概念です。
 われわれはさまざまな苦難、逆境に遭遇します。しかし、その苦難、逆境は必ず乗り越えることができるからこそ必然的に起こってくるのです。それを解決してくれるのが、「崇高な魂」なのです。心理学者ユングの言うところの「普遍的無意識(潜在能力)」と呼ばれるものです。
 私の目指すカウンセリングは、「自分では解決できない、私は運が悪いんだ」と苦悩するクライアントに「世界で一番のカウンセラーはあなたの魂の中に存在しています。だから、どんな苦難をも乗り越えることができるんですよ」ということを、伝えることなのです。また、信じてもらうことなのです。
 私には霊能力などありません。しかし、自分に起こる苦難は、必ず魂の中に存在する超一流のカウンセラーが解決してくれることを信じる力は誰にも負けないつもりです。
 

徹底的に自分を褒めること

  子育ての本などに「子どもを受け入れましょう」という言葉が頻繁に使われていますが、受け入れるとは具体的にどのようなことでしょうか?
 何年か前にも、同じような質問を受けましたが、今回はカウンセリングでの受容について説明します。アメリカの心理療法家、カールロジャーズ氏は受容を「無条件の肯定的理解」と定義付けしています。
 さて、ここでわれわれカウンセラーが頭を痛めるのが、「無条件」という言葉です。無条件に…と言われると、どのような極悪非道な人間であっても、また、憎き親のかたきであっても、好意を示さなければならないということになります。
 そこで、当会(関西カウンセラーズ研究会)では、今の段階では「無条件という言葉を、いったん棚上げしてくださいと説明しています。なぜなら、われわれ人間は神や仏であるまいし、このような芸当は不可能に近いからです。
 また、他者に対して肯定的理解を示すか否かは、ある一定の条件(価値観が同じ、趣味が同じなど)を満たしたかどうかで決まるものなのです。故に無条件を外し、「一人でも多くの人に対し好意、好感を持ち、一人でも多くの人を大切に思える境涯になりましょう」ということを目標としています。
 その唯一の方法は徹底的に自分を褒めることです。失敗した場合でも、決して後悔はしてはいけない。失敗して傷付いた自分の心を抱きしめてあげる。そして、傷が癒えたら、また褒める。私は褒められることが大好きです。また、自分を褒めることの天才と自負しています。「私、深田を褒めるなら、歯の浮くような褒め方ではなく、歯が抜けるくらい褒めてください」と言ってはばからないほどです。
 まず、自己受容ありき。その後に初めて、本当の他者受容を成し得ることができるのです。
 

「ええ加減な子育て」を

 最近、いろいろな子育ての本を読んでいるのですが、あまりにもたくさん読みすぎたのか、今、混乱している状態です。何が良くて何が悪いのか分かりません。
 まず、今の混乱しておられる状態では良い子育てをするのはかなり難しいと言っても良いでしょう。なぜか?それだけ数多くの情報を混乱した状態では情報管理ができないということです。その結果どうなるのかと申しますと、非常に「加減の悪い」子育てになってしまうのです。子育てというのは加減が悪くてはいけません。加減を良く知らないといけないのです。つまり「ええ加減な子育て」が必要であるということです。
 例えば、子どものできる力があるにもかかわらず、ついつい親が手を出し口を出す。いわゆる、過保護、過干渉と呼ばれる対応です。これらは「加」に重きを置いておりますので、加減は良くない状態です。また、逆に子どもが甘えたい時に、ほったらかしにする。これは「減」に重きを置いておりますので、これまた加減の良くない状態です。簡単な言葉で表現しますと、バランスの悪い子育てを実践しているということです。
 例えば、「ここは心を鬼にして子どもと向き合い、対決しないといけない」という場面では、「加」が必要となります。逆に、「ここでは子どもの主体性を高めるために、一人でやらせてみよう」とあえて手を貸さないことを決断されたならそれは「減」となります。
 このように「加えること」と「減らすこと」のバランスが、前述の「ええ加減な子育て」の必要性なのです。風呂もいい湯加減が心地良い。料理もいい塩加減がおいしい。「あんた、ええ加減にしなさい!」としかっているお母さん…、子どもにええ加減を求める前に、まずお母さんがええ加減な子育てを実践してみてください。
 

カウンセラーの役割

 子どもや夫、そのほか数多くの悩みを抱えています。カウンセリングを受けると悩みはすぐに解決するのでしょうか?
 結論から申し上げます。カウンセラーは悩んでいる人(以下クライアント)の悩みを解消したり、問題を解決したりしないということです。「えっ!」とお思いでしょうが、悩みや問題の解決はほとんどクライアントが行う作業なのです。
 かと言ってカウンセラーは何の援助もしないということではありません。まずクラ イアントの抱える苦悩、問題を真正面から聴かせていただきます。そして、その話を聴きながら、感じながら、考えるという非常に難しい作業に入ります。「感じる」とは、クライアントの気持ちに同苦同悲すること(共感)。また、「考える」とは、クライアントの悩みの根源はどこにあるのかを模索することです(仮説)。
 「人の悩みは多種多様であるが、悩み方は一つである」というのが私の持論です。悩む内容は異なっていても、悩み方には一律性があるのです。例えば、自己を責める悩み方、他者を責める悩み方、あるいは悩みから逃避するというケース。人によってさまざまです。以上のような悩みが限界に至ると「神経症」などの病になってしまいます。つまり、「下手な悩み方」をしている訳です。その下手な悩み方を「上手な悩み方」に移行できるように援助するのがカウンセラーの役割であり、責務なのです。悩み方が変われば、考え方が変化してきます。感じ方が変化してきます。そして最終的に行動が変わってきます。変化から成長を遂げたのです。
 仏教用語で「煩悩即菩提」という言葉があります。煩い悩むことで、菩提、すなわち「仏の境涯」に至るということなのです。故にカウンセラーは悩みや問題を解決するのではなく、うまく悩む方向へといざなうのが役割だということです。
 

子どもが望む愛情をタイムリーに

 最近、「小遣いを上げろ、上げないと万引きするぞ」とお金への執着が異常になってきております。どう対応すれば良いのでしょうか?
  前号では幼少期に「甘えさせて育てた」結果、子どもが自分の感情欲求を抑え切れず、お金を無心するケースへの対応でした。今回は、幼少期の子どもが持つ「愛情欠損感」からくるケースについてご説明します。
 愛情欠損と書けば、「私は子どもに対して、愛情を失ったことなどありません!」とお叱りの声が聞こえてきそうなのですが、ここで言う愛情欠損とは、子どもが望む愛情をタイムリーに与えてやれなかった場合を指します。
 例えば、子どもが愛情を欲している時に親が大きな問題を抱え、思い悩んでいた、または下の子どもができて、そちら側に手が掛かってしまっていたなどの場合です。そのような状況で子どもは成長し、思春期を迎えます。
 さて、ここからが問題なのですが、このような場合は幼少期に「欲しかった愛情」を無意識に抑圧している状態です。違った言い方をすると、子どもにとって「未完の行為」が残っているのです。しかしながら、中学生や高校生になって「お母ちゃん、昔、もらい損ねた愛情をちょうだい…」なんて恥ずかしくて言えないでしょう。故にその「愛情」の代償として、お金を無心するというメカニズムです。それではこのようなケースの場合、どのように対応すれば良いのか。結論から申し上げますと、「お金を与える」ということです。もちろん、限度はありますが、ここで「気前良く」与えるのです。お金を与えた時点でそのお金の所有権は子どもに移ります。従って、たとえ、そのお金で親が望まない物を買ったとしても、とやかく言わないことが肝要、つまりは「潔さ」が大切です。ある程度、与え続けると、ようやく過去に得ることができなかった愛情をお金という形で取り戻し、未完の行為は完了され、以後の無心は止まるケースが多いのです。
 

フィフティーフィフティールール

 最近、「小遣いを上げろ、上げないと万引きするぞ」とお金への執着が異常になってきております。どう対応すれば良いのでしょうか?
 この文面だけでお答えするのは非常に難しい事例です。例えば、幼少のころから、親が子どもの要求をすべてかなえ、王子様、女王様的な育て方をした場合、現実原則に従って生きるという姿勢が欠如していきます。つまり、快楽原則(本能)的な生き方しか学べていないということです。人間、誰しも快楽原則に従って生きてみたい願望があります。しかし、それでは社会的に適応できません。もしも、長年、子どもにすべての決定権を持たせるような育て方をした場合、欲求不満への耐性力が欠如し、わがまま放題の言動が繰り返されるでしょう。このような場合には親として「徹底抗戦」に出なければなりません。つまり、快楽原則的なぜい弱な自我を改めるため、徹底した家庭でのルールを作るのです。そのルールも、子どもに不利益な内容のものではなく、ルールをしっかりと守れた場合には、利益を与えるようにすることが重要です。例えば親の言うことをしっかりと守ることができた場合には、子どもの要求を聞く。逆に親の言うことを守れなかった場合には、一切、子どもの要求を聞かないという「フィフティー フィフティールール」です。それも一方的に親がそのルールを作るのではなく、子どもと共同作業で作ることがポイントになってきます。一方的なルールはルールではなく、「命令書」になってしまうからです。そのルール作りの中で、子どもの隠された悩みや問題が浮き彫りになってくる場合もあるのです。
 次号では、今事例と違ったケースを説明します。
 

「私はあなたの存在を愛します」

  意識しながら、子どもを褒めているのですが、喜ぶどころか、逆に嫌そうな表情を見せるのです。褒め方が間違っているのでしょうか?
 褒めると言っても、何を褒めるかが重要になってきます。例えば、子どもの成績なのか、行動なのか…「褒められて嫌がる人間はいない」といった定説があるようですが、実は「褒められるのが苦手な人」もいるのです。この、褒められるのが苦手な人は、「褒められること=バカにされている」といった概念を持った人に多いようです。それはなぜか?それはその人の持つ、自己否定感に関連してきます。自己肯定感の高い人は、自分自身をいつも褒めていますので、人からの褒め言葉を素直に喜ぶことができます。また、その言葉に感謝もできます。しかし、自己否定感の強い人は、褒め言葉を「過大評価」と取ってしまうのです。今の自分に点数を付けると50点くらいなのに、褒められることによって、その点数は80点に跳ね上がります。80点ー50点=30点。この30点が、褒められた人の苦しみ数値なのです。それでは、前述の「何を褒めるか?」なのですが、私も仕事柄、たくさんの人から褒めてもらえます。「先生の話は面白くて分かりやすい」「先生は格好いい」…これは自己評価かな??…確かに褒められて嫌な気はしないのですが、それは、私自身というよりか、私の持つ付帯的(条件的)なものなのです。あるクライエントから「先生が先生でなくても、どんなダサい服装をしていても、私の先生に対する信頼は揺るぎません」と言われた時には、さすがの私も鳥肌が立つほどうれしかったことを覚えています。
 「あるがままを、あるがままに、その人の丸ごとを愛する」。この気持ちで子どもを褒めると、必ずそれは相手に伝わっていきます。「私はあなたの存在を愛します」。   
 

「自己不一致」を「自己一致」に
  変容させるカウンセリング技法

  どうすれば「自己概念」つまり、「性格」が変わるのか?
 前号でも触れさせていただきました「クライエント中心療法」が効果的だと思っております。 クライエント中心療法には「受容」「共感」「自己一致」と呼ばれる三本柱があります。簡単に説明しますと、まず「受容」…相手に対する肯定的理解、関心、配慮。次に「共感」…自分の感情で相手を見るのではなく、相手の感情になり切り、その感情を理解すること。最後は「自己一致」…正直、誠実、純粋性。この三つの条件をカウンセラーが満たすことができればクライエントは変容していくというのが基本理念です。
 この三本柱を分かりやすく表しますと「僕は君のことが大好きで、とても大切に思っている(受容)。だから、君が悲しいと僕も悲しい、君がうれしいと僕もうれしい(共感)。嘘じゃないよ本当だよ」と恋文になる訳です。
 さて、前号の「自分は優秀だ」と自己概念を持っているA君は成績が下がった際に、それを認めようとはしませんでした。 それはなぜか。その根底には、否定されること、非難されること、評価を下げられてしまうことなどの恐怖、あるいは不安があるからなのです。
 しかしカウンセリングでは決して、クライエントを否定せず、評価も下しません。全面的に相手を受け入れ、共感し、その態度には嘘・偽りがないのです。それを感じたクライエントは、ようやく心を開き始め、真実を語ります。自己洞察を始めます。また、自己受容し始めます。これがカウンセリング言うところの「気付き」と呼ばれるものです。
 気付き↓思考変容↓感情変容↓行動変容。
 つまり、ここで初めて「あるがままの自分」を発見し、自己概念を自ら変容させ、最終的に「性格」が変わるのです。また「気付き」は
「築き」に発展していくのです。
 

自己概念

 高校生の子どもを持つ親なのですが、もうこの年代になると性格を変えようとしても無理なのでしょうか?
 まず、他人や親が強制的に性格を変えようとしても、そう簡単に変わるものではありません。性格とは自らが変えていくというものであるからです。
 例えば、「自分は優秀な人間である」と高い自己評価を持ったA君がいたとしましょう。このように自分が自分をどのように評価しているかを「自己概念」と呼びます。また、これを性格と考えていただいても結構です。
 さて、その優秀であるとの自己概念を持ったA君、試験で思うような成績が取れなかった…その時、A君はどのように考えるか、「今回、成績が下がったのは、教える側の先生に問題があるんだ」「試験前日に母親と喧嘩したから、精神的に不安定だったからだ」と成績が下がったという事実を認めようとせず、他者に責任転嫁します。
 人間は自分の持つ自己概念を守ろうとします。これが「防衛」と呼ばれるものです。
 また、マイナスの自己概念であっても同じように防衛は働きます。「自分は能力のない人間だ」との自己概念を持つB君が試験で100点を取った。しかしB君は「たまたま運が良かっただけだ」「今回はまぐれだ」と自分の自己概念を守ろうとします。このようにA君、B君の状態を「自己不一致の状態」と呼びます。
 さて、この自己不一致の状態を自己一致の状態に変容させるのに有効な手法がカウンセリングなのです。このカウンセリングの手法を「クライエント中心療法」と呼び、日本のほとんどのカウンセラーがこの療法を基盤にしております。
 それでは、自己不一致のクライエント(カウンセリングを受けに来る人)をどのような手法、技術で自己一致の状態にするのか…につきましては次号で詳しく説明します。
 

