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旅は道連れ青春旅 |
大阪教育大学国語科卒。米国の日本人学校で講師経験もあり、最終的にニュージャージー州立大学修士課程を修了。現在は大阪市立小学校に勤務。 | |||||
小学校で古典!? 平成24年2月15日号
完走しました! 平成23年11月15日号
子どもがしてほしいこと 平成23年7月15日号
自尊感情をいかに育てるか(1) 平成23年3月15日号
新年は「ふわふわ言葉」でスタートしよう! 平成23年1月1・15日合併号
挨拶は人生の宝物! 平成22年12月15日号
小5女子と真剣に遊ぶ 平成22年7月15日号
挨拶は人生の宝物! 平成22年6月15日号
「生きる力」とは? 平成22年5月15日号
姫路の中学校で講演 平成21年12月15日号
25歳たちと同窓会 平成21年10月15日号
教育大学の使命 平成21年7月15日号
新型インフルエンザ! 平成21年6月15日号
小学校英語活動開始2 平成21年5月15日号
小学校英語活動開始1 平成21年4月15日号
キッズマートを開こう 平成21年3月15日号
携帯電話禁止令発令 平成21年2月15日号
子どもたちに愛情光線を! 平成21年1月1日15日合併号
大阪の渡し船に乗ろう! 平成20年12月15日号
チョコレートの向こう側2 平成20年11月15日号
チョコレートの向こう側1 平成20年10月15日号
竜馬のように生きる! 平成20年7月15日号
新天地での出会い 平成20年6月15日号
子どもたちと一緒に卒業! 平成20年4月15日号
8年前の卒業生と成人式で2 平成20年3月15日号
8年前の卒業生と成人式で 平成20年2月15日号
高学年の女子の読んでいる本2 平成19年12月15日号
高学年の女子の読んでいる本 平成19年11月15日号
授業参観はこの流れで3 平成19年10月15日号
授業参観はこの流れで2 平成19年9月15日号
授業参観はこの流れで1 平成19年7月15日号
授業開きは跳び箱でドラマ 平成19年6月15日号
出会いの作文(小6年生) 平成19年5月15日号
最後の学級通信 平成19年4月15日号
カンボジアを再び訪ねて2 平成19年3月15日号
カンボジアを再び訪ねて1 平成19年2月15日号
いじめ発覚とその対応2 平成18年12月15日号
いじめ発覚とその対応1 平成18年11月15日号
教師を目指す学生さんへ 平成18年10月15日号
十年次企業研修 平成18年9月15日号
子どもが犠牲になる「場所」 平成18年8月1日15日合併号
身の回りの牛製品 平成18年7月15日号
目からうろこの慣用句 平成18年6月15日号
「目線」で子どもを鍛える! 平成18年5月15日号
小学校での英語必修化 平成18年4月15日号
五色百人一首大会の応援団 平成18年3月15日号
五色百人一首をご存知? 平成18年2月15日号
中学校で出前授業 平成17年12月15日号
35年ぶりの万博へ.2 平成17年11月15日号
35年ぶりの万博へ.1 平成17年10月15日号
カンボジア子どもの家.6 平成17年9月15日号
カンボジア子どもの家.5 平成17年8月1日15日合併号
カンボジア子どもの家.4 平成17年7月15日号
カンボジア子どもの家.3 平成17年6月15日号
カンボジア子どもの家.2 平成17年5月15日号
カンボジア子どもの家.1 平成17年4月15日号
めざせ鉄棒の鉄人!ごりらの手 平成14年5月15日号
学級崩壊の鉄則(3)〜最初の3日で1年が決まる〜 平成14年4月15日号
学級崩壊の鉄則(2) 平成14年3月15日号
学級崩壊の鉄則(1) 平成14年2月15日号
一年生の地域探検 平成13年12月15日号
一年生に百人一首を! 平成13年11月15日号
一年生に漢字を教える 平成13年10月15日号
教え方を学ば(べ)ない教師たち 平成13年9月15日号
ショー&テルで発表修行 平成13年7月15日号
はじめての1年担任 平成13年6月15日号
転勤・離任式の長い一日 平成13年5月15日号
五色百人一首 大阪市内大会開催! 平成13年4月15日号
すばらしい五色百人一首 平成13年3月15日号
2002年から小学校英語教育義務化?(4) 平成13年2月15日号
2002年から小学校英語教育義務化?(3) 平成12年12月15日号
2002年から小学校英語教育義務化?(2) 平成12年11月15日号
2002年から小学校英語教育義務化?(1) 平成12年10月15日号
娘・穂高が穂高岳とご対面!〜夏の家族旅行〜 平成12年9月15日号
青年よ、キレる前に旅に出よう! 平成12年7月15日号
夜の日本語教室との交流 平成12年6月15日号
「一校一国運動・アジア柔道選手権」 平成12年5月15日号
「文部省官僚・寺脇研氏の過激なトーク」 平成12年4月15日号
「21世紀の課題はコミュニケーション能力」 平成12年3月15日号
「6年2組の子どもたちへ」 平成12年2月15日号
「難民シュミレーション授業に挑戦!」 平成11年12月15日号
「毎日10分百人一首大会」 平成11年11月15日号
小学校で古典!?
全国の小学校で、新学習指導要領が施行されて一年。高学年の外国語活動(英語)も、日本中で試行錯誤ながら展開されています。
一方で、古典も導入されました。私としては、十数年前から「五色百人一首」に取り組んでいるので渡りに舟です。
また、十年前からNHKで始まった『にほんごであそぼ』も定着していて、幼稚園時代に歌舞伎のセリフを唱えていた子どもたちが小学校に上がってきています。
小学校で古典をどう教えるのか。極めて簡単です。教えるのではなく、慣れ親しませる。要するに、古文のリズムを体で覚えることです。
乳幼児は、耳から日本語を覚えます。大人は歌詞カードを見てもなかなか覚えられないのに、子どもたちは文字を介さず、何度も何度も繰り返して聞いて、口で重ねて歌いながら覚えていきます。
今、江戸時代の寺子屋の素読が見直されています。「子曰く、学びて思わざればすなわちくらし、思いて学ばざればすなわちあやうし、と。」
その時は意味がわからずとも、この言葉が心と頭にしみこむことによって、人生の思考・行動に大きく影響するのでしょう。
小学校への古典導入は、単なる受験勉強の予習ではないのです。
完走しました!
先日の第1回大阪マラソンに出場しました。おかげさまで無事に完走しました。
制限時間7時間の市民マラソンがこの大阪で開催されると知ったときに、絶対に出たいと思いました。
2月になって、いざ応募が始まると、ランナー募集3万人に対して18万人近くがエントリー!
ジムに通いながら祈る気持ちで走っていると4月、見事、当選!
仕事の合間に時間を見付けて(作って)ジムでマシンに乗り、たまに走って通勤して、休日には長居公園を走り、コースを試走してこの日を迎えました。
時速6km
時速8km
時速10km
を体で覚え、42キロと脚のダメージを考えて時速7.5kmで走り続けることに決めました。
時速7.5km
5km40分ペースでゴールできました。
5時間52分23秒
実質
5時間38分57秒
沿道途切れることのない100万人の応援に元気をもらいました。
走る人の数だけドラマがあり、応援する人の数だけドラマが広がる。
そんな一体感がありました。夢のような一日が終わり、翌朝は階段の昇り降りが困難で、
手すりにへばり付いていましたが、夕方には少しは軽くなりました。
今はもう回復しています。週末からまた走り始めます。
来年を目指して。
「目は口ほどに物を言い」。
ベテラン教師は、教室の四隅をZの字を書くように見ることを意識している。
また、教室に入る時に右足から入れと言う。子どもたちに背を向けないために。
自分が見ているつもりではなく、子どもたちが「見られている」「見てもらっている」と感じることが大切だ。その緊張感と安心感が子どもを育てるのである。2 聴いてほしい
「聞く」ではない。
教師はどうしても、子どもの話を聞きながら、次に自分の言うこと(言わねばならぬこと)を用意してしまう。
それは時に、思い込みであったり、決めつけであったりする。無意識に馬耳東風の時もある。「聞き方」一つで、子どもたちを傷付けてしまうことも多い。子どもの話を聞く時には、必ず手を止めて、子どもにまっすぐ向き合いたいものだ。
「聞く」でなく「聴く」ことを意識してみよう。うなずきながら、共感しながら、口をはさみたいのをグッとこらえて、ウンウンと聴いてみることだ。子どもたちの心の扉が少しずつ開くのが分かってくる。
これは親子関係でも、大人の人間関係でも相通じるところがあるのではないだろうか。
人はみな認められたいと思っている。それが支え合うことだ。
自尊感情をいかに育てるか(1)
If children live with encouragement, they learn confidence.
子どもは励まされて育つと、自信を持つようになる。
If children live with tolerance, they learn patience.
大らかに育てられた子どもは、我慢強くなる。
これは、1972年にアメリカのドロシー・ノルトが書いた詩の一節である。
詩「Children learn what they live」(子どもは自分の住んでいることを学ぶ)は、「子は親の鏡」と訳され、1998年には『子どもが育つ魔法の言葉』(PHP出版)にまとめられ、ベストセラーとなっている。
一方で、こんな一節もある。
けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる。
とげとげした家庭で育つと、子どもは乱暴になる。
子どもをバカにすると、引っ込み思案の子どもになる。
今、目の前の子どもたちはどうだろう。
暴力をふるう子は、暴力の中で育てられてきたのかもしれない。
暴言を吐く子は、ののしられて生きてきたのかもしれない。
殴る蹴るだけが虐待ではない。
「お前みたいなしょうもないヤツいらんわ」といった言葉の暴力もある。
朝起こさない、ご飯も作らない親もいる。
ネグレクト(養育放棄)の虐待が増えている。
そんな厳しい状況の中で、我々教師はいかに子どもたちと向き合っていけばよいのか。
(つづく)
新年は「ふわふわ言葉」でスタートしよう!
子どもたちが次々に亡くなっている。自殺と虐待が続いている。一人の教師として、一人の父親として、本当に胸が痛む。
しかし、希望はある。日本中の心ある教師たちが、日本全国で取り組んでいる道徳教育の実践を紹介する。
「ふわふわ言葉」と「ちくちく言葉」の授業である。
「ふわふわ言葉」とは、ほめ言葉であり、人に言われてうれしい言葉、人を優しい気持ちにする言葉のこと。
「ちくちく言葉」とは、悪口であり、人に言われて傷つく言葉、人を嫌な気持ちにさせる言葉のこと。
子どもたちの周りには、「きもい(気持ち悪い)」「きしょい(気色悪い)」「うざい(うるさい)」の省略攻撃言葉が充満しており、親からも日々暴力言葉で罵られている子どもも多い。
本校では、養護教諭(保健の先生)が中心になって、各クラスで「ふわふわ言葉」を集めて、「ふわふわ言葉の木」にして掲示している。
自分が言われてうれしい言葉に気づき、それを相手にも伝えよう。
ありがとう。
だいじょうぶ?
すごいね。
がんばって。
新年は、各家庭でもお互いに、言われてうれしい言葉を出し合って、温かい一年をスタートさせましょう。
龍馬の生き方に学ぶ
大河ドラマ「龍馬伝」を見るのが楽しみだった。「龍馬伝」を見ているであろう教え子たちを思いながら見るのが楽しみだった。
教室の壁にはいつも龍馬の写真が貼ってある。教室にはいつも「お〜い!竜馬」のマンガが置いてある。
最近、成人した教え子たちと飲みに行く機会があった。ミニ同窓会では、「先生はいつも龍馬の話をしてたな」と思い出話が尽きない。なぜ、私が龍馬にこだわるのか。なぜ、子どもたちは龍馬を好きになるのか。
龍馬は、少年時代、弱虫で泣き虫でいじめられっ子で、勉強も苦手で劣等感のかたまりだった。しかし、剣道を続けていくうちに大きく成長し、江戸に修行(留学)に出かけるほど強くなっていった。その成長のポイントには二つある。まずは、龍馬の才能を信じて認めて励ましてくれる家族や友人に恵まれたこと。そして、一つのこと(剣道)を続けたこと。
そして、龍馬は江戸に出て、黒船来航に遭遇する。そこで、様々な人たちと出会っていく。師匠、先輩、後輩、仲間、ライバル、恋人…。
人は、人との出会いの中で成長していく。龍馬を見ていると、素敵な出会いの不思議さが伝わってくる。
子どもたちも、これから中学校・高校へと広い世界へ飛び出していく。そこでは、今まで出会ったことのない人たちと出会っていく。中には、全く考え方の違う苦手な人も現れるだろう。そんな「異質」との出会いこそが、人生の財産となる。
これからも、子どもたちに龍馬の生き方を伝えていきたい。
子どもたちよ!
志を高く、
夢を育てよ!
小5女子と真剣に遊ぶ
娘は小学5年生。
早朝から夜まで激務の日々、平日はほとんど顔を合わせることがない。
そんな娘と友だちとの会話。
「明日、遊べる?」
「うん。でも、明日はお父さんと遊ぶねん。」
「え?!あり得へん。まだ、お父さんとなんか遊んでんの?」
そこで、普通は引いてしまって、それから父を避けるようになる。
そんな子が多い中で、親ばかながら、わが娘は、
「何言うてんの。うちのお父さん面白いねんで、明日一緒に遊ぼうや」と。
かくして、公園には4人の5年生女子が集結した。
まずは、鬼ごっこ。もちろん鬼は私。大の大人に真剣に追い掛けられるのは迫力があって盛り上がる。一方、こちらは青息吐息。
そして次は砂遊び。公園デビューのママたちが幼児たちを見守る中、5年生女子が砂場に現れる。
そして、父はひたすら穴を掘る。直径1メートルくらいの大きな穴。50センチ以上掘り下げると水が湧いてくる。それ以上、水が浸みこまないということは、そこからは粘土層なのだ。
天然の土粘土に少女たちは「汚い」と顔をそむけていたが、実際に手で触ると意外と心地良
い。お団子を作りながら癒やされていく様子がよく分かる。
かくして、糸井のオッちゃんは大人気。
「また、遊ぼな!」。
挨拶は人生の宝物!
元気なあいさつうれしいな
あいさつできる子すてきな子
笑顔であいさついい気分
リズムに合わせて子どもたちに訴え続けている。
挨拶は極めて重要なしつけであり、マナーであり、生きる知恵である。
世界三十数か国歩いてきて、言葉が通じなくても、笑顔でほほ笑むだけで通じ合う(警戒心を解く)経験をしてきた。
だからこそ、わが子に対しても挨拶にこだわってしつけてきた。とは言え、厳しく強制してきたわけではない。まずは、おんぶに抱っこのころから親が挨拶する姿と声を刻み込んできたように思う。
うれしいことに、こんなエピソードがある。
数年前、まだ息子が低学年のころ。近所のおばあさんが突然訪ねて来
て、「この一輪車、あんたとこの子に使ってもらいたい」と。
顔見知り程度で、そんなに親しくもないのに、近所に子どももたくさんいるのに、「どうしてですか」と思わず聞いてしまった。
「お宅の子はいつでも大きな声で挨拶してくれてうれしい」と。
親ばかながら、とてもうれしかった。
挨拶は人生の宝物。挨拶がきちんとできるだけで、就職もできるし、営業成績も上がる。
文科省が言う「生きる力」の基本は挨拶だ。これからも、挨拶にこだわって、子どもたちを指導していきたい。
「生きる力」とは?
日本の子どもたちに一番求められるのは生きる力だと、文部科学省が明言している。
それほど、生きる力がなくなってきているということだ。生きる力とは、生命力であり、生活力であり、コミュニケーション能力でもある。
文科省的には、きちんと定義されている。
1.確かな学力
2.豊かな心
3.健やかな体
昔から言われる「知・徳・体」と言われれば納得かな。要するに、教育の原点も、目標も、古今東西変わっていない。
そして今、求められるのは、子どもたちに生きる力をつける教師の「生きる力」なのだ。
まずは、確かな学力。塾や予備校の教師に負けている場合ではない。確かな専門性。確かな指導技術をいつ獲得するのか。修業・研修の場を自ら確保しなければならない。
そして、豊かな心。一生、先生と呼ばれるありがたい仕事。魅力ある教師でありたい。そのためには、どうあるべきなのか。お世話になった校長先生に次のように言われた。
「職責を全うし、足跡を残せ」と。「責任が人格をつくる」とも。
そして、健やかな体。この仕事は、体力9割の肉体労働でもある。体力は耐力とも言われるほど、精神的にもタフでないと務まらない。
大阪市ではこの春、小学校301名、中学校224名の新任が教壇に立っている。それぞれの場でそれぞれのドラマを!。
姫路の中学校で講演
知り合いが兵庫県姫路市で中学校の教師をしている。その縁あって、「ぜひ、糸井さんが世界を旅した時の話を子どもたちに聞かせてやってほしい」と言われ、2時間かけて訪ねて行くことになった。
全校生徒240人。教室に入らずに徘徊している子たちもいるらし
い。今回は、「大阪からオッちゃん先生が来て、おもろい話してくれるから絶対に聞き!」と促してくれていた。
つかみは、ジョン万次郎(4月15日号で紹介)。耳で英語を覚えてカタカナで綴ったノートが現存している。
ワラ(water)はウォーターとは聞こえなかった。アニマルはエネモウ(animal)なのだ。
付け足しに、以前アメリカで、日本人仲間で盛り上がった「揚げ豆腐」。バスに乗っていて「ここで降りたい」という時に「アゲドウフ」と言えば、降ろしてもらえる。
(I get off.)
教室に入らずに徘徊している少年が、ヤジを飛ばす感じで食いついてきた。「いい発音やね」とほめた。
そして、教室にもどってからの感想文に、「いい発音とほめられてうれしかった」とボソッと記されていた。これだけでも、行った甲斐があった。
25歳たちと同窓会
35歳で小学校教師になった。それまで様々な海外経験を積んで、子どもたちに広い世界を伝えたくて教師になった。
初めて受け持った6年生。前年の担任の先生は中途退職で、組替えなしの持ち上がり。
家庭の事情が複雑な子が多かったのは確かだ。授業をサボったり、学校を抜け出したり、タバコや万引きに手を出したりする子もいた。そんな「やんちゃ」を相手にモ
グラたたきの毎日が続いた。
一方で、まじめな子たちを置いてきぼりにしていたことも事実だ。
そうこうするうちに授業が成立しなくなる。今から思えば自業自得。
時の校長先生から「君は元気も情熱もある。世界の経験もある。足りないのは教育技術だ。向山洋一を勉強してみたら」と勧められ、TOSS(教育研究団体)に出合い、現在に至る。
その成果は後々のこ
とで、1年目はただただ走り回っていただけ。それでも再会した青年たちは、口をそろえて、「本気で怒ってくれた」「何があっても逃げなかった」「毎日、楽しかった」「先生のクラスで良かった」と言ってくれた。
複雑な思いで聞いていた。13年前の自分に何が足りなかったのか、どうすれば良かったのかを次号から振り返ってみたい。
教育大学の使命
母校・大阪教育大学は開学60周年(創基135周年)を迎えている。
先日の記念シンポジウムにも参加してきた
が、やはり、テーマは「教員養成」に尽きる。
端的に言えば、医科大学の教授は、学生の目の前で手術をしてみせる。しかし、教育大学でも、その技術を伝授しているにもかかわらず、教授のほとんどは現場で教えたことのない「研究者」ばかりだということだ。 つまり、教育大学では具体的な「教え方」の技術をほとんど伝授せずに現場に放り出してきた訳だ。
それは、自分自身が学生の時から疑問に思ってきたことである。
そして、今、大量退職・大量採用(来年度、大阪府で約1000人採用)の時代を迎え、教員の資質と指導力向上が今まで以上に問われている。
人権尊重。一人ひとりを大切にするということはどういうことなの
か。仲間づくり。いじめ対応。安全・安心。学力保障。できないことをできるようにする。分からないことを分かるようにする。その授業力をいかに身につけるか。
山積する課題に直面して、今こそ、大学と現
場とが一体となって、協力していかなければならない。
新型インフルエンザ!