リストカットついて

 前回はうつ病についての内容でしたが、うつ病とリストカットには何らかの関連性はあるのでしょうか?
 リストカットと言えば、手首の動脈を切り、死に至る…と考えがちですが、すべてがそうだとは言えません。
 自ら命を絶つという明確な意思で手首を切るのではなく、死なない程度に、それも手首に限定せず、主に腕辺りを、カッターナイフやはさみで軽く切る場合があります。これを「リストカット症候群」と呼ぶのですが、その「切る」動機は、@自分の腕を自分自身に見立てて切る場合A親と見立てて切る場合B切った個所を親近者、あるいは他者に見せることによって自分の苦しみを理解してほしいという場合。C腕から流れる血を見て安心を得ようとする場合(自分は生きている、自分の体から不純なものが出ていっている)などと、人によってさまざまです。特に私の事務所に来所されるクライエントさんは、「今の苦しみを理解してほしいから切る」というケースが多いようです。
 しかしながら、そこに危険性が生じるのは、睡眠薬をアルコールで飲み、酔っ払い状態、つまり無意識の内に切っていたという場合には、その飲酒行動を止めなければいけません。無意識で切るのですから、そのカットが動脈に達するということも有り得るからです。また、このリストカット症候群は「癖」になりやすいというのも特徴として挙げられます。
 うつ病の自殺念慮からくるリストカットであるのか、死ぬ気のないリストカット症候群なのかの判断は難しいところですが、どちらにせよ、まず今、本人が抱えている問題 に着目し、そこを理解してやることが先決です。本人のつらさを理解してあげてください。
 

うつ病について

 最近、うつ病についてテレビなどでよく報道されていますが、うつ病とはどのような病気なのでしょうか?また、子どもにも、うつ病はあるのでしょうか?
 うつ病は別名で「気分障害」「心の風邪」または「頑張り病」とも言われ、不治の病ではありません。うつ病にかかりやすい性格は、「きちょうめん」「真面目」「完璧主義」などが挙げられます。これを専門用語では「病前性格」と呼ぶのですが、このような人が、大きな環境の変化(転校、転勤、結婚、昇進、引っ越し)が起こったり、愛する人、または自分にとって大切な人との別離や死別体験(対象喪失)が生じた時などに発症しやすいと言われています。よって、子ども(思春期)であってもうつ病にかかる可能性はあります。
 主な症状ですが、精神面では無気力、集中力の低下、焦燥感、人と会うのがいや、自殺願望などで、身体症状としては不眠(寝付けない、早期覚醒)、けん怠感、食欲不振などの自律神経機能の障害や内分泌機能の障害が中心となります。
 しかし、われわれ人間は日常生活においてさまざまなストレスを受け、一時的にこのような状態になることはしばしばです。よって早々にこのような状態になったとしてもうつ病であると決め付けてはいけないのです。うつ病か否かを診断するのは専門医です。症状が長引くようであれば受診してみてください。
 さて、それではどうすればうつ病は治るのかということなのですが、まず医師から処方された薬をしっかりと飲むこと。2番目は家族の理解です。うつ病は心が弱い人がなる病気ではなく、普通の人なら途中で投げ出してしまうところを、限界まで頑張り続けてしまうからうつ病になるのです。
 故に「頑張りなさい」などの励ましはしてはいけないのです。 家族のうつ病に対する理解、並びに苦しんでいる本人への共感的理解が必要です。
 

年間目標の立て方

 わが子に限らず、今の子どもたちは目標を持たない、また持てないような気がするのですが、どうすれば子どもたちに人生の目標を持たせることができるのでしょうか?
 「一年の目標を立てられない者が、一生の目標なんて立てられるはずはない!」という言葉が母親の口癖でした。故に毎年毎年、年間目標を立てさせられたものです。しかし、そのほとんどは未達成。それはなぜか?実はそれは母親に強いられて立てた目標だったからなのです。
 目標とは…「いついつまでに必ずこれをやり遂げる」と期限を設け、さらには言い切る事なのです。 そこで私なりの目標達成のコツをー。強いられた目標、強いられたとは言わないまでも、他者に介在された場合、その目標は「しなければならないこと」となります。
 ある主婦が「去年はなかなか掃除ができなかったから、今年は奮起して嫌いな掃除を毎日するぞ!」との目標を掲げました。しかし3日坊主。そこに残る感情は「後悔、自責の念、自己否定感」です。嫌いなことをいやいやながらしていても、効果は上がらないのです。
 結論は「自分がしたいこと」をイキイキワクワク、楽しみながらするものこそが目標である…ということです。もし、前述の主婦が「私は掃除が苦手だから得意な料理をさらに極めよう!」と目標を立てていたならば、「達成感、有能感、自己肯定感」を持ち、プロの料理人になっていたかも知れません。
 よって子どもの立てた目標にケチをつけない!追加しない!したいことを目標とさせる!
 また、「あんたの今年の目標は何や!」と、しかめっ面で子どもに聞くのではなく、「今年、あんたは何をしたい?」「どんなことがしてみたい?」と仏顔、えびす顔で聞くと、その質問に対して返ってくる答えが子どもの目標になるのではないでしょうか? さあ、決まった目標に向かって、前進!前進!
 

「親近効果」について

 小学生の子どもを持つ親なのですが、言う事言う事がすべて裏目に出て、なかなか思うように育ってくれません。基本的な指導方法が間違っているのでしょうか?
 今、風邪が流行しています。子どもが風邪を引かないように、どのように注意を喚起されているでしょうか?「うがいをしないと風邪引くよ!」「しっかり手洗いをしないと風邪引くよ!」「そんな厚着しているから風邪引くねん!」等々…。実はこれらの言葉は逆に「あなたは風邪を引きなさい」と言っているのに等しいのです。「えっ、何で?」とお思いでしょうが、人は言葉の最初より最後の言葉に反応しやすいという心理学的理論があります。これを「新近効果」と呼ぶのですが、読んで字のごとく、新しく近い情報の方が効果的、つまり影響を受けやすいという事です。
 もう、ここまで読まれた段階でお分かりかと思いますが、「うがいをしないと」という言葉より「風邪を引くよ」という言葉の方が子どもにとって影響力があるのです。また、違った言い方をすれば、風邪を引くという「前提」で注意をしていると言えます。
 風邪を引く事はもちろん、子どもにとっては恐怖であり不安です。その恐怖感、不安感で自己免疫力が低下し、風邪のウイルスに感染しやすくなるという理論です。それでは、どのような言い方が良いのでしょうか。
 「うがい、手洗いをしていると風邪は引かないよ」と、風邪は引かないという前提で伝えてあげるという事です。この理論からいきますと「しっかり勉強しないといい学校には入れないよ」から「しっかり勉強しているといい学校に入れるよ」と言葉を変えるだけで、子どもは思うように育ってくれるのではないでしょうか?「こんな事書いている自分が風邪引いたら説得力ないよなぁ…。絶対に風邪引いたらアカン」と感じている私ですが、明日から風邪で寝込んでいるかも…。
 

「いじめ」について

 最近「いじめ」が問題になっていますが、なぜ、いじめは起こるのでしょうか?また、事前に予防する手立てはないのでしょうか?

 私も長年、教師をしていましたが、いじめの原因もさまざまで、またいじめ予防に最善の努力を尽くしましたが、いじめ根絶には至らなかったのが現実です。まず、数多の原因の中で考えられる要因として、精神分析理論で有名なフロイトは、「人間には破壊願望という本能的なものが内在している」と述べています。また、人は本来、自己中心的で快楽を求める動物であるという「性悪説」です。これはあくまで一つの理論であり、普遍的なものではありません。しかし、それを裏付けるある実験があります。自分が好意を持つ人がつらい思いをしている場合、脳内では、アドレナリン、ノルアドレナリンという不安や怒りを表す神経伝達物質が出ます。逆に嫌いな人、見ず知らずの人がつらい思いをしている場合には、ドーパミンという快楽物質が出ているという実験結果が出ました。「人の不幸は蜜の味」と、言いようがない悲しい結果です。
 しかしながら、人間には、また、人間のみに与えられた「理性」というものがあります。故に善悪の判断、決定ができるのです。その理性の元になるのが、「情緒」です。人の痛みや苦しみを「共感する力」と言ってよいでしょう。つまり、理性を働かせるために必要な事は、情緒教育、心の教育という事になります。
 道端で雀が死んでいたのを子どもが見付けました。その子どもはお母さんに「すずめのおはかを作ってあげる」と言ったところ、そのお母さんは「汚いから触ってはだめ!」と叱ったそうです。せっかくの子どもの慈悲心を否定しているのです。
 教育とは教え育てる事です。その二つの機能が一つになってこそ、教育なのです。昨今の教育現場を見ていますと、教える事のみに力を注ぎ、育てる、育む事はおざなりになってしまっているような気がします。
 

こんな相談は誰に?

 前号の続き。「どのような人に相談するとすっきりしたり、問題が解決するのでしょうか?」

 本来ならカウンセラーと答えたいところですが、この不景気の時期にお金を掛けてまでカウンセリングを受ける必要はありません。前号とは反対に相談する相手をしっかり選べば、大抵の問題は解決できるのです。
 では、どのような人に相談をすれば良いのかという説明をします。その相手とは「無構えの人」です。無構えな人とは、自然体で「あなたのお話、どこからでも聞かせてもらいますよ…」というような人です。肩に力を入れて「私が何とかしてやる!」というような状態の人は構えている人なのです。
 また、無構えの人を違った言い方に変えると「ピカピカに磨かれた鏡のような人」という事です。人は一日、何度か鏡を見ます。鏡を見る事によって「今日の私、疲れているなぁ…化粧乗りが悪いわぁ」とか「イライラしている時の顔ってこんなに醜いのぉ…」と、今の自分に気付きます。
 また、洋服を合わす時にも、色合いや、コンビネーションを鏡で確認して、決定される事でしょう。でも、もしその鏡がほこりまみれで見えにくかったり、ひびが入っていたり、割れていたりするとどうでしょうか?正確なあなたの姿を映し出す事ができません。このような場合、鏡をふくか、新しい物に買い換えるかで済むのですが、あなたの心を映し出す鏡はどこに行っても売っていないのです。
 故に鏡のような、無構えの人と話す事によって、自分の心の状態が分かったり、あるいは自分の矛盾点に気付いたりするのです。抽象的な説明で分かりにくかったかも知れませんが、何となく感覚的にお分かりいただけたでしょうか?
 最後に人はどのような時に無構えになれるか?その人の事を愛し、尊重し、今は何もしない事が、この人にとって必要であるという事が分かっている状態の時なのです。
 

こんな相談は誰に?

 子どもの事や家庭の事で悩みが山積状態なのですが、誰に話を聞いてもらっても解決するどころか、後で後悔が残ります。話す私側に問題があるのでしょうか?

 話すあなたには何の問題もありません。ただ、あなたに問題があるとしたならば相談を持ち掛ける相手の見極めが不十分であったという事です。かといって、相談に乗ってくださった方は決してあなたを落ち込ませてやろうなどの悪意はないはずです。それではなぜ、すっきりしないのか?後悔が残るのか?をご説明します。
 まず、相手はあなたの話を聞くや否や、「自分も同じような経験がある」、あるいは「あなた以上につらい思いをした」との苦労話からスタートしていきます。それはそれで同じつらい経験を共有できていますので、ここまではいいのです。
 次からが、後悔が残る原因となるサイクルです。「でも苦労はしたものの、今では苦労の甲斐があっていい状態である」と自慢話へと移行してくるのです。これがまた長〜い。そして最終の締めは「安易な励まし」↓「頑張り!」、または「安易な未来予測」↓「絶対大丈夫!」。まだここで終わればいいのですが、時に「そんな事くらいでメソメソしてたらあかん!もっと強くならないと!」と説教で終わります。例えばその相談時間が1時間だとしたら、あなたが話した時間はたかだか10分程度、後の50分は相手の独壇場となってしまっているのです。
 もう一度整理します。「苦労話から自慢話へ、自慢話から説教へ」。このコミュニケーションサイクル(会話の乗っ取り)で攻撃(?)されるとたまったもんじゃないです。後悔が残って当たり前です。まるで傷ついた個所に塩を塗られた感覚だったでしょう。
 「過ぎたるは及ばざるがごとし」「大きな親切、大きなお世話」。
 それでは次号では、どのような人に相談を持ち掛けるとすっきりするかに言及していきたいと思います。
 

沈黙を制する者、カウンセリングを制す

 高校生の娘なのですが、病院で抑うつ神経症との診断を受けました。医者からは投薬治療に併せカウンセリングが必要と言われたのですが、当の本人はカウンセリングでも、家でも何も話さない、またいろいろと聞いてみるのですが、何も答えません。どのように子どもと接すれば良いのでしょうか?

 私の所にも、思春期の子どもで何も話さない、また何を聞いても「分からない…」と一貫して沈黙するクライアントがいます。私がまだカウンセラーの初心者のころはそのようなクライアントが来所した場合、「もうお手上げ」状態でした。また何も話さないのになぜカウンセリングを受けに来るのかも不思議で仕方がありませんでした。しかし今では私も多少、腕を上げ(?)効果の出るカウンセリングができるようになりました。
 まず、「何も話さない」…確かに親や私に何も話していないのですが、実はこの沈黙の間、クライアントは自分と対話しているのです。「クライアントの心の中には超一流のカウンセラーがいる(インナーカウンセラー)。そのインナーカウンセラーはいくら腕のいいカウンセラーであっても足元にも及ばないほどの技量を持っている。だからその沈黙の間は、へたな口出しをしてはいけない」というのが私の信条です。故に話さないから問題が解決しない、病が治らないのではなく、自己対話をしている時にそのクライアントの魂を静かに見守る事ができるから良くなっていくのです。
 次に「分からない」…ですが、分からないからこそ、インナーカウンセラーに聴いているのです。カタツムリが動き出すには適度な湿度と静けさが必要です。角出せ、やり出せ、頭出せとつついたりすると余計に動かないのです。適度な湿度は温かさ。静けさは沈黙を見守る力です。「沈黙を制する者、カウンセリングを制す」と言われます。どうか子どもの魂に存在するカウンセラーの力を信じ、子どもの沈黙を大切にしてあげてください。
 

カウンセリングを受ける前に

 子どもの事でカウンセリングを受けても、ただ話を聞くだけで何もアドバイスをしてくれないと友人から聞いたのですが本当にそうなのでしょうか?

 確かにカウンセリングに対して、そのような不平、不満をよく耳にします。ではなぜ、そのように思われるのかをご説明します。
 まずカウンセラーはクライアント(来談者)に対してアドバイスをしないように心掛けています。その理由は、アドバイスをする事によってクライアントの悩む力、あるいはクライアント本人が自分と向き合い、考える機会を奪ってしまうからです。
 昔は「非指示療法」※(現在ではクライアント中心療法)と言われる程、徹底してカウンセラーは指示や自分の意見を述べてはならないと言うのが原則でした。しかしながら、現在ではあらゆる問題が多様性を帯び、従来の非指示的なアプローチだけでは限界点に来ているのが現状です。例えば、不登校の子どもを抱える親に「どのように対応するのがベストでしょうか?」と聞かれた場合、「どのように対応すれば良いか迷っておられるのですね…」ではクライアントは納得しないでしょう。対応方法が分からない故の質問なのですから。また高い所が怖いと訴えるクライアントに「それは不便ですね…」しかりです。
 現在のカウンセリングでは前述した多様化した問題に対応するためにさまざまな心理療法を折衷的に使いこなしています。先の不登校の例では「心理教育」という手法、高所恐怖に対しては「行動療法」という幅広い知識と技術を持っていなければ、クライアントのニーズに合った治療、援助ができないのです。つまり、ただ聞いているだけのカウンセリングとはクライアント中心療法でしか対応していないカウンセラーと言っていいでしょう。よってカウンセリングを受ける前には、電話などで今の状態、そしてそれに対してどのような治療、援助をしてもらえるかを確認してから行かれる事をおすすめします。
 

どっちもうれしい理論

 小学校低学年の息子なのですが、自分の思い通りにならないとかんしゃくを起こします。どうすればよいのでしょうか?

 日曜日に家族そろってピクニックに行く予定を立てていました。しかし前日の天気予報は曇り後雨…降水確率50%と微妙な天気です。子どもたちはてるてる坊主を作り、「明日は必ず晴れますように…」と天の神様に向かって懇願しています。窓を開けては空を眺め、天気予報が変更にならないかとテレビのチャンネルを何度も変えて、なかなか寝る時間になっても寝ようとはしません。恐らく寝たとしても明日の天気が気になって眠りは浅いでしょう。このような場合、親は「そんなん明日にならんと分かれへんねんから、早く寝なさい!」と言いたくなるケースですね。
 この話のポイントは、明日「晴れるとうれしく、雨が降ると悲しい」という事です。恐らく雨が降ると子どもたちは落ち込むでしょう。さて、このような場合どのような手段を使えば子どもは納得し、安心して床に就くのか、実は意外と簡単な方法で解決します。
 前日に家族そろって「もし雨でピクニックに行けなかった場合、どうして楽しく日曜日を過ごすか」の案を練るのです。例えば屋内で遊べる所を探す。家でたこ焼き大会をするなど、子どもの喜びそうなプランを親が提示、提案してやるのです。そうすると純粋な子どもは、雨天の時のプランにも興味を示してきます。逆に「それなら明日、雨の方がいいかも」と言うかも知れません。この手法が「どっちもうれしい理論」です。
 われわれ大人であっても、ある状態になればうれしくて、そうでないと悲しいという状況下に身を置かれます。そういう場合にこそ、思い通りになる事に祈りを捧げるエネルギーを、不本意な結果になった時にそこから得られるプラス面を考えるのです。これが恒常化していくと「迷いのない楽観主義者」になれます。時に思い通りにならなかった時にこそチャンスがあるものなのです。
 

長所は長所、短所も長所

 新たに高校生としての学校生活が始まりました。しかし、最近「自分はダメだ。値打ちのない人間だ」と自己否定ばかりしています。どうすれば自分に自信がつくのでしょうか?

 特に思春期には自己否定感が高まったり、逆に自己肯定感が高まったりと不安定な時期に入ります(両価性)。そのような場合の親としての対応の一例です。
 「そんな事ないよ」「あんたがそう思っているだけ」と励まします。しかし、そのような励まし方は非常に漠然としている上に、総論のみの会話となってしまいます。
 まず、ここで必要な対応は「質問」です。
 「なぜそう思う?」「いつからそう思い始めた?」…以前にも書かせていただきました「Q&A」でなく「Q&Q」です。その質問に対して子どもは自分の「短所」を語るでしょう。
 さて、そこからが親の「カウンセリング的コミュニケーション」としての腕の見せ所です。私の持論…「長所は長所。短所も長所」。子どもの短所を単眼的に見るのではなく、多眼的に見てやるのです。例えば子どもが「決断力がない」との短所を述べました。そこですかさず、「あ〜それであんたは何をするにも慎重なんやね」と短所を長所にひっくり返すのです。あるいは「内向的な自分が嫌」と子どもが言った場合には、「自分の事をしっかりと見つめる自己洞察力があるって事じゃないかな」等々です。
 私が代表を務めるカウンセリング研究会でも、この作業にかなりの時間を使います。なぜなら「自分を肯定できない間は、他者も肯定しにくい」というカウンセリングの原則があるからです。これこそが人間が生きていく上で最も崇高な「自己肯定」です。そして自己肯定が生み出すのは「他者肯定」です。
 「アイムOK、ユアOK」という人間観です。まず私(親)がアイムOKになって、子どもに接するという姿勢で対応してみてください。単眼から多眼へ!悲観から楽観へ!
 

したい事

高校生の息子が「毎日がおもしろくない」とぼやきながら過ごしています。どうすれば充実した日々を送れるのでしょうか?

 私が代表を務めるカウンセリングの研究会で、「どのような日が充実した日であり、また反対にどのような日が充実しなかったか」との質問を発しました。それぞれの意見が出ましたが、最終的には「しなければならない事が多い日は充実感がなく、したい事ができた日は充実感があった」との結論。同じ一日ならしたい事をしたい時にして、毎日を過ごしたいものです。しかしながら、したい事だけをしていたのでは、学校でも、また社会でも適応していきません。さて、それではどうすれば良いのか?答えは簡単です。しなければならない事をしたい事に変えていく工夫をするのです。
 あるアメリカの工員が単純作業(手作りでの箱の組み立て)に従事していました。ほかの工員は、作業が単純すぎる上に会話がほとんどない環境下でストレスをため、次々と退社していきました。しかしこの工員はこう考えました。「しなければならないと思うからこの仕事が苦痛なんだ。よし、今この仕事を『したい事』に変化させてみよう」。さて、この工員は何分で一つの箱を作れるかという時間的記録にチャレンジし始めました。日に日にたくさんの箱が短時間で作られていきます。
「今日は昨日より3秒も記録を縮めたぞ!」と。毎日が「一人オリンピック」です。そして、その箱作りの速さが上司の目に留まり、この工員は後に社長にまで出世したのです。 料理嫌いなお母さんが料理教室に通い始めてから料理を作る事が「したい事」に変わり、その結果、今まで以上においしい料理が出来上がり、レパートリーも広がっていきます。
 ぜひともこの話を子どもに聞かせてあげてください。また、親も一緒になって考えてみてください。
 ちなみにこの原稿を書くのは私にとって「したい事」であるという事を付け加えておきます。
 

青い鳥症候群

昨年、高校を卒業したものの一向に職に就こうとせず、アルバイトも長続きしません。これが今、話題となっている「NEET(ニート)」なのでしようか?

 (N)ot in (E)mployment, (E)ducation or (T)raining「職に就いておらず、学校などの教育機関に所属せず、就労に向けた活動をしていない15歳から34歳の未婚の者」というのが英国で用いられたニートの定義です。この定義から推察すると、お尋ねのケースではニートというより、「フリーター」という職種(?)ではないでしょうか。長続きはしないまでも、就労意欲はあるのですから。一概にニートといってもさまざまな類別があり、またその種類によって対応が変わってきます。よってここでは「就労意欲低下問題」についての私見を述べさせていただきます。
 メーテルリンクの書いた「青い鳥」は有名な話です。チルチルとミチル兄弟は幸せの青い鳥を探し求めて旅に出るのですが、なかなか青い鳥を見付ける事はできません。疲れ切ってわが家に戻ると、何と青い鳥は自分たちの鳥かごの中でさえずっているのです。
 私はこの話を思い出す度に、家庭での「在り方」を考えずにはいられません。「早く青い鳥を探して来なさい!」と親から圧力を受けていると感じている青年もいるかと思われます。「伝書鳩」のごとくです。しかし探し当てるのは「はげ鷹のような鳥、インフルエンザにかかったような鳥」しか見付ける事ができないのです。だから逃げ帰って来るのでしょう。先程の話では「青い鳥」は自宅の鳥かごでさえずっていました。まさにその青い鳥こそ、親であり、家庭であると私は感じるのです。
 追い出すように「仕事を探せ!」と言うのではなく、子どもと一緒になって、どのような職種に就きたいのか、自分は何に向いていると思うのか等々のコミュニケーションこそが「青い鳥たちのさえずり」だと思います。本当の「青い鳥」は家庭に存在するという事を結文とさせていただきます。
 

「親バカ」のススメ

思春期の子どもを持つ親なのですが、このごろはどのような子どもであっても「第二反抗期」はあるものでしょうか?

A 第二反抗期はあります。…というより反抗期がないと子どもから大人になれないのです。子どもは親に育ててもらったという「恩義」と共に、支配されていたころ(自分の思った通りの行動を制約された時期)の「恨み」との両方を心の中で貯蓄しています。ここで、まず果たさなければならないのは「恨み」の方です。
 このころの子どもは親の生き方を否定したり、また自分の考えや行動を正当化します。時には親に向かってバカ呼ばわりする場合もあります。しかしながら、これらの言動は大人へと移行するために必要不可欠なものなのです。
 親といっても完璧な人生を送ってきたわけではありません。また完璧な子育てなどというのは不可能であり、また何をもって完璧と言うのかの定義付けも定かではありません。
 「親バカ」という言葉があります。誤解を恐れずに申しますと、世の親はみんなバカなのです。その理由は子どもに対して「愛情・期待・責任」があるからです。特に子どもが思春期に入ったころより、そのバカに拍車が掛かります。その結果、子どもはここでようやく「うちの親はバカだったんだ」という事に気付くわけです。
 今まで子どもは親が書いた脚本通りの生き方をしてきました。しかし、この時期にその脚本の手直しを行います。これを交流分析理論では「人生脚本の書き替え」という表現をするのですが、自分の進みたい道、自分の思う生き方を模索し始める時期です。つまり、子どもから大人へと成長し始めているのです。よって私は「第二反抗期」とは呼ばず「第二成長期」と呼んでいます。
 そして、その「恨み」を果たし、大人となり、結婚式で子どもは「お父さん、お母さん、生み育ててくれてありがとう…」と「恩義」を果たすのです。

苦手克服に行動療法

高校生になる娘なのですが、高い所を非常に怖がります。どのような対応をすれば恐怖感が取れるのでしょうか?