大阪市では、2学期の始業式が8月27日に決まった。
今回の、新型インフルエンザ感染拡大防止のための休校措置は史上初の出来事だ。
5月17日の夕方に、平松市長が「大阪市は休校しない」と記者会見していた。保護者・子どものみならず、教職員もそう思って月曜日を迎えた。しかし、朝9時過ぎに教育委員会から「本日より1週間の休校」宣言が出された。深夜に、橋下知事と平松市長との間でやりとりがあったそうだ。
それからが大変。給食後、全員下校。そうとは知らずに、働きに出ているお母さんもたくさんいる。全員と連絡を取って下校させることがどれほど大変か。職員室の電話は長蛇の列。
何とか下校させて翌日から休校。もちろん教職員は出勤する。
火曜日は、電話連絡で健康確認。水曜日は校区巡視と、研修と会議を4本、丸1日缶詰。木曜日は全戸家庭訪問、健康確認。未曾有の事態は、何とか収束した。
25日、学校再開。子どもたちが登校して来ると、学校に命の伊吹が吹き込まれたような感動があった。
毎日学校に通うことが、どれほど素晴らしいことか、親も子も少しは考えるきっかけになったかも知れない。
小学校英語活動開始2
今年度から、小学校英語活動が全国的にスタートした。
文部科学省から「英語ノート」という冊子が5・6年生全員に配布されている。
教えるのは担任の先生。「え!先生、英語しゃべれるの?」先生自身も不安だ。
そこで昨年度から、大阪市で先生相手の研修会の講師に走り回っている。
中学校の英語と、小学校英語活動との大きな違いは、「読まない・書かない・訳さない」、そして「評価しない」ことである。
聞くことと話すことに重点をおいている。
それは、「これだけ英語を勉強しているのに全く話せない日本人」をどうにかせねば!という危機感からの教育改革である。
では、われわれが受けてきた英語教育をふり返ってみると、
@文字(綴り)を覚える
A単語を覚える
B構文を覚える
C文法を覚える
D英語を日本語に訳す
E日本語を英語に訳す
となる。
実はこれは、江戸時代に脈々と受け継がれてきた「蘭学」の学習法そのものである。
福沢諭吉は、蘭学の方法では英語が話せないことを悟り、横浜の町で英米人と会話する中で英語を学び、「慶応義塾」を開いたのだ。
今年からの小学校における英語活動は、歴史的な変革なのである。
小学校英語活動開始1
いよいよ今年度から、小学校英語活動が全国的にスタートする。文部科学省から「英語ノート」という冊子が5・6年生全員に配布されることになる。教えるのは担任の先生。「え!先生、英語しゃべれるの?」先生自身も不安、保護者も不安というのが現状だ。
そこで昨年度から、大阪市で先生相手の研修会の講師をさせてもらっている。もちろん、5年生の担任をしながら。
研修風景はこんな感じで。
従来の英語学習の解説。なぜ話せないのか。蘭学の流れのままだから。
でも、その幕末にあって、耳から英語を覚えてペラペラになった初の日本人を紹介する。
ジョン万次郎。ジョン万次郎直筆の辞書の、コヲル(cold)、ウィンダ(winter)、ワラ(water)を紹介。ワラでは、ヒントにヘレンケラーと言うとノリが加速する。
そして、animal と文字を示して発音してもらう。全員が「アニマル」と発音する。次に画像に「エネモウ」と示して発音してもらう。
文字を見ると、ローマ字読み(日本語の発音)につられてしまうと強調する。
小学校英語活動の基本は「読まない・書かない・訳さない」である。(つづく)
キッズマートを開こう
5年生、今年度最後の学習参観は学年全体で総合学習のまとめをおこなった。世界がもし100人の村だったら。世界の子どもたちは今。ユニセフって何?
そして、最後は「今自分たちにできること」をテーマにバザーを開いて募金に充てる。
学年4クラスを解体して、「毛糸でエコたわし編み」「ミシンで古タオルぞうきん」
「牛乳パックに和紙を張って小物作り」「発信ポスターセッション」チームに分けて活動してきた。
参観ではプラス、学習園で育てた大根入り「みそ汁」を作って販売もする。
そんな中で糸井の発信チームは理科室でポスターセッションを続ける。
理科室を7つのブースに分けて(壁に資料を張るだけだが)、その前に丸イスを5つ6つ並べてコーナーを作る。
ポスターセッションの良い所は、本番が練習になることだ。初めは、原稿を棒読みの子も、だんだん目線が上がってくる。そして、アドリブも入れられるようになる。質問をしたり、されたり、参加者との交流ができるようになっていく。
「自分たちが恵まれていることに気づいて、あなた自身何か変わりましたか?」と保護者から鋭い質問も出る。
思わず、「お母さん、ありがとう」と涙を誘う場面もあった。
携帯電話禁止令発令
1月31日朝刊のトップは「小中学生の携帯電話禁止9割」の記事だった。皆さん、どう思われただろうか。
学校現場としては当然のことで驚くべきことではない。この「禁止」というのは、「学校へ持って来ること」であり、「個人として所持すること」ではないのだから。学校へ携帯電話を持って来てはいけません、ということを文部科学省名で発信しなければならないほど、みんな勝手に持って来ているという現実に驚くのである。特に、中学・高校で授業中に着メロが鳴り出すのは当たり前。テレビの学園ドラマでも当然の風景のように流れている。それが問題なのだ。
小学生でも「子どもの安全を誰が守るのです
か?」と、携帯電話を持って登校させる親が増えている。校門を出た瞬間に「帰るメール」をする子どもたち。それをまた自慢げに見せるからややこしい。
先日、兵庫教育大学学長・梶田叡一氏の講演の中で、「自ら学び、自ら考える子どもをと言う前に、まず先生の話を素直に聞き、自分をコントロールできる子どもを育てなければならない」と主張しておられた。同感だ。われわれ教師も信頼されるに足るように努力しなければならないのはもちろんである。
子どもたちに愛情光線を!
明けましておめでとうございます。年頭のごあいさつに、マザーテレサの言葉を思い浮かべます。
「人間の不幸は、病いや貧しさではなく、誰からも必要とされていないと感じることだ」と。秋葉原や酒鬼薔薇を例に出すまでもなく、目の前の子どもたちに愛情光線を浴びせ掛け、「あなたは大切な掛け替えのない存在なんだよ」と伝え続けていきたいと思っています。
大阪の渡し船に乗ろう!
大阪市に、現在も、渡し船が運行しているのをご存じですか。
木津川、安治川などで、橋のない不便な所を渡船がつなげています。
安治川の地下隧道(トンネル)で西九条と九条がつながっているのをご存じですか。エレベーターで地底に下り、川底の下を人と自転車が行き来します。
これらは、橋の代わりなのですべて無料です。
先日、セミナーで大正会館に行くことになりました。環状線「大正」駅からバスで15分かかります。
大正区は、陸の孤島と言われるほど交通の便が悪い。だからこそ、数多くの渡船が生き残っているのです。
現在、大阪市の渡船は8つ。
?天保山(てんぽうざん)渡船場A甚兵衛(じんべえ)渡船場B千歳(ちとせ)渡船場C落合上(おちあいかみ)渡船場D落合下(おちあいしも)渡船場E千本松(せんぼんまつ)渡船場F船町(ふなまち)渡船場G木津川(きづがわ)渡船場
自宅の住吉区から住之江区、西成区と自転車を走らせ(娘を後ろに乗せ)、千本松渡船で渡り、45分かけて会場入りしました。
帰りは、落合下渡船を利用して西成区から阿倍野区、東住吉区を通って帰りました。けっこう便利なものです。
ぜひ、大阪市の渡船マップのホームページをご覧ください。大阪探検小旅行に出掛けてみませんか。
チョコレートの向こう側2
カカオ豆からチョコレートやココアができる事。その7割をアフリカのガーナという国から輸入している事。そのカカオ農園では、多くの子どもたちが学校にも行けずに、働いている事を知った。
そして、映像を見た。11歳のアペティーと6歳のコフィーの兄弟のお話。朝5時に起きて水くみに行く。朝から夕方までカカオ農園で働く。木に登って実を取る。それを集める。なたで実を割って豆を取り出す。天日干しをする。下草を刈る。農薬をまく。そんな毎日。
そこで、子どもたちにこんな質問を投げかけた。アペティーたちはかわいそうか?
かわいそうだ・・・17人
そうは思わない・・17人
(かわいそうだと思う)
・学校に行けずに、ずっと働いていて、食べものも少なくて、ボールペンさえ買えないから、かわいそうだ。
(そうは思わない)
・お母さんのために働いているから。
・文化の違いでしかたがない。
・アペティーたちは、自分たちの事をかわいそうだと思っているのか。
・世界中では、戦争とかでたくさんの人が死んでいる。生きているだけで幸せ。
・かわいそうだと言って何もしない人は失礼だ。
・アペティーの身になって、かわいそうだと言われたらいやだと。
(その結果)
かわいそうだ・・・7人 そうは思わない・・27人
さあ、これからどのように進めていくか、お楽しみに。
チョコレートの向こう側1
子どもたちの身近なチョコレートがどこから来ているのか。5年生、総合的な学習のテーマは「世界の子どもたちは今」。
グローバル化の中で、「物流」が複雑になり、介在する人間が見えにくくなっている中で、その原料にまでさかのぼると、全く未知の世界が見えてくる。
『わたし8歳、カカオ畑で働き続けて』児童労働を考えるNGO=ACE(合同出版)という本に出合った。
チョコレートやココアは、カカオの実の中の豆からできる。日本はその7割をガーナから輸入している。
そのカカオの収穫に当たって、たくさんの子どもたちが学校に行かずに、奴隷的な労働を強いられていることが問題になっている。
6歳の子が、カカオの木に登って実をもぎ取っている。その実からチョコレートができることも知らずに。それより何より、チョコレートを食べたことも見たこともない。
日本の子どもたちの大好きなチョコレートが、実は、アフリカの子どもたちの「血と汗と涙の結晶」であることに気付き、世界の厳しい現実と向き合わせたい。カカオの会社からカカオの実の模型や、カカオ豆を譲ってもらった。やはり、現物に触れさせたい。
そして、06年にテレビ番組でガーナの児童労働が取り上げられた「土曜プレミアム『世界が100人の村だったら』〜チョコレートがどんな食べ物かも知らずにカカオ農園で働く兄弟アベティくん11歳・コフィーくん6歳〜」を見せて考えさせる。
竜馬のように生きる
歴代糸井学級の壁には、坂本竜馬の写真が大きく張られ、五月ごろに白黒写真のサムライについて語り始めることにしている。
「小学校五年生になってもおねしょが直らず、勉強も苦手で、いじめられっ子だった」と話すと、子どもたちの目が輝く。このギャップが竜馬の魅力だ。そんな竜馬が、どうして歴史に残る人物になったのか。そのきっかけは?と話し始めると、一段と子どもたちの目が輝く。
サムライと言えば‥剣道。弱虫で泣き虫だった少年が剣道に目覚めて強くなっていく。そんな話がここに詳しく書かれています、と『お〜い竜馬』を紹介する。以後、学級文庫として全23巻が子どもたちの愛読書となっていく。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』をもとに、武田鉄矢が書き下ろした漫画で、「金八先生」の苗字が「坂本」であるように、彼は大の竜馬ファンである。泣けるシーンも多く、子どもたちもこっそりと感動している様子がうかがえる。
今年の五年生も今、竜馬との出会いを迎えたところだ。
新天地での出会い
新しい学校に転勤し、5年生の担任となり、34人の子どもたちと新しく出会った。
そして、2回の参観が終わり、あるお母さんから、こんなお手紙を頂いた。
ーー糸井先生の参観を拝見し、「分かる人?手を挙げて!」「はい、○○君!」という先生の言葉を聞いたことがありません。地図帳で先生が「○○」(地名さがし)と言った時も、「分かった人?」と、一人二人手が挙がり、「は〜い、分かった人は周りの人に教えてあげて」と、柔らかい言動。黒板に書く人を決める時も、「○○さん、分かるかな?書いてみよう。ゆっくりでいいよ」「おっ!○○君、書きたそうやなぁ」。思わず先生のペースに引き込まれ、笑ってしまいました。
自主性を生かしながら、助け合い、学ぶという姿勢に、今までにないカルチャーショックで、私も糸井ワールドに引き込まれました。楽しく有意義な授業をありがとうございました。ーー
その話を古い仲間に話すと、「上品な雰囲気でお前らしくない」と(笑)。かつて、「糸井が担任になるなら、署名運動をしてでも反対する」と言われた苦い経験があるだけに、少しは成長したかなと思う。
しかし、油断は禁物。子どもは生き物(生もの)であり、天使の顔ばかりじゃない。調子に乗っていると足元をすくわれる。それは、子どものせいではなく、子どもを見る目を失った担任の責任である。
学級崩壊や、モンスターペアレント、いじめやネット犯罪など、課題が山積の教育現場での、教師たちの奮闘ぶりをお伝えしていきたい。
子どもたちと一緒に卒業!
五年の時に、担任の先生が三人替わり、不安定になったクラスを、そのまま持ち上がりで担任することになった(希望した)。
そして、一年が過ぎて、涙涙の卒業式を迎えることができた。卒業式後、東京へ引っ越す少女から手紙が届いた。
私の机の上には、修学旅行の全体写真があります。いつも、ふつうに見ていた写真だけど、卒業後に見るとすごく悲しく見えます。もうこのメンバーで集まることはないんだなと。卒業式の日、私は涙が止まりませんでした。覚悟していたつもりだったのに、つらくて、悲しくてどうしようもありませんでした。
私は忘れません。こんないい六年二組に出会えたという奇跡を。六年二組全員が大好きだという今の気持ちを。私はこの出会いを忘れずに、新しい土地、新しい学校、新しい友だちに一生けんめいに向き合っていきます。短い一年だったけど、本当にありがとうございました。今度会う時は、ビックリするくらい成長した私を見てほしいです。二十歳の同窓会を楽しみにして、新しい学校でもがんばります!
そんなぼくも、彼女たちと一緒に卒業(転勤)することは知らせていない。
さあ、新しい土地、新しい学校、新しい子どもたちに一生懸命に向き合って行こう。子どもたちの感謝の手紙はぼくの宝物であり、エネルギー源である。次号からは、新天地での七転八倒ぶりを紹介します」
8年前の卒業生と成人式で2
1月14日(祝)成人の日。8年前の卒業生から、成人式の後の、夜の宴会までの間の夕方に、小学校時の先生を囲んで同窓会をしたいと連絡が入った。
懐かしい教え子たちとの再会は教師人生のご褒美でもある。
そんな中で、中学を出て働いているAが羽織袴姿でふんぞり返っていた。20歳にしては落ち着いて見える。大工仕事一筋6年目。来年は、父から独立して親方になるらしい。一児のパパでもある。Sが言う。「ハタチは微妙」20歳では、あまりにも、環境・境遇が違いすぎる、と。2浪して明日入試だというBもいる(ぼくもそうだった)。夜の世界にどっぷり浸っているC。鉄工所で汗まみれになって働いているD。大学生もいれば、短大でもうすぐ就職という子も多い。昔話はいいけれど、今の話は、噛み合わない、と。四十歳で、また会おうと伝えた。人生いろいろ、人それぞれ。俺は30前半までフリーターで35で結婚・就職したんやで。先ゆくもよし、後から来るもよし。
この会を企画してくれたK。彼女たちとは卒業前、廊下に座ってよくしゃべった。福祉の道に進みたいと、ずっと言っていた。そして、この春から、福祉施設に就職が決まったようだ。夢に向かって、まっすぐ来たことを先生に聞いてほしかった、と。夢は実現したら終わりじゃない。そこから夢を続けていくのがもっと難しい。それにしても、よくやった。本当におめでとう。20年後にまた会おう。「先生、生きててや」「まだまだ、これからや」
8年前の卒業生と成人式で
1月14日(祝)成人の日。8年前の卒業生から、成人式の後の、夜の宴会までの間の夕方に、小学校時の先生を囲んで同窓会をしたいと連絡が入った。毎年、バースデーメールをくれるKが企画してくれた。
最寄りの駅に着くと、晴れ着姿の成人女子たちがまぶしく待っていてくれた。その隣にお一人、懐かしい顔。Kのお母さんが、娘の晴れ姿を先生と一緒に写真をと、待っていてくださった。Kたちの中学入学式以来の再会である。同年代だけに懐かしさも倍増!今度は、ぜひ、父母との同窓会をとお願いした。写真を撮ったら、「今日はよろしくお願いします」と、さっと帰られた。うれしいやら、申し訳ないやら、ありがたい再会だった。
隣のクラスと合同で行ったため、予習不足!隣のクラスの子の一部の名前を思い出せなかった。一生の不覚。そんな中で、一人だけ、ジャンパー姿の女子A。不登校気味で、よく起こしに行った子だ。ずっとシャッター押し係をしていた。一緒に撮ろうと、携帯写メでツーショット。すると、「私、ニートしててん」とつぶやき始める。すかさず、「しててん、と言うことは今はどないや?」「今、薬局でバイトしてんねん。今日もバイト終わったばっかり。夜の飲み会は行けへん。先生に会いたかったから」と。とにかく、「しててん」って言えることは、一歩踏み出したことや。よう頑張ったな。乗り越えたな。がんばれよ。と、名刺を渡した。(つづく)
よかったら、読んでみてください。
高学年の女子の読んでいる本2
クラスのおませな女の子が「先生にも読んでほしい」と貸してくれた一冊の単行本『恋空』美嘉(スターツ出版)。
内容は、高1での初体験、嫉妬、レイプ、いじめ、妊娠、流産、リストカット、友情、大学生との出会い等が淡々と描かれている。
毎日、毎日、携帯電話のメールの生活。起きている(生きている)間ずっとケータイが続く。今の高校生の日常なんだなあ・・・。
それを小6のクラスの女の子たちが熱狂して読んでいる!?「先生、泣けるやろ?」と。「ヒロ」と「優」という二人の男の子が出てくる。そのどちらがどうのこうのという話ばかり。
リアリティーに欠ける。バーチャルなのだ。
『恋空』について、いろんな女の子と話した。リアルとか、バーチャルとか、あんまり関係なく、「泣ける!」がキーワードのようだ。そして、下巻を借りて読み終えた。
泣ける。思わず、泣いてしまった。
「なんやねんコイツ!」と思わせておいて、実は…という古典的とは言え、ツボにはまる結末。
少女たちは、この「カタルシス」を求めていたのだ。大ヒットの理由がわかった。小学生には決してお薦めはできないけれど、高校生や、若いママが、熱中する理由がよくわかった。
よかったら、読んでみてください。
高学年の女子の読んでいる本
クラスのおませな女の子が「先生にも読んでほしい」と一冊の単行本を貸してくれた。表紙が擦りきれるほど、友だちにも薦めているらしい。
『恋空』美嘉(スターツ出版)
副題が「切ナイ恋物語」とあるが、内容は、高1での初体験、嫉妬、レイプ、いじめ、妊娠、流産、リストカット、友情、大学生との出会い等が淡々と描かれている。
毎日、毎日、携帯電話のメールの生活。起きている(生きている)間ずっとケータイが続く。今の高校生の日常なんだなあ・・・。
それを小6のクラスの女の子たちが熱狂して読んでいる!?
近い将来のこととして、身近な思いで読んでいるのだろうか。遠い別世界のこととして、お話として楽しんでいるのだろうか。
『恋空』の「こ」も知らなかったが、ちょっと周りに聞いてみると、誰もが知っていた。知らぬは、男性教師のみ。
もともとは、携帯小説(ネット配信)で、1200万アクセスがあり、単行本になり150万部も売れているそうだ。映画化もされ、先週から公開されている。主題歌はミスチル。
子どもがどんな本を読んでいるのか、親も教師も知っているのだろうか。「時代遅れ」にならないためでなく、子どもたちを取り巻く「現実」を知らなければならない。
授業参観はこの流れで3
日曜参観(六年生)の2時間目の授業記録。今日の参観のテーマは、「子を思う親心」。
万葉集の「読み人知らず」(誰が作ったかわからない)の歌を紹介する。
『旅人の 宿りせむ野に 霜降らば 吾が子はぐくめ 天の鶴群(たづむら)』「吾が」は「あが」と読みます。「吾が子」とは誰でしょう。難しい発問だった。「読み人」の子ども。「旅人」とは誰ですか。「吾が子」のこと。息子が遠い旅の途中で
(遣唐使)、野宿をしていることを想像して、空高く飛ぶ鶴たちよ、霜が降りて寒い思いをしている息子を、その羽でくるんでやっておくれという親(母?)の思いを歌っている。
親が子どもにしなければならないこと。「教」は、むちを持ってビシビシしつける様子からできた漢字。「育」は、子どもが逆さになって産まれてきて、肉がついて成長する様子からできた漢字。
ところで、鶴の羽で「はぐくめ」と書いています。「はぐくむ」を漢字で書きなさい。「育む」と書けていた子は5人。国語辞典で、「はぐくむ」を引かせると、小学校の国語辞典なので漢字は載っていなかったが、しっかりと「親鳥がひなを羽で包んで育てること」と書いてある。
中国で生まれた漢字では、赤ちゃんが産まれてきて成長していく様子からできた「育」となり、それを日本語に当てはめた時、鳥がひなを羽でくるむ様子から「育む」という言葉ができたのです。
どこの国でも、いつの時代でも、親が子どもを思う気持ちに変わりありません。
授業参観はこの流れで2
さて、ある夫婦のお話です。結婚して長い間、子どもができませんでした。7年目にして、やっと産まれた赤ちゃんは男の子と女の子の双子でした。男の子には、強いリーダーになってほしいと「将」、女の子には、優しい子になってほしいと「優」と名づけました。
1歳半になろうとしたある日。この家族を悲劇がおそいました。
1995年1月17日午前5時46分。阪神淡路大震災。暗闇の中、大きな揺れに飛び起きたお母さんは、右手で優ちゃんを引き寄せました。そして、左手で将くんを・・・と伸ばしたところは壁。将くんは、タンスの下敷きになっていたのです。やっと、引っぱり出して病院に連れて行った時にはすでに息を引き取っていたのです。
悲しみのどん底にありながらも、一生懸命に優ちゃんを育てました。そして、小学校に入学する年になり、優ちゃんの記憶の中に将くんの面影はすでになく、お母さんは、その記憶を取り戻そうと、「将君のホームページ」を作ります。その中で、将君に語りかけるのです。
「将君、ごめんね。替われるものなら、替わってやりたい」と。
どこの世の中に、自分の命のかわりに死んでもいいと言ってくれる人がいるのでしょう。
反抗期、思春期と言われる時期に入り、親のことがうっとうしくなることもあるでしょう。それはそれで当然の成長なのですが、いつだって、親は子どものことを思っているものです。それは、自分が親にならないとわからないのかもしれないけれど、今日の授業のことは忘れないでほしい。
この授業のために、「将君のホームページ」ママさんからご許可をいただきました。
授業参観はこの流れで1
日曜参観(六年生)の2時間の授業を組み立てた。まずは、リズムとテンポよく保護者も巻き込んで考える授業。そして、深く考え驚きのある授業。そして、涙を誘う授業。
一時間目は社会。地図帳での地図探し。「大阪城!」と一言。見つけた子は立っていく。東大寺。金閣。高松塚古墳。最後に、違うページで三内丸山遺跡。都道府県クイズ。○○ま(2つ)、○○○ま(7つ)、○ま○○(4つ)、○ま○(1つ)。廊下でおしゃべりしている人も巻き込んで集中。
一区切りつくと突然、「ひなまつり」のCDを流して、登場人物を問う。五人囃子。お内裏様。お雛様。官女。右大臣。「これは何時代でしょう?」「平安時代」「官女はどんな人?みんなの知っている有名な人が二人いる」「紫式部と清少納言」。
そして、最後は、五色百人一首を二試合。
小倉百人一首を、20枚ずつ5色に分けた「五色百人一首」は一試合3分でできる優れた教材で、この八年間、ほぼ毎日行っている。
二時間目の授業は次号で。
この五色百人一首をはじめ、工作・書道・漢字文化・学習ゲーム・英会話等、親子で糸井の授業を体験しませんか。我々現場教師が、学校を離れて、自分たちの研究成果を一般に開放します。
授業開きは跳箱でドラマ
昨年度、少々荒れた6年生を担任することになった。新学期、みんなリフレッシュしてがんばろうとしている(5月15日号参照)。
まとまりたい!