マラソンランナーの高橋尚子さんが、先日東京国際マラソンで2年間のブランクを乗り越えて、見事、優勝を果たしました。2年前の同じ東京国際マラソンで39q地点での坂道で失速し、優勝を逃したという、彼女にとっては、ある種の「トラウマ」であったものを彼女自身で乗り越えたのです。「幾度も走るのをやめようと思った。でもこのままでは終わらせたくないという決意で出場を決めた」と語っておられました。
 人間というのはもともと臆病な生き物で、二度と同じ轍(てつ)を踏まないよう、その失敗から逃避しようという傾向が強いようです。その失敗を乗り越える手段、方法として「行動療法」というものがあります。
 高い所が怖い、という何がしかの過去の経験から来る記憶が脳に「不快情報」として記録(条件付け)がなされているのです。行動療法ではこのような場合に、どのようなアプローチ(治療)をするのかというと、高層ビルの最上階のレストラン、この場所で食事をするに当たって、最高の状態、状況を設定するのです。例えば、自分の一番のお気に入りの服を着て、自分の大好きな料理を、自分の最愛の人と食べる。そうすることによって「不快」とインプットされている情報、記憶を「快」の情報へと変換させるのです。高い所=怖い場所という認知から、高い所=楽しい場所と置き換え、塗り替え作業を行うことによって、高所恐怖症を克服するということです(逆条件付け)。
 高橋尚子さんはインタビューの中で「2年間つらかったでしょう?」という問いに、「このお立ち台に立った瞬間に今までの2年間は楽しい思い出に変わりました」と語っています。つまり、悪しき「記憶」を優勝という「記録」に塗り替えたのです。塗り替えたくない記憶もありますけれどね…。


「夫婦喧嘩の子どもへの影響は

子どもを産んでから私がノイローゼ気味で夫とのけんかも絶えません。子供に何か影響はありますか?子どもはまだ1歳です。

悪い影響はあっても、良い影響はありません。時に勘違いをしています。「子どもはまだ赤ちゃんだから、夫婦げんかの内容を理解できないだろう…」、あるいは「夫婦げんかは子どもが寝ている間、または子どもがいない時にしているから大丈夫」との勘違いです。確かに1歳の乳児期であれば、言語を理解する能力はまだ発達していません。また、子どもが寝ている間、いない間なら子どもがそのけんかを見聞きすることはないでしょう。しかし、考えること、理解することができない分、「感じること」にたけているのです。
 進化論の立場で考えたとしたならば、われわれの祖先は微生物であり爬虫類であり、哺乳類動物です。その時の記憶(本能)は現在においても人間の脳内にしっかりと残っているのです。しかしホモサピエンス以降、われわれは考える脳(新皮質)が発達したがために、その本能(原脳・動物脳)と呼ばれる脳幹や旧皮質を使わなくなった、あるいは使えなくなってしまったのです。しかし、1歳の乳児期では「考える脳」が未発達なのでまだ「感じる脳」が大人よりはるかに上回っているのです。動物は対峙する相手が敵か味方かを本能でかぎ分けます。また、地震を事前に予知し、安全な場に移動します。これらの能力は年齢が低いほど機能するのです。つまり、今、自分がいる空間が心地良いのかどうか、あるいは親の精神状態が良いのか悪いのかを本能で判断するということです。 「この子さえいなければ、あんたと離婚できたのに!」…赤ちゃんは言語は理解できませんが、「自分は親にとって不必要な存在である」ということを素早く察知し、それが心に刷り込まれ、自己評価の低い子どもになってしまうという結果となります。大人はだませても子どもはだませないのです。


「自殺について」

最近「自殺サイト」での若年層の集団自殺を含め、自殺者数が増加しているようなのですが、なぜでしょう?

まず、自殺の原因については、経済的な理由によるもの、うつ病者の自殺、生きている意味を見いだせなくて命を絶つ人とさまざまです。その中で今、問題になっている若い世代での自殺について述べさせていただきます。昔、自殺というのは人知れぬ場所で、また一人で命を絶つというのが大半でした。また、親より先に命を絶つ場合は「先立つ不幸をお許しください」との遺書が残されていました。しかし、現在では様相が変化し、一人で死ぬのは怖い、だから誰かと一緒に…という「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の集団心理が働いています。また、遺書も「先立つ不幸を…」から「自分が自殺するのは親のせいだ!」といった内容の文書を残しています。なぜこのような変化が起こったのか?
 まず、第一には「死」に対する概念の変化が挙げられます。大家族から核家族へと変化するに当たって、身近に死を体験する機会(祖父母などの死)が減少してきました。命の大切さ、死への悲しみと「喪の作業」をする機会が失われてきています。
 第二は、バーチャルリアリティーの世界(TVゲーム)の中で生きる子どもにとって、人の生き死にをゲーム感覚でとらえているという節があります。小学生低学年を対象にした調査で、死んでも生き返ると思うかどうかという質問に2〜3割の児童から「そう思う」と答えていることからも推察できます。
 あるカウンセラーの所に若者の声で「今から命を絶ちます」との電話がありました。その時にカウンセラーは「君の心臓は今、動いている!脈も打っている!呼吸もしている!これは君の体全体が、生きたい生きたいと叫んでいるんだ!君にはその声が聞こえないのか!」との一喝で自殺を思いとどまらせたという実話があります。各家庭で「死生観」について話し合う機会を持つことも大切です。


 

「失敗は成功のもと?」

昔から、「失敗は成功のもと」と言われますが、わが子の失敗にはなかなか寛容にはなれず叱ってばかりいます。どうすればいいのでしょうか?

「失敗は成功のもと」…確かにそうなのですが、私の場合には少し違った概念を持っています。「失敗は失敗。しかしその失敗から何かを学ぶことから成功は生まれる」ということなのです。失敗をした時に人は落ち込みます。しかしその落ち込みが長期化、あるいは習慣化されることによって自己否定感の高い子どもになってしまいます。
 過去の発明家や偉人の歴史を顧みると、失敗の繰り返しです。エジソンも数多の失敗を繰り返し、電信機、蓄音機、白熱電球などの発明に至ったのです。ケンタッキーフライドチキンの創業者、カーネル・サンダースも失敗に失敗を重ね、ようやく60歳代になって成功を果たしました。おそらく、一つ一つの失敗から何かを学んだのでしょう。また違った言い方をすれば、その失敗に成功のヒントを見出したのでしょう。心理学者のアドラーという人は「人間の最も驚くべき特性の一つは、マイナスをプラスに変える力である」と語っています。
 ついつい子どもが失敗するのを見ると、条件反射的に「何してるのよ!」と叱ってしまいます。親といえど感情を持った一人の人間なので致し方ないでしょう。しかし、ここで、少し認識を変えていただき、子どもが失敗した時に「今の失敗で何を感じた?」「次に失敗しないためにはどうすればいいと思う?」と尋ねてみる余裕を持ってみてはいかがでしょうか?そうすればその「失敗」は子どもにとって次に成功への「課題」となります。
 全国で「交通安全週間」というものがあります。その期間内は事故や違反は減少します。しかしその期間が終われば、また元通り。常に安全運転を心掛けている人の多くは、過去に事故を起こした人…という話を聞いたことがあります。事故という失敗から「安全運転」の大切さを学ばれたのでしょう…。


「質問技法」

夏休みに入ると必然的に家庭での会話が増えてきます。注意する点があれば教えてください(幼稚園児)。

幼少期の特徴として「質問が多くなる」ということが挙げられます。一つの質問を例に考えていきましょう。4歳児が母親に「天国と宇宙はどちらが遠いの?」と質問しました。さて、読者の皆さんは、この質問にどのように答えるでしょうか。
 まず、最初に「いい質問だね」と質問をしたことに対して褒めてあげるということが大切です。子どもは質問の天才であり、また質問をしている時というのは脳が活発に働いているのです。ここで「そんな答えにくい質問はしてはいけません!」、「しょうむないこと聞くんやなぁ…」などと嘲笑したりすると、子どもは「質問することはいけないことなんだ」と自主規制をかけてしまうのです。つまり「脳力」が育っていかないのです。
 さて、ここで賢明な母親は「○○ちゃんは宇宙に行った人は知ってる?」と聞きます。子ども・「うん、前にテレビで見たよ」。母・「その人は帰って来たかな?」。子ども・「うんロケットに乗って帰って来た」。母・「じゃあ天国に行ったおじいちゃんは帰って来た?」。子ども・「まだ帰って来てない」。母・「そうかぁ…宇宙に行った人は帰って来たけど、天国に行ったおじいちゃんはまだ帰って来てないってことはどうやら天国の方が遠いみたいだネ…」。子ども・「あ〜そうかぁ。分かった。ありがとう!」。
 さて、ここでのポイントは「Q&A」ではなくて「Q&Q」から「A」を導き出したという手法です。これは「質問技法」と呼ばれるカウンセリング技法の一つですが…すぐに答えを出す、または質問に答えない。これらの対応は子どもの「脳力向上」を止めてしまいます。質問は向上心、向学心、好奇心の表れですから、真しな態度で答えてあげてください。
 「あ〜今日はいい風が吹いているわ〜」、「じゃあ
お母さん、悪い風ってどんな風?」。さて、どのように答えられるでしょうか?(難問)


「ジェラシーの概念」

今年度、PTAの役員を引き受け、家庭と学校の連携を深めるためにいろいろな案を出したのですが、ことごとく反対され、スタンドプレイが多い人との悪評、または身に覚えのないデマが流され困っております。それが子どもへのいじめにつながらないかと心配しております。

心中、お察し致します。私も、「元暴走族カウンセラー」ということで、有りもしないデマ(ブランド品に身を固め、ごう慢な鼻持ちならない乱暴な男)、中傷を受け、心を痛めた時期もありました。今では少し成長したのか、「悪評も評価の一つ、しめしめ深田も名を上げたな」とほくそ笑んでいます。
 さて、このようなデマや中傷ですが、もちろん身に覚えのある部分は反省しなければなりませんが、そのほとんどが「嫉妬」から来るものです。自分のコンプレックスを刺激されてデマを流す…これが精神分析医のフロイトの言うところの嫉妬(ジェラシー)の概念です。 過去の歴史をかんがみれば、地動説を唱えたコペルニクス、人間の無意識を発見した前述のフロイト等々、新たな発見や、前例のない行動を取る人たちのほとんどは批判され、迫害を受けております。しかし最終的に「本物」は認められ、常識となっていくのです。
 また、「ジェラシーは悪しきもの」だけとは限りません。メラリー・クラインという人は「ジェラシーは向上心の表れであり、それを建設的なエネルギーに転嫁し、人は成長する」と唱え、それを「エンビー」と名付けました。ジェラシーから流言飛語を流す人たちが、向上心、成長の源である「エンビー」を持つことに希望を持ち、あなたの取る行動が正しいものであればそれを貫き通していただきたいと思います。その生き方が子どもに伝わります。その強さを親から学びます。いじめに遭ったとしてもそれをはねのける強い子どもになることにも希望を持ってください。「期待」は裏切られるが自分の持つ「希望」は誰も裏切らない!


「人生、自分に起こる事はすべてベスト」

息子と考えに考えた結果、公立高校へ入学。何ら問題なく学校へ通っているのですが、周囲から「私学の方がよい」との意見に今、母親の私自身が選択ミスであったのかと揺れております。

結論から先に申し上げます。息子さんとお母さんが共に考えた結果、公立の高等学校を選択されたのであれば、その選択は決して間違いではありません。これはどちらが良いというような問題ではなく、親子共々、熟慮した結果の選択は常に正しいということなのです。 「人生、自分に起こる事はすべてベストである」というのが私の信念、哲学です。われわれ人間は常に迷います。後悔が生じます。しかし迷いや後悔が生じた時点、あるいは「選択ミスであった」と思った瞬時にその選択は間違いと化してしまうのです。やる気も失せ、自暴自棄にもなるでしょう。選択した自分自身を責めるでしょう。そのような生命状態では何をするにしてもうまくいかなくて当然です。
 「選択した以上、その選択が間違いでないということを証明するんだ」とポジティブ(肯定的)に捉えることにより、勇気がわいてきます。やる気が出てきます。また、知恵も出てきます。その結果、自分の思い通りの結果が生まれるのです。既に公立を選択し、通っているということは、飛行機に例えると「離陸」したのです。3年間の飛行が始まっています。
 その間、気圧、気流、天候に応じて臨機応変にうまく対応し、そして最後には「着陸」、つまり卒業となるのです。息子さんが操縦士で、お母さんが副操縦士です。既に離陸したなら、どんな障害があろうとも、またどのような困難があろうとも、「必ず目的地に着陸するんだ」との信念を持ってください。 前述の「人生、自分に起こる事はすべてベストである」と思うことですべてはベストとなり、「ベストではなかった」と思うことですべてはベストでなくなってしまいます。〜深田哲学より〜


「インナードクターについて」

昔から「病は気から」と言われますが、小学3年生の娘がよく病気にかかります。何か心に問題があるのでしょうか?

前号の続きです。病気にならない、また病気にかかったとしてもすぐに治す秘けつ。それは、「病気を忘れること」「病気だとあきらめること」 「楽しいことをしたり、楽しいイメージをすること」。この3つが重要だとご説明しました。今回はなぜ、この3つの法則を守れば病気になりにくいか、また病気になってもすぐに治るのかのメカニズムについてご説明させていただきます。 この3つの共通点は「病気を意識しない」ということです。われわれには健康になるエネルギー、病気にかからないためのエネルギー、病気を治すエネルギー、または、思い通りの自分になれる(自己実現)エネルギーがもともと内在しています。これを、かの有名な来談者中心療法のカール・ロジャーズは「内なる力」と呼んでいます。病気にかかった場合に、その病気に対して不安や恐怖心を持ちます。あるいは病魔と闘おうとします。当然です。しかし、これは病気を意識しているということになります。前述のようにわれわれは大宇宙から、人間という小宇宙に向かって「生かそうとするエネルギー」が注がれているのです。
 さて、ここからが本題なのですが、病気を意識するということは、そのエネルギーを病気に使ってしまっているのです。不安や恐怖、闘いがそうですね。つまり人を生かそうとする建設的なエネルギーのほとんどがなくなってしまっているのです。エネルギーの量は一定です。つまり配分の問題なのです。建設的なエネルギーは目標、目的、使命を果たすために使われるものなのです。よって、目標、目的、使命を持つ人は病気になりにくいし、なったとしてもすぐに治るのです。 もし、読者の皆さんが病気になった時には、病気自体を意識するのではなくて、病気が治った後に「したいこと、できること」をイメージしてみてください。そこに意識を持っていくように心掛けてください。そうすれば必ず免疫力が高まり、皆さんの体の中に存在する「インナードクター」が皆さんの病気を治してくれるはずです(自然治癒力)。


「病は気から」

昔から「病は気から」と言われますが、小学3年生の娘がよく病気にかかります。何か心に問題があるのでしょうか?

ご質問では、具体的にあなたの娘さんがどのような心の問題を抱えているかは分かりませんが、心的なストレスが体に悪い影響を及ぼすことは確かです。これを心身症(心が原因で体が病むこと)と呼ぶのですが、もしかしたら子どもを病弱にさせている原因を作っているのはお母さん自身なのかも知れません。  
少し非科学的(?)な説明になりますが、当然のことながら子どもが病気になれば心配でしょう。不安でしょう。またそれがストレスにもなるでしょう。それらのストレスを子どもは肌で感じ取ります。また、お母さんの不安げな様子を目の当たりにすることが子どもに伝わってしまうという仮説が成り立ちます。つまりお母さんのマイナスの「気」が子どもに波動として伝わり、病気を悪化させてしまう。また子ども自らが病気を作り出してしまうということなのです。  「もうこの子は体が弱くて、誰かが風邪を引くとすぐにもらってくるんですよ…」などの会話はよく病院で耳にします。それを聞いて「自分は、体が弱いんだ」ということが子どもの無意識に刷り込まれてしまうのです。つまり親が子どもに暗示をかけているわけですね。  
それでは病気にならないために、また病気にかかったとしてもすぐに治す秘訣を教えましょう。まず1つ目「病気を忘れること」。2つ目「病気だとあきらめること」。3つ目「楽しいことをしたり、楽しいイメージをすること」。この3つが重要です。つまり病気を「意識しない」ということが大切なのです。  なぜ、この3つの法則を守れば病気になりにくいか、またなってもすぐに治るのかのメカニズムについては次号でご説明させていただきます。


「心のケアはなぜ必要?」

最近、凶悪な事件が頻発して起こっていますが、子どもがそのような事件に遭遇したり、また目撃した場合の心のケアはどのようにすればいいのでしょうか?

まず、なぜそのような事件に遭遇したり、目撃した場合に「心のケア」が必要かというところの説明をします。
われわれ大人がショッキングな事件に遭遇、目撃したとしても、その瞬時、あるいは幾日かは恐怖を覚えたり、心が憂うつになったりしますが、その恐怖体験の記憶は時とともに薄れてきます。しかし、それが子どもの場合にはそうはいかないのです。あまりにも衝撃的な出来事を目の当たりにした場合、それを意識で受け止めるほどの力が備わっていないのです。前述のように大人が時とともにその記憶を忘却するのとは違って、子どもの場合には「無意識」に「抑圧」してしまう場合があるのです。
また、抑圧までに至らないにしても、あまりにも出来事がショッキングな場合、その直後(急性ストレス性障害)またはその後(心的外傷後ストレス障害・PTSD)にさまざまな症状として現れてきます。主な症状としては、悪夢を見たり、自分が目撃した事件と似通った状況に遭遇すると、以前の記憶が瞬時によみがえり、パニックを起こしてしまう(フラッシュバック)、また少しの物音などに過剰に敏感になり、過呼吸を起こしたりする(過剰驚愕反応)などです。
よってショッキングな出来事が後に尾を引かないためにも迅速な心のケアが必要となるのです。
具体的には、その出来事を「早く忘れなさい!」というような対応ではなく、いかに怖い思いをしたかという恐怖体験に耳を傾け、しっかりと受け止めてあげること(受容)、それと同時にその時に感じた感情に添ってやること(共感)が必要です。また幼児などでその恐怖体験をうまく言語化できない場合には、「遊戯療法」や「絵画療法」などの対応も必要とされます。よって、子どもがトラウマになるような経験に遭遇した場合には、ただちに専門家に相談されることが必要かと思われます。

 


 

  「達成させるための目標設定」

わが家では毎年、年頭に1年間の目標を立てるのですが、私も含めその目標を達成することができません。どのようにしたら目標が達成できるのでしょうか?

まず、その立てた目標に着目してください。大抵の場合は昨年、あるいは長年の「できなかったこと」を目標としているケースが多いのです。例えば子どもの場合、「昨年は自分の得意分野の勉強ばかりしていたので、今年は苦手な教科を克服しよう」、また、親の場合では「長年、子どもに対して指示ばかりしていたので、今年からはすべてを子どもに任せよう」等々。つまり昨年や長年の「反省」を土台にして、極端な「目標」を設定しているのです。  確かにこのような目標の立て方も悪くはないのですが、確率的に達成することは困難です。ここで観点を変えてみましょう。できなかったこと、苦手なことを目標とするのではなく、今までできていたこと、得意なことを目標として設定するのです。つまりは良い面 を「バージョンアップ」させるという方法です。  前述の例でいいますと、「得意分野の勉強をさらに強化させよう」「子どもにとって役に立つ指示、または子どもが望む時に的確な指示をしてやろう」という目標設定です。このような設定の仕方であれば楽しみながら、ワクワクしながら目標達成を望めるのです。また、そうすることで今まで苦手であった部分も知らず知らずの内に伸びてくるのです。自分の短所を治そうとする人は成功する確率が低いのでどうしても自己否定感が強くなり、逆に自分の長所を伸ばそうとする人は成功確率が高いので自己肯定感が高まってくるということなのです。  風見鶏は風が吹くと180度向きを変えます。しかしまた風が吹くと元に戻ってしまうのです。変化というのは徐々に緩やかな速度で起こるものであるということを念頭に置いていただき、目標を設定してみてください。きっとその目標は達成すると確信しております。

 


「ひきこもりA君への対応」その2漢方薬的対応の効き目

非行や不登校、引きこもりなどの問題行動から子どもを立ち直らせる為の対応ポイントはどのようなものなのでしょうか?
(〜続き) 2回目からの訪問で主に「雑談」を中心にA君との対話が進行していきました。その対話の中で、決して引きこもりの状態、ならびに引きこもっているA君に対して否定的な発言は一切せず、逆に引きこもっている間にA君が得た「気付き」に耳を傾け、それに関心を示すとともにA君の持っている良い面 を肯定していくという対応を続けました。  3か月後、A君に変化が表れました。「一体あんた、いつまでこの状態を続ける気なの!」との母親の発言に、今までなら「うるさい!」「ほっとけ!」「一生このままの状態や!」と言っていたA君が「今はまだこの状態を続ける」との返答に変わってきたのです。これは大きな変化です。つまり「今はまだ…」ということは「将来的にはこの状態をやめる…」とのメッセージなのです。  このような小さな変化こそが「漢方薬的対応」の効き目なのです。その後、数回の面 談を重ねた結果、先程のA君の発言から2か月後に部屋から出て、現在では留年したものの元気に学校に通 っています。  …以上2回にわたってA君の事例を紹介しましたが、ここでのポイントは、決して引きこもりの状態、ならびに引きこもっているA君を否定しなかった…ということです。なぜなら、人間は今の現状、または今の自分を「否定」している間は変化が起こらないからなのです。今の現状、今の自分を「肯定」して初めて変化が起こってくるのです。  例えば「赤面恐怖症」の人がその状態を否定している間はよくならず、「赤面 するのは私の個性」とその状態を肯定的にとらえた時点で症状が消失するようなケースがたくさんあるのです。  今回の事例のような場合では親、教師、周囲の人は子どもを否定しながら何とかしようとしてしまいます。時には体罰も辞さない…との「特効薬的対応」を取る場合もあるのですが、まず本人が「今を肯定できる」までの「漢方薬的対応」と親もそのような肯定感を持って接することがポイントだと思います。

 


「ひきこもりA君への対応」

非行や不登校、引きこもりなどの問題行動から子どもを立ち直らせる為の対応ポイントはどのようなものなのでしょうか?
ご質問のような問題行動を起こしている子どもたちへの「特効薬的対応」はほとんどないに近いと言っても過言ではないでしょう。よって我々カウンセラーは少し時間がかかってしまうのですが、「漢方薬的対応」を多く使っています。ここでは私が以前に担当しました「引きこもり」の子どもへの漢方薬的対応をご紹介致します。仮にその子どもをA君(高校1年生)としましょう。夏休みが終わってすぐに不登校となり、その後自室に閉じこもってしまいました。  親の依頼を受けて訪問カウンセリングを行おうとしたのですがなかなかA君は会ってくれません。数回の扉前払い(?)の後、ようやく会うことができました。初めは音楽の話題から入り、帰る間際になってA君に「今は君にとって引きこもってるのが必要だからこそ引きこもっているんやろな、長い人生の中でそのような時期があってもええかもな…」とだけ言って部屋を出ました。  さて、親はA君の部屋でどのような説得が行われているか期待と不安が入り混じった気持ちで待っておられました。私が部屋から出るやいなや「先生、子どもは説得に応じましたか?」との質問に「説得はしてません。ただ、今は引きこもることも必要かもな…とは言いましたけど」と言いますと目を丸くして絶句状態です。 この親は、私が「元暴走族」だったということで、違った期待をされていたようでした(私がA君の部屋に入る前に「先生、大怪我しない程度なら多少、手荒な対応は結構ですから…」とのことからの推察)。  しかし、これでカウンセリングが終わった訳ではありません。A君自らが次回の予約を入れてきたのです。  そこで、2回目からが本格的な「漢方薬的対応」になってまいります…(次号に続く)

 


「自己否定感」について

中学1年生の娘が最近、「私の鼻の形が悪いから皆が笑っている」と言い出し、学校に行きたがりません。どのように対応すればよいでしょうか?
このようなケースでは本人が思うほど鼻の形が悪いということはない場合が多いのですが、子どもにとっては整形手術までを考えるというような深刻な場合も出てきます。そのような場合、親や周囲の人たちは「全然、そんなことないよ」と慰めではなく「本音」を伝えます。しかしながら、当の本人は一向にそれを聞き入れないばかりか「誰も私の苦しみを分かってくれない」などと自暴自棄になってしまうのです。  さてこのようなケースではどのような心理が根底にあるのか…ということですが、実はそこにあるのは「自己否定感」なのです。つまり今の自分に自信が持てない場合にこのような身体的な欠点(本人のみがそう思っている)に置き換えて訴える場合が多いのです。  子どもが学校に行きたくない、または友だちと上手に関係をつくっていけない場合、自分の内面 的な弱さであったり、未熟さが原因だと認めてしまうと、ますます自己の評価を下げてしまいますし、また自己評価を上げるためにそれなりの努力をしなければなりません。ところがその内面 部分の未熟さを身体部分に置き換えることによって、子どもなりに大義名分?がたつのです。  特に思春期によく現れる症状なのですが、子ども自身が自己の評価を上げ、自分にOKが出た時点で全くといってよいほど、言わなくなります。逆にそれを自分のチャームポイントとして捉えることができたりするのです。よって子どもがそのようなことを言い出した時には、変に慰めたり、あるいは否定したりするのではなく、子どもが持つ内面 の良さを認め、そこにストローク(褒める)を送ってあげてください。つまり、子ども自身が自己評価を上げられるような対応が望ましいと思われます。

 


お母さんの顔

仕事に行かなければならない都合上、下の子どもは保育園に、上の子どもは留守家庭児童会に行かせているのですが、やはり親との接触時間が少ないと子どもになんらかの悪影響があるのでしょうか?(母親)
ある母親が私の事務所に一枚の絵を持ってこられました。その絵は子どもが保育園で「お母さんの顔」という課題で描いた絵だったのですが、その絵には顔は描かれずに勤めに出て行く母親の後姿が描かれていました。 実はこの家庭は母子家庭で、生計を立てていくために働きに出なければなりません。時には日曜日であっても子どもを残し、後髪を引かれる思いで仕事に出掛けられるのです。「うちの子だけなんです。顔を描いてないのは…これは何か子どもからのSOSなんでしょうか」という不安を抱いて来所されました。 そこで私はある一つの指示を出しました。その指示とは「今日、お家に帰られましたら、この絵に何かを描き足すように子どもさんに言ってください。そして描き足せた時点でその絵の感想を聞いてください」という内容でした。 さて一週間後、その母親は満面の笑みを浮かべて来所されました。おもむろに出された絵を見ますとなんと母親の後姿に沢山の「キラキラ星」が描かれているのです。そしてその子どもさんはこう言ったらしいのです。「おかあちゃんはいつも頑張ってるから、背中に星がいっぱいあんねんで。おかあちゃんは格好ええねん」。 今の事例でお分かりいただけたと思いますが、接触時間と愛情とは決して比例しないのです。子どもは短い時間の接触であっても、そこに密度の濃い愛情が詰まっていればそれで十分満足しているのです。 また、子どものために一生懸命頑張っているお父さんや、お母さんが大好きなのです。子どもに「なぜ、働かなければいけないのか」…などの理由を説明する時間があれば、その時間で子どもを力いっぱい抱きしめてあげてください。きっとそれは、子どもさんの心に届くはずです。

 


受験を前にして

 

いよいよ受験志望校を決める時期になってきました。受験生の子どもにとってはプレッシャーのかかる時期であると共に、親にとっても負担のかかる時期であるといえるでしょう。さて、今回は受験を控えた子どもへの対応を「カウンセリング的な応答」を基にして説明します。
 
  • 子どものイライラ感がひどくなってきた時の対応 まず、効果 のないのは「イライラしても仕方がないよ」というような指示的な言葉です。親にとっても経験があるかと思いますが、イライラしている時に「イライラしたらダメ」というように自分で自分に命令を与えても一向に解消しません。これは人間の「感情」というものは「思考」ではコントロールできにくいものだからです。逆にその命令が感情に届かないためにイライラ感が増幅してしまうのです。よって子どもがイライラしていると感じた場合には「そら、あんたもイライラするわなぁ」あるいは「イライラが治まるまでイライラしておかないと仕方がないね」と、子どもの気持ちに共感するような応答を心がけてください。
  • 子どもが進路について親の意見を求めた時の対応法 例えば「あの志望校は自分には無理かなぁ?」とか「お母さんはどの学校にしたらいいと思う?」など、不安定なこの時期には、やはり親の意見を聞きたがります。当然のことながら親としてその質問に「いい意見」を言ってやりたいと思われるでしょう。しかし、その質問にいきなり答えるのは得策とはいえません。なぜかと申しますと親の意見を聞きたいと思う以上に、自分の不安や葛藤を質問という形をとって整理しようとしているケースが多いのです。よって子どもが質問を投げ掛けた時には、まず「あんたはどう思う?」と質問に対して質問で応答してあげてください。そうすれば子どもは現在の葛藤や不安を語り始めます。そして多くの場合、その気持ちを語ることによって思考も感情も整理されていくのです。つまり答えるのではなく、子どもの感情に反応する「応える」を心がけてください。