もりあがりたい!
協力したい!
はじめの作文にも書いていた。その期待を裏切らない授業を展開しなければならない。だから、跳び箱。
まずは、一人ずつチェック。いくらかっこよく跳んだつもりでも、着地や姿勢でB!マットの横に出たらC!
そして、O君が跳び箱の上で尻餅。クラスの大半が笑った。
すぐさま、「今、笑った人、立ちなさい。失礼です。謝りなさい」。
でも、それだけでは、O君の事実は変わらない。10分後、O君の動きが変わってきた。それに気づく子もいる。
そして、跳べた。2回目も跳べた。3回跳べた。
みんな集めて、扇形に座らせた。「さっき、笑った人、立ちなさい」。
「O、跳びます。立っている人は拍手2倍用意!」。
O君はみごとに跳びました。心からの拍手が響きました。
「O君、今の気持ちを一言」。「今まで、跳び箱はこわくて、きらいで、できなかったけど、今日、生まれて初めて跳べて、とってもうれしいです」。
また、大きな拍手。
「ぜったい、ええクラスにしていくぞ」。
「ぜったい、感動の卒業式をむかえるぞ」。
そう心に誓いました。
出会いの作文(小6年生)
私は始業式の日、担任の先生が誰になるかとても楽しみにしていました。発表が6年生の番になって、
「6年2組、糸井先生」と聞いた時、まずビックリして、口がポカンと開いたことを覚えています。私は、(良さそうな先生だけど、怖そうだな)と心の中で思っていると、周りにいた友だちがさわいで、私も不安になりました。
教室に入って、糸井先生のお話の中で、先生は自分から6年2組の担任になりたかったと知りました。なぜか、とても心が軽くなった気がしました。ほかにも、6年2組をばかにした人を叱ってくれたこと、共に戦っていこうと言ってくれたことなど話を聞いているうちに、不安とかはもうなくなっていて、不思議と「この先生なら信じられる。大丈夫」と思えました。それから、いきなり、授業が始まりました。「も」「十」「ヲ」「×」の書き順の勉強をしました。これぐらいカンタンやんと思っていても、案外まちがっていて、めっちゃビックリしました。
そして一週間、クラスの大きな変化に気づきました。糸井先生が担任になってから、教室の雰囲気が全体的にちがうこと。自分自身が変わっていること。例えば、去年なら、ケンカがたえなかったし、授業中、先生の声が聞こえないくらいうるさくて、静かな時はほとんどなかった。それが、今は全然ちがって、授業中立ち歩く人もいないし、先生が話す時は必ずといっていいほど静か。自分自身も昔とくらべれば、前の自分がとてもなさけなく思えてしょうがないです。1年間よろしくお願いします。
最後の学級通信
さあ、2年後の卒業に向かって、5年生の始まりです。この夏には、2泊3日の林間学習もあります。来年はもう修学旅行です。
息子が同い年なだけに、この学年には特別な思い入れがあります。腕に抱き、肩に乗せ、だっこおんぶの記憶がよみがえってくるのです。
今、2年間の思い出が頭の中でぐるぐる回っています。運動会の「よさこい」、「エイサー」・・・、雨の中の「星のパーランク」。堂々と踊り続けた姿が今も目に浮かびます。
日記を書く習慣は、宿題に関係なく人生の記録として続けてほしいものです。記憶はうすれても、記録は残ります。
漢字もよくがんばりました。もちろん個人差はありますが、「ゆび書き」「なぞり書き」「うつし書き」「ためし書き」のシステムは浸透したことでしょう。 算数のノートも美しくなりました。問題と問題の間は、指1本空ける。補助計算も大きくしっかりと書く。ゆったりと見やすいノートは、頭の中が整理されるのです。
五色百人一首もなつかしく、この体験と記憶は、中学・高校に行った時に、あらためて思い出されることでしょう。
そして、何よりも「仲間づくり」。いじめに関わって、とことん話しました。みんな遊びについて輪になって激論もしました。そんなこの子たちと、この2年間、ともに過ごせたことを幸せに思います。あれもやりたい、これもやらせたいと、思うほどにはでききれませんでしたが、この子たちの成長の「時」を共有できたことが私の人生の財産です。
これをもちまして4年1組を解散します。2年間お預かりしたお子様を、本日をもってお返しいたします。本当にいろいろありがとうございました。
カンボジアを再び訪ねて2
カンボジアと言えば地雷。その地雷原を開拓して、かつての「難民」が定住の努力を続けている。
バンスナオ村。2年前には、村(100人)に手掘りの井戸が一つしかなかった。帰国後(6年生担任)卒業記念に井戸を一本贈ることができた(街頭募金・10万円)。
古い井戸は封印され、新しい井戸では、お姉さんたちが洗濯をしていた。
バンスナオ小学校を訪ねると、元気な声が聞こえてきた。わらぶきの土間の小屋ながら、学ぶ気持ちが充満していた。
子どもたちは、礼儀正しく、「スムリアップスオ(こんにちは)」と挨拶する時には両手を胸に合わせて会釈する。何よりも、笑顔が返ってくる。
「カンボジアこどもの家」の栗本氏が言うには、笑顔はしつけではない、本能だと言う。考えさせられる言葉だ。
自分のクラスの子どもたちの笑顔を思い出しながらも、また、カンボジアに行きたいと思う。
カンボジアを再び訪ねて1
二年ぶりに、「カンボジアこどもの家スタディーツアー」に参加して来ました。
バンコクから陸路西へ車で4時間。国境を越えるとカンボジア・ポイペット。外務省から危険勧告の出ている地域です。
内戦が終結して、難民の人たちが定住を始めました。国が土地を提供してくれます。しかし、その土地は、地雷原。
そこに一人の日本人が入りこみ、「ひとりNGO」で支援を続けています。
栗本英世54歳。
村人たちと地雷を除去しながら、村を開拓していく。
寺子屋を建てる。
孤児を引き取る。
それを日本の人たちにも知ってもらおうと、スタディーツアーを企画されています。
二年前にはじめて訪ねて、衝撃を受けました。手掘りの井戸が一つしかなかったバンスナオ村に、帰国後(6年生担任)卒業記念に井戸を一本贈りました(街頭募金・10万円)。
その井戸を確認に行くのも、今回の大きなテーマでした。
その井戸では、きれいな若いお母さんが洗濯をしていました。
そこには何の記念碑もありませんが、確かに、日本の子どもたちの思いが届いています。援助とは、そういうものだと、栗本さんから何度も学びました。
記録と記憶を整理しながら、国際貢献についてもう一度考えていきましょう。
いじめ発覚とその対応2
「ズボンをぬがされたくらいでいじめだとは判断できない」、「キモイと言われたことが、直接自殺の原因になったとは思われない」。そんなコメントを聞くたびに、現場の人間として無性に腹が立つ。あまりにも鈍感すぎる。それほど、「いじめ」は見えにくいものであり、教師の人権感覚を問われることにもなる。
ある年の6年生。大人しかったA君が、最近は友人関係も変わり、活発になってきたと好意的に話題にしていた時である。他学年の同僚に、「Aたちの3人組の動きが気になる。プロレスごっこに見えるけど、いつもAが下になっているようだ」と指摘を受けた。
実際によく観察して見てみると、Aはひきつった笑いを浮かべながら、いつも「やられ役」になっていた。聞き取りの中で、「いじめ」だと判断して、学校ぐるみで対応して、悪化を防いだ。
最近は、いじめの芽を発見しようと、肩の組み方にも注目している。身長差に関係なく、自分の方が「上」だとアピールするために、上から肩を組んでいるのだ。
このように男子の「いじめ」は比較的見えやすいが、女子の「いじめ」は見えにくい。
小グループ(3〜4人)の中で、悪口を言った聞いたで、「いじめ」のターゲットが変わっていく。しかし、必ずボス格の子がいて、「あの子に嫌われたくない」と周りが動いている。
その呪縛を教師が解き放ってやらなくてはならない。
新年は、いじめ発見システムと、対応について考えていきたい。
よいお年を!
いじめ発覚とその対応1
「いじめ」による自殺が連日のように報道され、子を持つ親としては、他人事ではなくニュースに釘付けになる。
まして、教師がいじめを誘発・助長・加担していたとなると、犯罪としか言いようがない。
「いじめ」は、被害者に精神的・肉体的苦痛を継続的に与えていても、加害の意識は少ないものである。
例えば、男子が三人でプロレスごっこをしている時は要観察。
必ず、上に乗ってはしゃいでいる子と、一番下になってひきつって笑っている子がいる。上の子が下になることは、まずない。男の子の力関係とはそういうものであり、それが「いじめ」の芽であることを教えなければならない。
女子のコソコソ話も、必ず2対1、3対1の関係を作り、その「1」になりたくないからお互いを排除しあう関係ができていく。それを見抜き、それが「いじめ」の芽であることを教えなければならない。
こんな偉そうに言っている自分のクラスでいじめが発覚した。
一人の子に対して、陰で「キモイ」と言って避けるようになっていたのだ。
「自分はいったいどこを見ていたのか?」
「この一年半、何をしてきたのか?」
自分を責めるしかない。
しかし、何よりも緊急事態である。まだ、直接攻撃(暴言・暴行)はない。
さあ、「いじめ発見システム」と「いじめへの対応」について、自分の失敗をふり返って考えていきたい。
教師を目指す学生さんへ
教員養成系大学の前に立ち、こんなチラシを配って来ました。
「近い未来のために現場の教員といっしょに『教え方』の勉強をしませんか。
アットホームな雰囲気で、模擬授業を見せ合い、ワイワイやってます。現場の教師(20〜40代)がどのように自己研修を楽しんでいるのかいっぺんのぞきに来てください。学生のうちから、現場の空気に触れておくことはとても大切ですよ。」
このチラシがなかなか受け取ってもらえない。「現場の教員といっしょに勉強しませんか」と言っても黙殺。何度も言葉を変えるうちに、「採用に向けていっしょにがんばりましょう」という呼びかけが一番心に届いたようだ。
君と出会いたいんだ!という祈りをこめて、受け取ってくれた子(こういう表現がオッさん臭いが)には、「ありがとう!がんばってな」と声を添えた。
その夜、一回生の男子学生から、「見学したい」というメールが届いた。
この一人と出会うために、200枚の意味があったのだ。
大学では、学問の研究はあるが、具体的な「教え方」は教わらずに、そのまま現場に放り込まれる。
医学部の教授は、自ら手術の執刀に立ち、学生に範を示すが、教育学部の教授が、自ら教室に立ち、学生に授業を見せることは皆無である。
それを補うためにも、学生と教員が直接つながる場を作りたいと考えている。
興味のある方は、編集部までご連絡ください。
十年次企業研修
35歳までフリーター(世界放浪)をして、やっとたどり着いた「教諭」生活も、十年が過ぎようとしている。
この夏、十年次研修として、「企業体験研修」があった。はじめは、「なんで、ぼくが今さら社会体験せなあかんねん」と思っていたが、やはり未知の世界を知ることは旅に似て、ワクワクする夏を過ごすことができた。
「きんでん」は、関西電力の協力会社で、電柱を立てたり、電線をつないだりしている。
高校を卒業した青年たちが全寮制で訓練を受けている「きんでん学園」が甲子園にある。
そこで、技能オリンピックを目指す人や、現場で配線工事をする人を育てている。地下鉄谷町線大日駅前にできる巨大なショッピングモールの建設現場を、ヘルメットをかぶって見学したり、地上17mの電柱にのぼる訓練を受けたり、光ファイバーの接続実習をしたりの3日間だった。
私が一番興味をもったのは、それぞれの現場の人たちが、「あの時」(阪神淡路大震災)に何をしていたか。電気・ガス・水道のライフライン(生命線)のうちで、電気だけが1週間で復旧したことを聞いていたからだ。一人ひとりの職人技と、組織としての絆(指揮系統)がその要因だということが、この研修を通してよく理解できた。
3K(きつい・きたない・きけん)と言われる厳しい仕事の中で、市民生活の生命線を支えているという誇りをもって働く多くの職人さんに出会った。電柱を見上げるたびに、その笑顔を思い出す。
子どもが犠牲になる「場所」
「入りやすい場所」
「見えにくい場所」
子どもが犠牲になる犯罪のすべてに共通しているのは、犯人の「異常さ」でも「変態癖」でもなく、被害に遭う「場所」である。
そう名言するのは、立正大学社会学教授の小宮信夫氏である。
著書の『犯罪は「この場所」で起こる』(光文社新書)に詳しく書かれているが、読みやすさとしては『子どもは「この場所」で犠牲になった』(別冊宝島)がお薦め。
犯罪者個人に注目するのではなく、その犯罪が起きた場所に注目することで、次なる犯罪を防ぐ方法が見えてくるという。
実際に記憶に残る凶悪犯罪の起こった「場所」を確認してみる。
?連続幼女誘拐殺害(小学校の塀と団地の側面に面した道路)'88年10月3日
?酒鬼薔薇神戸須磨連続児童殺傷(裏山のアンテナ基地)'97年5月27日
?大教大付属池田小学校殺傷(門の開いた学校)'01年6月8日
?中一男児による長崎男児誘拐殺害(電化製品量販店で誘い、立体駐車場から投げ落とす)'03年7月2日
?奈良女児誘拐殺害(幹線道路沿いで、歩道は駐車場の防護壁)'04年11月27日
?広島女児殺害(塀の高い家々に囲まれた道で誘い、路地裏の空き地に死体遺棄)'05年11月23日
?川崎マンション男児投げ落とし(マンション最上階)'06年3月20日
犯罪の起こった原因を探るよりも、こうやって「場所」を分析することによって、新たな視点と予防策が見えてくる。
子どもたちに、「入りやすくて、見えにくい」場所をしっかり教えなければならない。そして、地域と警察や学校が一体となって、町ぐるみで「入りにくくて、見えやすい」空間作りに努めなければならない。
身の回りの牛製品
こんな授業を組み立てました。親子でいっしょに考えてみてください。
(剣道の防具「胴」を見せて)これは何からできているでしょう。 ?プラスチック ?牛の革 ?木の板
答えは?。戦国時代のはるか昔から、鎧甲は牛の革でできているのです。
(「牛」と毛筆で書いた色紙を見せて)このように、身の回りには、牛からできた物がたくさんあります。ノートにできるだけたくさん書きなさい。
お肉、乳製品、皮(革)からできた物に分かれる事でしょう。しかし、牛からできた物は、まだまだたくさんあります。今から、牛を使ったお菓子を食べてもらいます。(一人指名)目をつぶって。これは何でしょう。
グミです。成分表示に、「ゼラチン」と書かれています。これは、牛の皮の下の脂から取った物です。ゼラチンは、ほかにも、写真のフィルム、薬のカプセル、シャンプー、シンクロナイズドスイミングの選手の髪固め剤などにも使われています。
(先ほどの「牛」の色紙を示して)ここにも牛が使われています。何でしょう。
墨です。墨は、ただの黒い粉ではありません。「にかわ」という牛の脂が使われているのです。だから、服に付いたら取れません。霧吹きスプレーで色紙に水をかけて、白い紙で版画のように重ねても真っ白のまま。
牛は、鳴き声以外、捨てる所がないと言われています。それは、「牛の命」をいただく以上、すべて役に立つ物に利用したいという先人たちの深い思いがあるのです。
今日も、そして明日も、「いただきます」。
目からうろこの慣用句
こんな授業を組み立てました。大人もいっしょに楽しめます。
次の( )には共通の漢字が入ります。漢字一文字。
( )を休める。 ( )が離れる。 ( )を焼く。 「手」です。
手を焼くと言っても、手を火で焼いたら大変なことになります。このように、二つの言葉をつなげて、特別な意味を持たせる言葉を慣用句と言います。
こんな慣用句もあります。
「手をこまねく」。どんな時に使いますか。実際に、手をこまねいてみてください。手をこまねくは、「何もしないでただ見ていること」。
「こまねく」を漢字で書いてみましょう。いきなり、書けませんよね。「拱く」と書きます。手偏に共。両方の手で腕組みすることなのです。このように、長年、慣れ用いているうちに、本来の意味が忘れられている慣用句もたくさんあります。
例えば「束」。何と読みますか。たば、ソク、ショク、つか、とも読みます。束の間の恋などと言いますね。「つか」は、体のある部分の長さを表しています。
手で示してごらん。四本の指が並んだほどの長さ。(おもちゃの刀を示して)「どこをつかんでいますか」。
「つか」。持つ所、「柄(え)」と書いて「つか」と読みます。
「つか(束)」「つか(掴)む」「つか(捕)まえる」そして、「刀のつか(柄)」。
漢字で書けば、違うけれども、すべて四本指の「束」からきているのです。
当たり前に使っている言葉、当たり前に使っている慣用句をもう一度見直してみましょう。
みなさんも、辞書を引きたくなってきたでしょう。ご家族でお楽しみください。
「目線」で子どもを鍛える!
新任2年目、5年生の担任で、隣のクラスと理科と社会の交換授業をしていた。「糸井先生の社会になると、急に子どもたちの落ち着きがなくなる」と言われた。
板書している間にけんかが始まったり、誰かが泣き出したりする。隣のクラスのベテランの先生に「私の時は、みんないい子なのにねえ::」と不思議がられた。
「糸井先生、見てなかったの?」と聞かれて、言葉につまった。「見えていませんでした」としか答えられなかった。いつ、ちょっかいをかけたのか、いつ、席を立ったのかわからない。見えていないのである。それは、自分のクラスではなおさらである。
今ならわかる。
子どもたちは先生の視線を気にしている。「目を盗む」ということばがあるくらいだ。子どもたちは、「見てほしい」「認めてほしい」気持ちでいっぱいだ。その期待を裏切るかのように、子どもたちが「先生はちゃんと見てくれていない」と感じたら、学級は崩れ始める。すべての責任は教師にある。
確かな「子どもへの目線」は、心地よい緊張感と、認められているという安心感を生む。
教室の四隅の子どもたちを「Z」を描くように見る。一歩退いて、手前の両端の子に視線を送る。視線を流すのではなく、瞬間瞬間に目をとめる。にらんできた子には、にっこりとほほえみ返す。
そんな微細技術は、大学では教えてくれない。自ら本を読み、学習会に参加して学んでいくしかない。
小学校での英語必修化
3月27日、文科省は「小学校での英語必修」を正式に言及した。いよいよ、その時が来たのだ。
報告書は「小学校英語」の目的について、「外国人と積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成や国際理解を深めることを重視すべきだ」と指摘。文法や会話技術などは、中学入学後からでも一定水準に到達できるとし、小学校では簡単な単語や表現を聞いたり、話したりしながら、「英語に慣れる」ことが重要だとした(読売新聞・3月28日)。
いったい誰が教えるの?
現在、枚方市でも全小学校で英語活動が取り入れられている。それはすべて担任の先生が教えている。
え?!担任の先生って英語しゃべれるの?
中には、英会話学校に通って熱心に自費研修されている先生もいるが、ほとんどの先生は、英語に自信はない。
でも、大丈夫。我々教師は、子どもを教えるプロであり、学級活動を組織するのはお手のもの。
大切なことは、開き直りと盛り上がりなのだ。教師が発音を気にしているようでは、日本人の英語力はアジアで最低のまま。
日本人が英語を話せないのは、英語の能力が低いのではなく、「恥ずかしい」「間違えたらどうしよう」という意識が先に立つからである。
教師自身が、その殻を破り、一歩前に出ることによって子どもたちは変わるのである。
文科省は、中学校英語との連動のために、高学年への導入を計画しているようだが、私としては、逆の発想で、低学年からの導入を希望する。恥じらいの出る思春期に入る前から、耳で覚え、体で覚える英語活動を実践していきたい。
今年度は持ち上がりの4年生担任。始業式の日から、ABCのフラッシュカードで突入する。1年間で、全員がパソコンのローマ字入力ができるようにするのが今年の目標である。
五色百人一首大会の応援団
3月12日(日)、大阪市平野区大念仏寺。五色百人一首大阪市内大会が第7回を迎える。初めの頃は、大赤字だった。それを防ぐために、一人で協賛金集めを始めた。当時の会場は住吉大社。たった一人で、見知らぬ駅に降り立ち、心臓をドキドキさせながら商店街に第一歩を踏み込んだあの日が懐かしい。
4年前、初めに手にしたのは、花屋さんに頂いた百円玉。濡れたワンコインは草の香りがした。しかし、翌年からは一銭も頂けない。
八百屋の親父さんには、「商売のじゃまだ」と追い返された。翌年、再度アタックすると、ぶっきらぼうにつり銭のザルの中から百円玉をくださった。そして、昨年は、覚えていてくださったのか、「なんぼやったかな」と、今度は5百円玉が飛び出てきた。下町の八百屋のオッチャンと年に一度、このような関わりを持つのも悪くない。今年は、「毎度すんません。今年もよろしくお願いします」と一歩踏み出すだけで、ザルの中の小銭をまさぐって5百円玉を探して差し出してくださった。次の再会が待ち遠しい。ますますお元気で。
昨年、お風呂屋さんに飛び込んで、番台のおばあちゃんに声を掛けた。お客さんがほとんどいない時間帯だったためか、よく話してくださった。遠く離れたお孫さんが、百人一首が得意だとの事。そして、引き出しから千円札を出してくださった。
今年、番台にはおじさんが座っていた。息子さんだろうか。全く相手にされなかった。おばあちゃんの話を出すと、顔色が変わった。「去年、死んだんや」と。僕もショックで、そのまま帰ろうとしたら、「なんぼや?」と聞かれ、「おばあさんには、千円頂きました」と言うと、「それでは足りんやろう」と3千円出してくださった。ありがたい御縁です。
どこの商店街も高齢化と不景気で大変だ。そんな中で、「教師が手弁当でやっている」という事に共感して応援してくださる人たちがたくさんいる。そんな事も子どもたちに語りながら、大会を成功させたい。
五色百人一首をご存知?