学校の教師の評価について

小学校低学年の子どもなのですが、どうも担任の先生から良く思われていないような気がします。また子どもも家に帰れば不平不満ばかり言います。親としてどのような対応をすればよいのでしょうか?
私の教師経験からお話しますと、やはり教師も一人の人間ですから、「合う・合わない」というようなことはあるかと思います。言い換えれば、Aという先生から見れば「いい子」ではあるけれども、B先生から見れば「わるい子」というような「評価の相違」は多少とはいえ起こりうるのです。私の場合「いたずら坊主」を「元気な子ども」と評価しておりました。しかし、おとなしい先生から見ればその子は「乱暴な子ども」との評価になってしまうのです。 さて、ここで親御さんの留意点なのですが、まず先生の評価をそのまま「うのみ」にしないということです。自分の子どもを一番よく知っているのが親なのです。これが高校生くらいになると、親の知らない面 を教師が知っている…というようなこともあるでしょうが、小学生の場合は家庭と学校での行動にさほど差はないのです。それと子どもが先生の悪口を言った場合、原則としてそれに同調してはいけないといわれています。しかし本当にそのような一律的な対応で良いのでしょうか?例えば親から見て本当に担任の言動や認識が誤っていると判断されるような場合、親の本当の思いを押し殺して「先生はあなたのことを思っているから叱ったのよ。あの先生はとてもいい先生よ」など言ってしまいますと、子どもの「人を判断する基準」が狂ってしまう場合が考えられるのです。よってそのような場合には「お母さんもそれは少しおかしいと思うわ」との客観的判断、応答が必要となってくるのです。一緒になって先生の悪口を言うということでなく、その先生の評価が妥当なのかどうかということを熟慮して対応していただきたいと思います。また「うのみ」ではなく「参考」にするという気持ちで先生の評価を聞いてみてください。

 


人の性格について

前号の性格についての内容、興味深く読ませて頂いたのですが、それでは一体、子どもの性格はいつ頃から、どのような経緯で形成されるのでしょうか?また、親の何らかの関わりで性格を変えることは可能なのでしょうか?
性格形成の時期については乳児期説、幼児期説、原因としては遺伝説、環境説、輻輳説(遺伝+環境)などと諸説紛紛です。ここでは私なりの考えを述べさせていただきますと、幼児期での親や周囲との対人関係の中でいかに「得をしたか」「損をしたか」ということが性格形成の上で大きな要因となるのではないかと考えております。具体的にはこうです。
例えば、小さい頃に自己主張をして得をした、あるいは自己主張しないで損をした子どもはその学習(経験)から以後、自己主張をする子どもとなっていくでしょうし、逆に自己主張をしないことによって得をした、自己主張をして損をした子どもは自己主張しない子どもになっていくという単純明快な理論です。
つまり幼児期に得た「損得感情」を元に周囲に対して適応していこう、または適応するために防衛していこうという学習の結果 が性格を形成しているということになるのです。
私の事務所にも「性格改善」を求める来談者が後を絶ちません。そういう場合には今の理論を説明し、今まで学習してこなかった部分を再学習してもらうというアプローチをします。 つまり性格形成の原因に固執するより、適応能力を高め、自分の望む性格を形成し直すためのトレーニングをしてもらうのです。これをカウンセリングでは行動療法と呼ぶのですが、人によってはこのような行動的な療法が効果 を高める場合があります。
今回はやや専門的な内容になりましたが、あなたのお子さんはどのような「損得感情」によって性格が形成されたのかを検証していただいて、原因が分かれば、次に改善プログラムを子どもと共に考えていくという方法を取ってみてください。



人の性格は変わるのか

子どもの引っ込み思案の性格がとても気になり、折りに触れて、もっと建設的に物事を捉えるようにと言うのですが、なかなか変わりません。どうすればよいでしょうか?
心理の仕事をしておりますとよく「人の性格は変わるのか?」との質問を受けるのですが、結論から申し上げますと「性格は変わります」。それでまず、その「性格の定義とは?」ということなのですが、性格とはその人特有の「考え方の癖」そして「行動の癖」なのです。おたずねの例で申し上げますと、物事を悪いように考えてしまう癖、故に積極的になれないという行動の癖、そしてその癖の集大成が「引っ込み思案」という性格を形成しているとの論理になる訳です。つまり「性格は変わる」ということはその子ども特有の癖が取れるということなのです。ところがその「長年の癖」がなかなか取れないのが現状で、それが「性格は変わらない」といわれる所以でもあるようです。
さて、それでは親として子どもの癖、つまり考え方を変えさせる為にどのようにすればよいのかという本題に入っていきますが、「指示、命令、恐怖」を与えても変わりません。「このように変わった方が得」「考え方を直ちに変えよ」「さもなければあなたは不幸になる」というような対応ですね。このような対応をすればさらに子どもは自分の癖を強化していくのです。そうではなくて、その癖によってどれだけ自分はしんどい思いをしているか、或いはどれだけ損をしているかということに子ども自らが「気付くこと」が大切なのです。我々カウンセラーは決して、その性格を変えることを強制したり、論理的に説明をして変えさせようともしません。ただひたすら子どもの言い分を聴くだけなのです。そうすることによって、子ども自らが自分の癖に気付き、最終的には自分でそれを是正、修正しようと考え始めるのです。つまり子どもは変わろう、或いは、変えなければならないと思った時点から変化し始めているということなのです。よって子どもの性格を変えようと思うなら、「北風」ではなく、暖かい「太陽の光」でコートを脱がせるような対応をしてみて下さい。



好きこそものの上手なれ

小学生の子どもなのですが、なかなか勉強をしようとしません。どのようにすれば机に向かうようになるでしょうか?
これはアメリカの話なのですが、いきなり、子どもが「おとうさん、家で象を飼いたいんだけど」と言い出しました。さてここで皆さんならどのように答えるでしょうか?この父親はこう言いました。「そうか、それはいいことだ。それじゃ、象はどこに生息しているのか、また、象を飼うためにはどうすればよいかを一緒に考えよう」。  
まず象はどこに生息しているのか、象をどのような方法で輸送するのか。また、家を改造しなければならないが、その改造費にどれくらいかかり、その費用を捻出するためにはどれだけの節約が必要となるのかなどを一生懸命、議論、研究しました。その際に子どもは地理の教科書、生物の教科書、はたまた家計簿まで持ち出し、計算を始める始末。結局、子どもは象を飼うことを断念したのですがその結論に至るまでたくさんのことを学び、それぞれの分野に興味を持ち始めたのです。  
今の話でお分かり頂けるかと思いますが、子どもが興味を持ち始めると我々大人が想像もつかないほど、エネルギッシュになり、そしてそれを探求していく能力が発揮されるのです。算数が苦手で野球好きな子どもであるなら打率や勝率の計算を教える。あるいは理科は嫌いだけれどUFOに興味を持っているなら、星についての話をしてやるなど、少しの工夫で子どもは教科書を手にし、そして机に向かい始めるのです。  
株を買った途端に経済に強くなったお父さん、ご近所の人の名前を覚えられないのになぜかSMAPのメンバー全員の名前が言えるお母さん…。「好きこそ物の上手なれ」という言葉をもう一度思い起こして頂いて、子どもが勉強に興味を持てるよう工夫をしてみて下さい。



兄弟喧嘩

やんちゃざかりの男の兄弟なのですが、兄弟喧嘩が絶えません。親としてどのような対応をすれば良いのでしょうか?
まず、親は兄弟喧嘩をどのように見ているか?ということから考えて頂きたいと思うのですが、例えばお兄ちゃんの大切にしている玩具を弟が断りもなく勝手に引っ張り出して遊んでいた。それで、お兄ちゃんが親にそのことを訴えるわけです。「僕の大事にしている玩具を弟が勝手に出して遊んでるうー」。さて、この場合、親はどのような対応をされるでしょうか?  
もしお兄ちゃん寄りの対応であれば「その玩具はお兄ちゃんのやろ、そんなもん勝手に遊んだらあかんやん」と言われるでしょうし、逆に弟寄りであれば「あんたお兄ちゃんやねんから、それくらい貸したりなぁ」とおっしゃるでしょう。実はこのような場合、その兄弟喧嘩を親の「理性」で判断しているんですね。「理性」で判断すると物の「善悪」の区別 はつきやすいのです。また、違った言い方をしますと、兄弟喧嘩を「理性」で判断するが故に、親はその喧嘩に「どちらが正しくて、どちらが正しくない」という「審判」を下してしまうんです。  
それでは兄弟喧嘩を「理性」ではなくて「感情」で判断するとどうなるでしょう?お兄ちゃんに対しては「そら、大事にしている玩具で勝手に遊ばれたら腹立つわなー」と思うでしょうし、また弟に対しては「そら、この子もお兄ちゃんがあれだけ楽しそうに遊んでたら、自分も遊びたいわなぁ」とも思えますよね。そうなると親は両者の気持ちが理解できるので、おそらくどちらが正しい、どちらが正しくないというような審判は下さず、お互いの言い分をしっかりと聞いてやることができます。  
不思議なことにお互いの言い分や感情を聞いてやるだけで喧嘩が納まるケースが非常に多いのです。つまり子どもは審判を受けるというより、自分の気持ちを聞いてもらうことを望んでいるということを親が理解できれば兄弟喧嘩も子どもたちの成長に役立つものとなっていくのではないでしょうか。



ほめる・叱るのバランス

ほめることと叱ることのバランスをどのように取れば良いのでしょうか?
片目をつぶって針に糸を通 すのは至難の業です。これは我々人間は両目で、ものをしっかりと見ることによって「遠近感」で「物の奥行き」を捉えているからです。それではこの両目なのですが、左目を「甘い目」としまして「ほめる」という眼と仮定しましょう。そして右目を「厳しい目」として「叱る」という目にするとした場合、どちらの目で子どもを見れば良いのかということなのですが「最近、ほめて育てるということをよく言われているので、甘い目で子どもを見てほめてやろう」、あるいはその逆で「子どもは甘やかせて育ててはいけない、だから厳しい目で子どもを見て叱るようにしよう」とどちらか一方に偏ってしまいがちなんですね。
ところが前述の説明のとおり、片目でものを見た場合に遠近感が無くなり、物の奥行き、つまり子どもの心の奥底や実態像が見えなくなってしまいます。よって、子どもの良い所だけを見ようとするのでもなく、また悪いところだけ見ようとするのでもなく、「甘い目と厳しい目」の「両眼」でしっかりと子どもを捉え、いい面 は「しっかり」とほめてやる、また悪い面については「はっきり」と叱ってやるという事が「ほめると叱るのバランス」ではないかと思っております。また、この目「甘い目と厳しい目」だけでなくて、時には「主観的な目と客観的な目」、あるいは「親としての目と人間としての目」と多彩 な目を持っていただき、子どもを見るということも重要です。  
ただし、しっかりと両目で子どもを見ていたとしても親自身がストレスをためて疲れていたり(眼精疲労)、また自分の目にあっていない眼鏡(他の家庭の教育方針)をかけて子どもを見た場合には、当然ぼやけて見えてしまい、これも子どもの実像を捉えそこなってしまいますので、注意が必要かと思われます。

子どもへの接し方

単位 が足らず留年しそうな息子(高2)にどのような接し方が望ましいのでしょうか?
私の教師時代の実話を基にお答えします。私が高校教師をしていた時の話です。1年生の学年末試験で英語の点数が基準に満たず、ほぼ留年が決まりかけていた生徒がおりました。そこで英語担当の先生に頼み、ようやく追試験で60点以上取れば単位 を認めるという了解を取り付けました。そこで本人と母親にその事情を説明したところ、母親は「私が試験を受けるつもりで、子どもと一緒に勉強します」と断言され、試験当日まで一緒に辞書をひき、問題集の丸付けをし、毎日徹夜に近い状態で、その生徒と一緒に頑張りました。  さて、その試験の結果なのですが、今まで勉強をする習慣のなかった生徒にとって、たった1週間で60点を取るということは不可能で、留年が確定したのです。その後すぐに本人と母親が2人揃って私のもとへ訪れました。その時私は、恐らく「もう一度、チャンスを与えて欲しい」とのことで来校されたと思ったのですが、実はそうではなかったのです。  まずおもむろに深々と私に頭を下げられ、その後、私の目の前に英語の先生から返された答案を置かれました。その英語の点数、35点だったのですが、その35点と書かれている点数の上に大きく赤い字で100点と書いてあるのです。それを見て、不思議そうな顔をしている私に向かって母親は、「先生、この100点は私が付けたんです。今まで全然勉強なんかしなかった子が、この1週間一生懸命頑張ったんです。だから、私はこの答案に100点を付けてやりました。私とこの子で取った100点満点なんです」とおっしゃった。このお母さんと生徒の清々しい顔は今でも脳裏に焼き付いています。その後、その生徒は、父親の家業の2代目として立派に成長しております。