「これやこの〜ゆくもかえるもわかれては〜しるもしらぬも逢坂の関」。ご存知小倉百人一首。藤原定家が、奈良時代から鎌倉時代までの名歌百首を選んだもの。江戸時代になって、かるたとして庶民に流行し、現在まで長く日本の伝統文化として生き続けている。
毎年、冬休み前になると各中学・高校では、百首を印刷したプリントが渡される。「覚えられるだけ覚えて来なさい。休み明けの実力テストの20点分にします。その後、学年でかるた大会をします」。こんな事が平気で行われている。私自身、泉大津高校や八尾の中学校で講師をしていた時に、やはり同じ事をしていた。
国語好きで、和歌に興味のある一部の生徒を除いては悪評であった。そして、小学校教師になり、「五色(ごしょく)百人一首」に出会った。内容は小倉百人一首と同じだが、20枚ずつ五色に分かれているのが特長。
初めて教室で使ったのが、今から7年前の6年生。一試合3分程で済むので、毎日できる。子どもたちは、勝った負けたのゲームとして楽しみながらいつの間にか、クラス全員が百首を覚えていた。
その後、中学、高校生になった卒業生たちから年賀状が届く。「先生の言っていた通りに冬休みの宿題に出ました。すごく懐かしくて、札を読み返しています」。
そして、自ら「五色百人一首協会」の理事となり、大阪市内大会を企画運営するようになった。
今年は、3月12日(日)に、大阪市平野区の大念仏寺で開催する。大相撲春場所の東部屋が寝泊まりしているお寺でもあり、優勝者には高見盛関の手形色紙を頂ける事になった。
参加資格は、幼児から中学生まで。他府県からも可。
中学校で出前授業
「小中連携」「小中一貫」という言葉が、公立学校でも当たり前に話題になる時代になった。
具体的な動きとして、6年生のクラブ体験は多くの学校で行われている。
本校では次のような活動が続いている。
ALTという外国人講師は、定期テスト中は仕事がないので、小学校に来て英語活動に参加してもらう。
専門性を生かして、体育の先生にサッカーやバスケットボールの指導をしてもらう。
中学校の美術室に行って、陶芸の指導を受け、実際に湯飲みを焼く。
そんな中で、私も中学校の土曜参観で「出前授業」をさせてもらった。
中学校から来てもらうばかりが連携ではない。小学校からも行かな!と白羽の矢が立った。
テーマは「進路選択」。講座は70分。内容は「世界にあこがれ教師をめざした男の青春放浪記」で、まさしく「旅は道づれ青春旅」そのもの。
いくつもの講座(中学校の先生が得意分野で授業する)の中で、糸井を選んだのは15人。そして、保護者の参観者が20人。今のクラス(3年生)の親子連れの姿も見えた。
4歳のころ三輪車で旅(迷子)に出かけた話から、サイクリングに目覚めた少年時代。アルバイト、柔道部、自転車旅行、受験勉強、浪人・・・そんな高校時代にスポットを当てて話した。
もちろんアメリカやインドや中南米で命の危険にさらされたことも。今回で2年目になる出前授業。かつての教え子に再び旅の話をするのは懐かしい。思春期青春期に入った少年少女たちとの再会を来年も楽しみにしている。
35年ぶりの万博へ.2
愛・地球博について2回目の連載ですが、1か月たつと、はるか昔のことのように思えます。
35年前の大阪万博が遠いおとぎ話に思えるのも当然のことでしょう。「大阪」で3年生だった父と、「愛知」で3年生の息子のお話です。
記憶のかなたに、鮮明に覚えていることは、いろんな外国の人にサインをしてもらったことです。
今回は、その思い出をよみがえらせ、また、息子たちに世界に出会わせるために、「サインめぐり」をしました。
3歳の娘がより積極的でした。「ハロー、エックスキューズミー、サインプリーズ」と言って飛び込んで行きます。こちらは遠くから見ていて、サインをしてもらい始めたら、近付いて、記念写真をお願いします。これを何か国も続けました。
企業パビリオンに何時間も並ぶことはほとんどしませんでした。それよりも何よりも、「万国博覧会」は世界中の国が来ているのです。日本に居ながらにして世界旅行を楽しめると考えたら安いものです。
次のチャレンジは、外国語ビデオ集めです。
「こんにちは、私の名前は○○です。お会いできてうれしいです」を自分の言語と英語と日本語で言ってもらい、それをビデオに撮ります。
ドイツ・クロアチア・カンボジア・ヨルダン・南アフリカ・ナイジェリア・シンガポール・・・と20か国以上の人たちを撮りました。これは、「国際理解教育」用の自主教材として活用します。
ベンチに座っている外国人を見付けては、息子たちが、「あそこにいてはんで」と教えてくれます。「サインプリーズ」と例のごとくに走らせて、その後から親父が、ビデオのお願いに行く。
4回合計11日訪ねた「愛・地球博」での糸井ファミリーの思い出です。
35年ぶりの万博へ.1
愛地球博が閉幕した。
この間、春休み、ゴールデンウィーク、夏休み、閉幕の連休と4回足を運んだ。延べ10日間も通ったことになる。
誰からも「どうして?」と聞かれる。その理由は、「そこに世界があるから」「世界がそこにあるから」とでも言うべきか。
1970年、大阪万博。僕は、小学校3年生だった。母に手を引かれ、妹の手をつないで人混みを歩いていたのを覚えている。初めて、「動く歩道」を歩いた。2時間以上並んで、「月の石」を見た。夕方になると「光の木」がまぶしく輝いていた。
そんな断片的な記憶の中で、鮮明に覚えていることがある。
アフガニスタン館で、ターバンを巻いたヒゲのおじさんにサインをしてもらった。次に水辺で遊んでいて、そのパンフレットをぬらしてしまい、サインが水でにじんで見えなくなってしまったのだ。
その時、子どもながらに、大きくなったらアフガニスタンに行って、もう一度、サインをしてもらおうと思ったのである。世界30か国を旅した今も、まだその夢は実現していない。
その3年生も、父となり、35年ぶりに2回目の万博がやってきた。
息子が3年生。息子の行動を見ていると、タイムスリップしたようで、ひたすら懐かしい。
世界放浪中にソウルで出会い、ニューヨークで再会した妻にとっても、この万博にかける思いはひとしおだったろう。
しばらく、愛知万博と家族の動きを振り返ってみたい。
カンボジア子どもの家.6
自ら訪ねた「カンボジアこどもの家」と日本の自分のクラスをつなげるにはどうすればいいかを考えていた。
帰国して3学期。6年生は、「平和学習」の総まとめに入ろうとしていた。子どもたちは1学期から地雷の学習もしてきた。広島修学旅行に向けてさまざまな歴史も学んできた。しかし、どこか「他人事」なのだ。
世界の「今」、そして、「世界」にいる同じ年の子どもたちとつなげたかった。学年集会を開き、自分が撮って来た写真を見せ、ビデオを見せて、熱く語った。「先生がホンマに行くとは思えへんかった」と、子どもたちの目は輝いた。それでもまだ足りない。やはりホンモノの声がいる。栗本英世氏(カンボジアこどもの家主宰者)の帰国情報を聞き、無理に日程を組んでもらって学校に来てもらった。
栗本さんが自分で掘って来た地雷を手に取り、瀕死の状態で助けられて元気になった少女(私が実際に会ってきた)の映像を見て、自分たちの知らない世界に出会った。
栗本さんの別れの言葉は、「自分たちに何ができるか、先生と一緒に考えてください」だった。子どもたちは「井戸を贈ろう」と声を上げた。放課後、街頭募金をすることになった。警察署に出かけ、道路使用許可をとった。
そして、卒業式を間近に控えた3月のある日。子どもたちは、自分たちの作った募金箱をかかえて、駅前に、商店街に、スーパーの前に分かれて行った。普段授業中、蚊の鳴くような声の子が、大きな声で叫んでいる。「カンボジアに井戸を贈りたい」という心からの願いと叫びだった。お金はいくらでもいいと思った。今、この子たちは、カンボジアの子どもたちとつながろうとしているのだから。
そして、募金総額は井戸1本10万円の目標に達した。総合学習実行委員の最後の仕事は、郵便局に行って、「カンボジアこどもの家」の口座に振り込むこと。栗本さんからのお礼状は、中学校の入学式の祝電として届けられた。
この子たちの誰かが、将来、自分たちが贈った井戸を確かめに行くことだろう。
カンボジア子どもの家.5
冬休みに「カンボジアこどもの家」スタディーツアーに参加した。単身カンボジアに移り住み、寺子屋運動を展開している「ひとりNGO」栗本英世氏に引率してもらう。
1月のカンボジアは乾季で全く雨が降らない。地雷原を切り開いて新しい村がどんどんできているが、井戸もなく、雨季にたまった(池を掘ってためた)水をくんで生活している。
われわれの食事も例外ではなく、三食お米のご飯を頂いたが、すべて池の水での煮炊きである。煮沸しているので、下痢にはならなかった。
連日、あちこちの村の寺子屋を訪ねた。村から村へは車で小一時間。運転手が足りない時は、左ハンドルに慣れている(アメリカ生活が長かった)私が、運転することになる。デコボコの道を砂煙をあげて左右に穴を避けながら蛇行運転する。
バンスナオ村に到着した。井戸が一つだけあった。その井戸は、10mほどの深さの手掘りの井戸で、底に水がにじみ出るだけで、ほとんど枯れかけていた。何分も待って牛乳瓶に1本くらいがやっとの量。それを我慢強く繰り返しくんでいるのは村の子どもたちだった。
そして、寺子屋を見学した。子どもたちの将来の夢を聞くと、「お医者さん」と「学校の先生」だった。「貧しい人を助けたいから」と真っすぐに答える少年少女たちの瞳は、普段日本の教室で見ている子どもたちとは違うまぶしさがあった。
先生も、国境のカジノでウェイトレスをしていたという女の先生。「給料は10分の1になったけど、子どもたちが私を必要としてくれるので、今の暮らしに満足している」と言う。
もう一人の男の先生は、元兵士で、内戦を戦ってきた人だ。もの静かに「もっと勉強したい。できることなら大学で科学の研究がしたい」と言っていた。
貧困ゆえに人身売買が公然と行われているカンボジア。貧しさと教育の低さが、無抵抗な子どもたちを犠牲にする。栗本さんたちは、子どもの人権と生活を守るために、識字率を高め、誰もが基礎教育を受けられるようにと、地道な寺子屋活動を続けている。
そんな「カンボジアこどもの家」と日本の自分のクラスをつなげるにはどうすればいいかを考えていた。
カンボジア子どもの家.4
前回、「靴を寄付する」ことで、子どもたちを死に至らしめる話を書いた。