ピグマリオン効果

小学生の息子なんですが、学校でも、家庭でもほとんど無気力で、成績もかんばしくありません。どのような対応が望ましいのでしょうか?
アメリカの心理学者のグループが、ある小学校の教師に「子どもの知能の向上が予測できるテストがある」と嘘を言って実施してもらいました。その後、無作為に何人かの生徒を選び、「この子どもたちの知能は将来的にドンドンと伸びていくだろう」と教師にこれまた嘘の報告をしました。その8か月後に知能検査を実施した結果 、無作為に選んだ子どもたちのIQが著しい伸びを示していたという話があります。  これはアメリカの心理学者が行った実験で、ここで見られたような現象を「ピグマリオン効果 」と呼んでおります。  さて、この現象にはどのようなメカニズムが働いていると予測されるのでしょうか。実は、知能指数が上がるだろうと限定された子どもたちに対して、教師は期待し、そして今まで以上に学業指導に力を注ぎました。また、選ばれた子どもたちもそのような教師の期待を敏感に感じ取り、学業に精をだしたということです。  この実験結果でお分かりいただけたと思うのですが、子どもは常に親や教師の期待を望んでいるのです。そして、その期待が通 じた時に初めて、本来持っている能力が発揮されるということです。期待のし過ぎ(過期待)は考えものですが、「親や先生は僕をできる子どもだと信じてくれているんだ」との思いがエネルギーとなってくるのです。  お尋ねの親ごさん、もしかしたら「この子はきっとダメに違いない」とお思いではないでしょうか。もしそうであるなら、今後、ご自分にも、また子どもさんにも「この子は(僕は)きっとできるんだ」というような期待と確信を持って子どもさんに接してみて下さい。きっと良い結果 が生まれるはずです。

「ありがとうございます」

私は小学校の教員をしているのですが、今の子どもたちを見ていますと基本的なしつけがなされていないように感じます。家庭、学校を含め、どのようなことを教えていけばよいのでしょうか。
以前にあるところで新入社員研修のセミナーで講師として招かれた時のことなのですが、研修終了後の焼き肉パーティにも参加させて頂き、研修を受けた新入社員とテーブルを囲み食事をしておりました。普段なら私にとっては「気の張る場」であるにも関わらず、なぜかその食事会は気持ちが良いのです。どこに原因があるのだろうと観察をしておりますと、新入社員の全員が、お酒をつげば「ありがとうございます」、焼けた肉をお皿に入れると「ありがとうございます」。  
実はこの何気ない「ありがとう」という言葉が私を気持ち良くさせていたのです。ここまで読まれた方は「なんや、そんなことか」とお感じのことと思いますが、実はこの「ありがとう」という言葉、我々大人になってしまうと使えていないのが現状なのです。どういうことかと申しますと「ありがとう」の代わりに「すみません」という言葉を代用してしまっているのです。  
ある外国人が、英語での「サンキュー」を「すみません」だと思い込んでいたという笑い話があるように、それほど、わが国では「すみません」という言葉が氾濫してしまっているのです。確かに「すみません」という言葉で気持ちは伝わってはいるのでしょうが、我々が子ども時代に使っていた感謝の意を表わす基本的な「ありがとう」という言葉を大人自らが意識して使うようにし、そしてそのような基本的なことを率先垂範で示すことが重要だと思います。  
子育てマニュアルや専門書を盲信し過ぎるのではなく、普段の何気ないところに教育はあるのだということを本日は伝えたいと思います。ご愛読「ありがとうございます」。

個性化教育について

ここ最近、学校教育の中で「個性を認める」「個性を伸ばす」としきりに言われていますが、具体的にはどのようにして個性を伸ばせば良いのでしょうか?
女子学生のルーズソックスしかり、男子学生のピアスしかりと、服装、出で立ちは一見、ますます個性化を帯びてきているように見えますが、果 たしてそれは本当の個性といえるのかということが重要だと思います。
例えば、彼、彼女たちに「なぜ、ルーズソックスを履くの?」「なぜピアスをするの?」という質問をすれば、恐らく「みんながしているから」という答えが返ってくると予想されます。つまり、自分に合ったものを身に付けたり、或いは自分の気に入った服を着たりしているのではなくて、みんなが着ているから、みんながしているからという理由なのです。言い替えれば、みんなと違ったことをするのが怖いとも考えられる訳です。こう考えれば、おのずから没個性的であるとの結論に至る訳です。
さて、そこで2002年の教育制度改革案の中でも、子どもたちの個性を伸ばす内容が折り込まれているということは素晴らしいことだと考えます。また、家庭ではそれを受けて「勉強ばかりしていないで、もっと個性を伸ばしなさい」「おとなしくしていないで、もっと個性的な行動をしなさい」と言ってしまいがちなのですが、しかし、勉強ができること、おとなしいことも立派な個性なのです。また、少数派だけが個性ではなくて、多数派も個性なのです。ここをわれわれ大人がしっかりと理解せず、「個性とは人と違うこと」との認識を持ってしまいますと、逆に子どもたちの個性を潰してしまう場合があるのです。
個性を辞書でひきますと「個人、または個人の特性」と説明されております。よって生まれ持ったもの、または環境に応じて修得した能力を引き出し、そしてそれをさらに伸ばしてやるのが真の個性化教育であると考えます。

思春期ど真ん中

高校2年の息子なのですが、ここ最近、父親との関係がうまくいかず、今では断絶状態と言っても過言ではありません。なぜそのようなことが起こるのでしょうか。
「思春期ど真ん中」の子どもによく見られる傾向で、このような状態がいつまでも続くという心配はないかと思われます。幼少期の頃の第1反抗期を「独立宣言」だとすると思春期の第2反抗期は、「独立間近」の状態なのです。その独立を寸前にして、必ずわき起こる感情が「不安と甘え」です。つまり独立を望んでいる一方で、自らが責任を負って生きていくことへの不安、並びにまだまだ親に甘えていたいという、自立と依存の感情がせめぎ合う「葛藤」の状態に陥るのです。
このように不安や葛藤が起こった時に人は何らかの防衛手段を講じます。これを心理学では「防衛機制」と呼び、このケースの場合には「反動形成」と呼ばれるものです。これは無意識の浅い層に閉じ込めている本来の自分の感情が意識化されると自己の評価を下げてしまうので、そのわき起こってくる感情と全く違った行動や言動を取るという防衛なのです。
このケースで申し上げますと、「もうしばらくお父さんに甘えていたい」という無意識からの声が意識に囁きます。しかしながら、高校生にもなって父親に甘えるという感情や行動は自己の評価を下げてしまうのです。そしてそのような甘えの感情を再び無意識に抑え込もうとする手段として、父親の生き方、あるいは存在自体をも否定するような行動に出るというメカニズムが働いているのです。
よって思春期の子どもが親に反抗したり、親と口をきかなくなった時にこそ、今この子は「真の独立」を目指して自分と戦っているんだというような気持ちで見守ってあげてください。そして真の独立を果 たした時に初めて「大人同士」という新たな関係が親子間で成立していくのです。

退行現象について

小学校高学年になる子どもなのですが、いまだに「指しゃぶり」の癖が治りません。どうすれば良いのでしょうか。
このように「指しゃぶり」をする状況をよく観察してみると、子どもの気持ちが不安定な時に起こる場合が多いはずです。その理由は子どもが「退行現象」を起こしているからなのです。この退行現象というのは現状が辛く苦しいために最も安定していた乳児期、つまりお母さんのおっぱいを吸っていた時期に戻ろうとする無意識の防御策といえます。簡単に言いますと「子ども返り」をしているのです。我々大人に置き換えて考えてみますとイライラした時の煙草の吸い過ぎ、または「やけ酒、やけ食い」、あるいは気持ちが不安定になったときに知らず知らずに爪を噛んでしまっていたというような行動も同じように退行現象といえるのです。
お気付きの通り、このような行動には「口に刺激を与える」という共通点があります。つまり我々人間は前述の通 り、現状に困難を感じた時に、過去の安定していた頃へ無意識の内に戻ろうとしているのです。よってこの指しゃぶりは病的なものではありません。時期が来れば自然と治まってきます。ですから必要以上にその行動をとがめたり、注意をするというより、子どもの不安定な気持ちをほぐしてやるという関わりの方が重要となります。
また「寂しがり屋の甘えん坊」にこの指しゃぶりが多いということから、子どもとの関係や子どもを取り巻く周囲の環境や状況を今一度確認して頂き、子ども自身が外に向かって心を広げるような援助、工夫をしてあげて下さい。また、時には母親の胸でしっかりと子どもを抱きしめ、「お母さんはあなたが大好きよ」と言ってみてあげて下さい。甘やかすのではなく、甘えさせることも今の子どもにとっては必要なのかもしれません。

「過期待」の親

長男ということもあり、期待をかけて育ててきたのですが、どうも最近、家でも学校でもイライラのしどうしで困っています。どうすれば子どもの気持ちが落ち着くでしょうか(小1)。
幼少期の頃より期待をかけられて育った子どもの多くは、ある時期までは何をさせても完璧に近い形で物事を達成する傾向があるようです。また親の傾向としても、子どもに完璧を求め子どもの一挙一動を干渉します。その結果 、どのような子どもになるかと言いますと「完璧主義者」となる訳です。  確かに何事に対しても完璧に行う事ができるにこしたことはないのですが、そう何事もうまく行かないのが現状である中で、このような完璧主義の子どもにとって思い通 りにならない状況は、今までに経験したことのないような大きな「挫折感」を感じます。つまり失敗を失敗と受け入れることができないのです。そうなるとますますイライラ感は募りますし、また何事に対しても神経質になってくるのです。「生まれながら神経質な子どもはいない」といわれるように、神経質な子どもを作ったのはまぎれもなく親なのです。  また、「過期待」の親に共通する発言として「努力すれば何にでもなれる」という言葉があります。果 たしてそうでしょうか。確かに努力するということは大切なことですが、努力と目標達成は必ず一致しないものです。生まれつき身体の小さな子どもがプロレスラーになることや、大柄な子どもが競馬の騎手になることなど不可能に近いのです。  よってこの時期には、子どもの興味のあること、またしたいことを思う存分にさせることによって、子ども自らが自分の適性を知り、そして親はそれを伸ばしていってやるということが今の役割ではないでしょうか。子どもの世界にとって「失敗」はなく、それらの全てが「経験」であり、そして「学習」であるという思いで接することによって、子どもは楽な状態で育っていけるのではないでしょうか。

子は親を見て育つ

幼い頃より「嘘をついてはいけません」「正直に生きなさい」との教育方針で育ててきたのですが、見事に裏切られてばかりです。これも一種の反抗なのでしょうか?
このような話があります。ある小学校1年生の子どもを持った母親が、口癖のように「嘘をついて人をだましたりしてはいけません。人間清く正しく生きなければなりません」と言って子育てをしておられました。そんなある日、子どもと一緒に電車でお出かけをしました。さて、電車の切符を買う時に、このお母さん「まだこの子は幼稚園児に見えるから切符は買わなくていいわ」とぽつんと独り言を言い、結局子どもの切符を買わなかったのです。実はこの子ども、母親の独り言を聞き、本来なら子ども料金の切符を買わなければならないところ買わなかったという母親の行動をしっかりと見ていたのです。
またある時、ご近所の奥さんからそのご家庭で作ったバラ寿司を頂きました。しかしそのバラ寿司、自分の口に合わず「まずいなあこのバラ寿司。私が作った方がおいしいわあ」と言って半分も食べずに捨ててしまいました。そしてその夜、ご近所の奥さんに「奥さん、さっきありがとう。あのバラ寿司おいしかったわあ。主人も子どもも喜んで食べて…」。実はそのやり取りの一部始終を子どもはしっかりと聞いていたのです。
さて、このような状況を目の当たりにした子ども、果たして嘘もつかず、規則も破らず、清く正しく正直に生きることができるでしょうか。当然答えはNOです。おそらく、母親の行動に疑問を持ち、また常日頃から言っている言葉と行動に大きな矛盾を感じることでしょう。「子どもは親を見て育つ」との諺通 り、親が言った「言葉」より親が取った「行動」を取り込みます。そして、親の言葉と行動がピタッと一致したとき初めて親の姿をモデルとして取り入れ、親の通 り育っていくのです。また、前述のケースのように、親の言っていることと行動に矛盾があった場合には人間の心理として「自分の都合の良い方」「得する方」を取り込んでいきます。  さて、お尋ねの親ごさん、いかがでしょう?今一度、自分の言動が一致しているか、またその上で教育をしているかをご確認下さい。子どもの目と耳は大人のものより大きく、そして敏感なのです。それをしっかりと認識しながら子どもの「良き鏡」になるよう、親自身が誠実に、また正直に生きることこそが重要であり、それが真の「モデル教育」であると思います。

カウンセラーになるには

現在、教師で2児の母親です。よくカウンセリングを学ぶことによって生徒指導や子育てがうまくいくと聞くのですが本当なのでしょうか。またどうすればカウンセラーになれるのでしょうか。
現在カウンセリングの重要性が注目され、親や教師の中でカウンセリングを学ばれる方々が増加しています。私の経験から言いますと、カウンセラーにならないまでもカウンセリングを学ばれることで生徒指導や子育てに役立つことは間違いのないところです。
不登校、引きこもり、非行の子どもたちのカウンセリングを行っている中で特に感じることは、いくらカウンセラーが子どもの気持ちを理解し、いい対応をしたところで最終的に深く関わっていかなければならないのは親であり、また教師であるのです。せっかく子どもが心を開き始め、問題が消失しだしたとしても、そこで家庭や学校での対応がまずければ、再び元に戻ってしまったり、逆に状態が悪化したりするケースがあります。親や教師が子どもの心理を学び、また状況に即した応答や対応ができれば、鬼に金棒です。
極端な言い方をすれば親や教師が子どものカウンセリングをすることができれば私のようなカウンセラーは必要ないのです。私も仕事柄、学校やPTAから講演に呼ばれる機会が多いのですが、その際には「カウンセリング的生徒指導」「マザーカウンセラーを目指して」などのテーマで如何にカウンセリングが有効であるかを力説しています。
次に、カウンセラーになるためには、まず熟練カウンセラーから指導を受けることが必要です。これは単に知識や技術だけの指導ではなく自己分析や自己洞察を兼ねたものとなります。また人によってさまざまですが、実際プロとしてやっていくためにはある程度の期間もそれに要します。
次に大切なことは「資格」を取得することです。現在では資格がなくても法的な規制は何もなく、開業は可能ですが、人の心を扱う職種としては、やはり必要な時期にきているのではないかと思われます。一般 的には臨床心理士や労働省認定の産業カウンセラー、心理相談員。また教師であれば学校心理士や教育カウンセラーなどの資格があります。但し、年々これらの資格を取るのも難しくなってきているのと、また受験資格にある一定の厳しい条件がつく場合がありますので、十分な確認が必要かと思われます。
以上が私なりの回答です。今後おおいに期待される職種のひとつですが、カウンセリング学や心理学を日常生活にいかに生かしていくかも重要なことであると考えます。

父親の尊厳とは

威厳のある父親とそうでない父親、または尊敬される父親とそうでない父親はどこに違いがあるのでしょうか?
地震、雷、火事、親父」との言葉から、昔はまだ何とか父親の威厳が保たれていたようですが、確かにここ最近は威厳や存在感が薄れてきていることは否めないようです。これは私の友人の話なのですが、普段忙しくてなかなか子どもが起きている間に帰宅できない状態が続いたある朝の事、たまたま早起きしていた子どもに「行ってくるよ」と言ったところ、「パパ、今度いつ来るの?」との返答が返ってきたという笑えるような、笑えないような話があります。 また、このような状態で「わしの子どもは全然父親を尊敬しておらん」と嘆き、立腹されているお父さんがおられるようですが、それではなぜ子どもは父親を尊敬しないのでしょうか?このように「尊敬されていない」と感じておられるお父さんにはある一つの共通 点があります。それは常日頃から子どもに対して否定的な見方、否定的な発言が多いということです。例えば「お前はダメな奴や」あるいは「お前はどうしようもない奴や」などです。 さて、ここで子どもの心理を考えてみましょう。自分を否定する父親を尊敬するということは、裏返せば自分がダメである、またどうしようもない人間であるということを認めてしまうことになる訳です。つまり父親が子どもを認めてやらない限り、いつまでたっても父親を認めないでしょうし、また尊敬などできるはずがないのです。おそらく読者の皆さんも自分を全く認めてくれない人を尊敬することはできないでしょうし、また逆に自分を高く評価してくれる人こそ尊敬の対象となるのではないでしょうか。 以上のことから子どもに尊敬される父親になるためには、まず子どもの良いところを見つけ、そこを評価してやることが最も重要であると思います。ついつい威厳を保とうとするばかりに小言、説教が多くなってしまいがちですが、それは逆効果 であるということがお分かりいただけたと思います。 先日、あるテレビドラマを見ておりますと、20歳を越えたある一人の娘が「私が大きくなるにつれて、お父さんの大きさが分かってくる」ということを語っていました。これぞまさに理想的な親と子のプロセスであり、また理想的な親子関係であるのではないでしょうか。また、叱るばかりの父親より、真の自分を認めてくれる父親の方が子どもにとっては威厳あるべき存在であるということを最後にお伝え致します。

いじめについて

4月より小学校に上がる子どもがいるのですが、幼稚園の頃から「いじめ」にあっている様子で、小学校になってもいじめを受けるのではと不安です。親として、自信を持たせる為に「はっぱ」をかけた方が良いのでしょうか?
いじめられやすい子どもの特徴として「自己否定型」が多く見られます。つまり自分に全然自信が持てないのです。それでは何故、自信が持てない子どもになってしまったのか?当然のことながら生まれつき自信のない子どもなどは決して存在しません。子どもが自分に自信を持てるか否かは親の関わり方によって決定づけられます。 小さい頃より「あんたはダメな子、のろまな子」などの否定的なメッセージばかり受けている子どもは当然自信が持てなくなるでしょうし、逆に「あんたは何でも出来る、立派な子」と肯定的メッセージをもらっている子どもは自分の存在や能力に自信が持てるようになり、困った場面 に直面しても自ら乗り切ることの出来る自己肯定感の高い子どもに育つでしょう。このように親の関わり方、接し方で大きな開きが現れます。 また、ここで注意して頂きたいことは自信にも2つの種類があり、その一つめは「自分の属性に対する自信」です。これは例えば成績が良いとか背が高い、或いはお金持ちであるなどの自分本来のものを対象としたものではなく、あくまで属性に関しての自信です。もう一つは「自分の存在に対する自信」です。つまり自分は両親から支持されている、信頼されているという自己の存在に対しての自信となります。 属性の自信しかもてない子どもは「もし、成績が下がったら、自分はいけない子」というように感じるようになるでしょう。しかし、存在の自信を持っている子どもは、自分の良い面 も悪い面も含め、あるがままの自分に自信が持てるようになりますし、どのような局面 においても自己をしっかりと主張できる子どもに育っていきます。 以上の説明でなぜいじめられるのかお分かり頂けたと思います。つまり子どもをいじめから救う手段は、まず自信をつけてやるということが肝要です。その為に親は子どもに対して属性ではなく、子どもの存在自体を肯定するという関わり方をして下さい。「自分は他者から愛されているんだ」と感じたときこそ本当の自信を持つことが出来るのです。「あんたはいつもそんなんだからいじめられるのよ、しっかりしなさい」などと「はっぱ」をかけると、ますます自信をそこねる結果 となるということをご理解下さい。

教育方針について

中学生になる息子に対しての教育方針が私と主人とでは違うのですが、やはり統一しておいた方が良いのでしょうか。
よく私の事務所にも、両親の教育方針の違いを気にして来所されるのですが、私はその際にいつも「違っていて当然ですよ」と伝えます。例えば子どもが友だちと喧嘩をしてきたとしましょう。平和主義をモットーとしているお母さんは、その行動を「乱暴な行為」という認識から子どもに対して「喧嘩はいけません」と叱るでしょう。しかし楽観主義をモットーとしているお父さんの方は「男の子なんだから喧嘩の一つや二つ何てことはない」と逆に喧嘩を肯定するかもしれません。 しかし、それが当たり前なのです。当然夫婦といえども元は他人です。育った環境も違えば、性格も違います。また男と女の性差ということもあるでしょう。その違いを正さなければならないということで、どちらかが自分の信念を曲げてまで両親で統一化を図るところに無理が生じているのではないでしょうか。恐らくその行き着く先は犬も食わない「夫婦げんか」です。 両親の教育方針を統一しておかなければならないのは「躾(しつけ)」の時期までです。つまり幼少期から小学校低学年位 までですね。子どもが高学年になる頃より、だんだんと自我というものを確立していく時期に入ってきます。これがいわゆる「思春期」と呼ばれる時期です。この時期にはお父さん、お母さん双方の考え方や生き方をモデルとして自分の中に取り込んでいき、やがて自己を確立していくのです。よってこの時期の子どもを持つ親は、あえて教育方針や褒め処、叱り処を統一するのではなく、違った観点から子どもと接し、違った視点から子どもを捉えていくことの方が重要なのです。但し反社会的、非道徳的な行動に対しては例外です。 また、両親自身も違った教育方針をお互い否定、非難するのではなく、母親にない面 を父親が、また父親にない面を母親がお互いにフォローし合うという姿勢がなければなりません。つまりお互いがその違いを認め、相補的な関係を築いていこうとするところがこの時期の子どもの親としてのポイントであり、また家庭円満の秘訣ではないでしょうか。共同戦線を張り、子どもを追い込むのではなくて、常に三者三様の関係の中でこの時期の子どもは大人になっていくというところをご理解ください。

子どもの不登校

中学2年の息子が今不登校の状態です。このまま静観しておく方が良いのか、それとも強引にでも登校させる手段を講じた方が良いのかどちらでしょうか。

どちらの方が良いかの判断は非常に難しいところです。私の事務所では不登校の子どもを持つ親が来所した場合、必ず幼少期の親の関わり方について尋ねます。何故ならその時期、過保護で育てたのか、あるいは過干渉で育てたのかで対応の仕方が変わるからです。 まず親が舐めるような過保護で子どもに接していた場合、幼少期の頃に親を支配していた経験があるのです。つまり「何でも自分の思いどおりになるはずだ」との意識がいまだ持続しているということになります。この場合、ほとんど幼稚園、小学校で幾度かの登園拒否や登校拒否の経験があったケースが多いのです。要するに子どもの自我が十分に育っていない状態での不登校と言えます。親は毅然とした態度で子どもに現実性を教え、しっかりと向き合っていかなければなりません。当然学校との連絡も密に取りながらの対応が望まれます。 次に過干渉、過支配で接していた場合には前者と対応は異なります。この場合、親を支配していたのではなく、親から支配を受けていた経験の持続が不登校の原因となっているとの判断です。つまり常に「イイ子」でなければならない、或いは親の思うとおりの行動を取らなければならないとの意識が非常に強いのです。ところが中学生になると、自分というものを確立していきます。 ここで子どもは「イイ子」である事に疲れを感じ小休止しているのです。その小休止の間に自分と一生懸命向き合っているのですから、このような場合にはゆっくりと考える時間を与え、また一緒に考えてやるという対応が望ましいと考えられます。 また、中には自分は行かなくてはいけないと思いつつもなかなか行動が伴わないケースもあります。つまり行かないのではなくて、行きたくても行けないのです。よくこのような場合に子どもの友達の力を借り、学校での状況や勉強の進み具合などの報告を大義名分とし登校を誘発させるようなケースがありますが、これは子どもにとって非常に辛いことなのです。今までに以上に劣等感や自己否定感が高まってしまいます。 上記のとおり、一概に不登校と言ってもそれに至るまでの要因があります。またこれら以外にも様々なケースが考えられますので、原因が定かでない場合には専門家に相談されることをお勧め致します。


カウンセリングを親が受けた場合

本人がカウンセリングを受けたがらない場合、親が受けても何らかの効果 はあるのでしょうか。
結論から申し上げますと、効果 はあります。逆に親が受けるほうが問題がうまく解決していくケースが多々あるのです。これを家族療法、或いは母親療法と呼んでいるのですが、例えば、親が来所されて、今の不安な気持ちや、迷いなどを話されます。時には子どもやご主人の悪態をつかれる場合もあります。 その時、カウンセラーはその話に真剣に耳を傾け、そして共感します。そうすると徐々に親の気持ちが和んでいき、こちらが何もアドバイスしない内に、今子どもにどう接すれば良いのかを自らが結論を出され、また子どもやご主人に対しての「見方」というものが以前と変わって来るのです。「しんどい思いをしているのは私ばかりだと思っていたのですが、本当に苦しんでいるのは子どもの方なんですね」ということに気付かれる訳です。 これを心理学では「浄化作用」と呼び、心に詰まっているものを一挙に吐き出してしまう事により、気持ちが安定し、そして現状を客観的に捉える事ができるようになるのです。 また、人間というものは人から「ああしなさい、こうしなさい」と言われているうちはなかなか実行できないものです。しかし自らが気付き、決断した事に対しては違和感なく自然体で行うことができるのです。つまり安定した状態で子どもに接することができるということになります。 やじろべえは揺さぶっても倒れないのはなぜかと言いますと、それは支点というものがド真中にあるからです。親の気持ちが安定している時には自分を支える支点が真中にあり、どのような状況であっても感情や行動が揺らぐことがないのです。混乱から安定への変容、これこそが「親が変われば子どもが変わる」と言われる所以だと私は思います。

子どもの言葉づかい

小学校に入るようになってから言葉使いが悪くなりました。テレビの影響かと思うのですが、親としてどのような対応をすれば良いでしょうか。(子ども 小学校1年生・男子)
例えば子どもが今まで使ったことのないような汚い言葉を使った場合、おやごさんとしては、驚かれて「なんて言葉使うの!」とか「そんな言葉使うの止めなさい!」などの対応をされるかと思いますが、ここで一呼吸置いてみて下さい。確かに大人からすると「小学生にふさわしい言葉ではない」と判断されるかもしれませんが、もしかすると、子どもの世界(クラス内など)ではそのような言葉使いが「共通 語」となっている可能性がありますし、また自分が仲良しになりたいと思っている友達がそのような言葉使いをしているのなら、「近づく手段」としてそのような言葉を使っているのかもしれません。よってこのような場合には、その汚い言葉を「どこで誰から仕入れた」かが重要なのです。もしかすると「仕入先」はお兄ちゃんかもしれませんし、また夫婦げんかの際のお父さん、お母さんの言葉をそのまま使っているのかもしれません。  また、テレビの影響を受けてそのような汚い言葉を使ったり、乱暴な行動を起こす場合もあるでしょう。テレビには、生々しい暴力的なシーンや、大人でも目をそむけたくなるような映像が映しだされたりしていることは事実です。しかし、このような暴力シーンも、ある意味では子どもの考えや感情を知る手掛かりになります。例えば「多勢に無勢」で一人の人が攻撃を受けているシーンがあったとしましょう。そういう時に「たくさんの人に叩かれている人、お母さんは可哀想やと思うんやけど、あんたはどう思う?」と尋ねてみて下さい。もし「うん、僕も可哀想やと思う」という答えが返ってくれば、「この子は人の痛みがわかっているなあ」と安心できるでしょうし、逆に「やられるあいつが悪いんや」という答えなら赤信号かも知れません。つまり親がチャンネルを回したり、「見てはいけません」とテレビのスイッチを切ったりしたのでは、子どもの感情レベルや心理的な成長レベルをつかめないままの状態で、子育てをしてしまう可能性が考えられます。よって、子どもが汚い言葉を使った場合には、叱ったり、嘆いたりする前に、まず「仕入先」を明確にし、またそのような言葉を使う人、並びに汚い言葉で罵倒された人についてどう思うかを子どもと一緒に話し合うことが大切かと思われます。

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