荒れ地で裸足はかわいそうだという、一方的な善意が、子どもたちの生きる力を奪ってしまうのである。それと同じことが国家的に行われているのがカンボジアの国である。
援助は誰のためにあるのか。世界中から援助金が送られて来る。地雷除去のため、国作りのため。売る資源もない。物を作る工場もない。カンボジアには産業がほとんどない。
政府は、援助金を使って、設備投資しようともしない。自分たちが高級外車を乗り回し、貧富の格差を増大させているという。
国境の町・ポイペットは、その象徴だった。ありとあらゆる日常生活物資、野菜からガソリンまで、すべてタイから運ばれて来る。
その上、物資輸送のため、首都プノンペンに向けて「アジアハイウェイ」の整備が急ピッチで進められている。せっかく、地雷原を取り除いて開拓村を作ったのに、道路拡張のために強制立ち退きさせられる。
その上、国境緩衝地帯には「カジノ」が林立し、タイの成り金や外国人客でにぎわっている。
皆が皆貧しければ、肩寄せ合って、助け合って生きていける。しかし、これほどの貧富の差を目の当たりに見せ付けられたら、やりきれないだろう。先日の、カンボジア国際学校襲撃事件の背景が見えてくる。
そんな中でも希望はある。井戸も枯れかけた開拓村の寺子屋を訪ねた時、カジノでウェイトレスをしていたという先生に出会った。
「給料は何倍ももらっていたけど、今の暮らしに満足している。目の前に、私を必要としている子どもたちがいるから」と。
次回は、寺子屋の子どもたち特集。お楽しみに。
カンボジア子どもの家.3
「カンボジアこどもの家」代表の栗本英世氏は単身移り住み、寺子屋運動を展開している。その栗本氏の日本での講演会に参加した。その中で、「相手の立場に立ってはいけない」というアクの強いメッセージがあった。
相手の立場に立ったつもりで、こちらの価値観を押し付けるだけ。傲慢で不遜で、相手の自尊感情を否定することになる。
例えば「物を恵んではいけない」と言う。援助することによって相手が生活できなくなっている。
アンコールワットの遺跡で物乞いしている少年がいる。日本人観光客は、かわいそうだからと小銭を恵む。日本的な感覚の小銭が、少年にとっては一日で親の年収分稼げるのである。
親は働かなくなる。そのうち、「障害」がある方がもうかるので、子どもの足を切ったり、目をつぶしたりする者も現れる。
その上、物乞いさせるために子どもを買ってくる者までいるという。栗本さんは、村の子どもたちが人身売買で売られていくのを何とか食い止めようと寺子屋(識字)運動を始めたという。
靴の話が印象的だった。荒れ地で裸足で生活する子どもたちを見て、かわいそうだと思った日本人が、一人ひとりに靴を贈ったという。子どもたちは、大切に履いたけれども、一年とたたないうちに靴はすり切れ、穴が開き、履けなくなる。一年間、靴に守られた足の裏は、以前のような固い皮ではなくなっていた。
再び、荒れ地を踏みしめた足からは、血が流れ、何人かは破傷風になって死んでしまったという。その日本人の純粋な善意が子どもたちを殺してしまったのである。
「相手の立場に立ってはいけない」。栗本さんの怒りにも似たアクの強さが少し理解できたような気がした。
「では、いったい私たちはどうすればいいのか?」。
私の質問に対して、栗本氏は、「一緒に村へ行って考えませんか」。
僕の生き方に似ているような気がした。カンボジア行きをすぐに決めた。
カンボジア子どもの家.2
冬休み、「カンボジアこどもの家スタディーツアー」に参加した。5泊6日で13万円のツアー。今回は、10人ほどの教員有志で、ツアーを成立させた。私費海外研修というわけである。
タイのバンコクから、陸路カンボジア国境へ。タイから物資を運び込む荷車の列。物乞いの子どもたち。そんな民衆を見下ろすかのように、国境緩衝地帯に林立するカジノの群れ。外務省の危険区域に指定されている国境の町・ポイペットは、一人で越えるには気合いが要るなあと、かつての旅を思い出していた。
同行する「こどもの家」の主宰者・栗本英世氏と日本人ボランティアの運転する車に分乗して、さっさと国境を後にした。「カンボジアこどもの家(CCホーム)」には、できたばかりの研修者用宿舎があった。「できたばかり」というよりも、栗本さんが中心になって、手作りで「作ったばかり」の建物である。
かつての地雷原の中にあったというだけあって、辺りは荒涼とした大地。高木は生えていない。戦乱時代にすべて切り取られたという。
何よりも驚いたのは、水道の蛇口をひねって出てきたのは、近くの池から引いた水だという。ここには、井戸もない。カンボジアは、雨期と乾期がはっきりとしていて、雨期にたまった池の水を、乾期に使っているのである。
そんな大地の運動場で、子どもたちは裸足またはスリッパでサッカーをしていた。それを見たら、誰でも靴をプレゼントしたくなるだろう。しかし、靴をあげてはいけないと栗本さんが熱く語り始めた。靴を贈ることで、子どもたちを死に至らしめることもあるという。
援助とは何か。恵むという行為。相手の立場に立ったつもりで、人を傷つけてしまうこと。現地の村で、人々と交流しながら、栗本さんから多くのことを学んだ。次号では、「靴を贈る行為」から、援助について考えてみたい。
カンボジア子どもの家.1
冬休み、カンボジアに行って来ました。 カンボジアと言えば、アンコールワット。そして、地雷を思い浮かべる方が多いことでしょう。
栗本英世という53歳の日本人男性が単身、カンボジアの村に10年近く住み込み、地雷原の開拓村で、自ら地雷を除去しながら、寺子屋を作り広げています。
その人の講演会を昨年聞きました。
「こちらの思い込みで、勝手に援助してはいけない。お金や物を恵んではいけない。」と強く言われて、「では、どうすればいいのですか。」と質問する私に対して、「そこへ行って、実際に見て、出会って、交流して、その人たちが何を求めているか聞けばいいんです。一緒に行きませんか。」と誘われました。
そして、この冬休み、大阪の教員11人でスタディーツアーに出かけました。タイのバンコクから、陸路、国境へ。国境には、「こどもの家」に住み込む日本人ボランティアスタッフが迎えに来てくれていました。舗装どころか、ボコボコの穴だらけの道。周りは草ぼうぼうの荒涼たる大地。山も木も川もありません。その原っぱには地雷が残っているというのです。
世界中を旅してきたつもりの私ですが、地雷原を見渡すのは初めてでした。 そこに生きる子どもたちとの出会いを紹介していきます。どうぞ、ご期待ください。
「握る」と「持つ」は違います。バットも竹刀もしっかり握るためには、親指が反対側にきます。鉄棒やうんていをする時に、親指を人さし指の隣にする子がたくさんいます。
これを「にゃんこの手」と呼びます。包丁やピアノの時の手で、鉄棒を握っては力が入りません。
変化のある繰り返し
今、2年生の体育では、毎時間、逆上がりばかりしています。え!飽きないの?いやがらないの?
子どもたちは、同じことを続けると飽きます。一方で「繰り返し」も好きです。同じ本を何度も読んで、とせがむように。この相反する二つが子どもの特質でしょう。
そこで、私は授業において「変化のある繰り返し」を意識しています。場を変え、やりかたを変え、変化をつけていきます。少しの説明とたくさんの活動。子どもは体で覚えていきます。
ジャングルジムで逆上がり。うんていで逆上がり。腕が伸びてしまう子は、お尻を支えて補助します。そして、鉄棒で補助台を使って逆上がり。そして、補助台なし、補助なしの逆上がりへ。
NHK「みんなの歌」を見ていたら、「さかあがりができなくってもいいじゃないか」という歌詞がありました。ぼくには、「九九ができなくってもいいじゃないか」「漢字が書けなくてもいいじゃないか」と聞こえてしまいます。「わからないことがわかるようになるのが学校」「できないことができるようになるのが学校」、だから逆上がりも基礎学力だと考えています。いかに「学力保障」していくか。永遠の課題です。
35歳で小学校の教師になって、いきなり6年生の担任になった。6年前だ。
校長先生から、「初めの3日間が勝負やで。ゴールデンウィークまで軌道に乗ったら1年間は大丈夫や」と言われた。私は「最初の3日間」の持つ意味に何も気付いていなかった。単なる心構えだと思っていた。
どこの学校、いつの時代でも新年度、新学期、新しいクラス、新しい先生との出会いは新鮮だ。子どもたちは期待に胸ふくらませて先生の話をじっと聞いている。 「なんや、なかなか、ええ子らやん」と、思ってしまう。始めに何を話したかも覚えていない。全員が集中して、教師の言動に注目しているこの「3日間」に、何をしたかを覚えていないのだ。
クラスがほころび始めるのは当たり前だ。一度、崩れ始めると、その流れを止めることは容易ではない。
今なら分かる。この出会いの3日間の大切さを。今なら、春休みにノートを用意して、シナリオを作る。今年も作った。クラス替えして、30人が40人に増えた2年生に向かって話すこと、すること、させること。
どんなクラスにしたいのか(間違いを恐れない)。先生はどんな時に叱るのか(危険、人権、3度注意しても聞かない時)。持ち物の確認(赤鉛筆、ミニ定規、下敷きを使うことの意味)、そして授業。
始業式に配る新しい国語の教科書でいきなり音読の練習に入る。クラス全員の声がそろうことの素晴らしさを体感する。
とりあえず自己紹介。とりあえず席替え。とりあえずプリント配り…。シナリオなき「とりあえず」で、1年間「とりかえしのつかない」ことになることを心ある教師はみんな知っている。
評価とは、認めること。認めるとは、ほめること。
35歳で小学校の教師になって、いきなり6年生の担任になった。教室に入ったら、3人の児童がいなかった。家庭的に複雑な問題を抱えていて、エスケープや怠学を繰り返す子がいるとは聞いていた。3人が申し合わせて、新担任を困らせるために隠れているのではなさそうだ。
私は初日から教室に戻らない子を一生懸命に探し回った。「九十九匹を置いて迷える一匹の子羊を探す」聖書の気分で走り回っていた。 「九十九匹」はそこにいるものだと思い込んでいた。
私は勝手に信じていたのだ。教室でまじめに勉強してくれている多くの子を「あたりまえ」だと思っていた。
今なら分かる。その子たちに甘えていたことさえ気が付かない愚かな自分を。なぜ、「君たちががんばってくれるから、先生はあの子を探しに行けるんだ。君らのおかげだ。ありがとう」と感謝の気持ちを伝えなかったのだろう。クラス全体を敵に回していくことになるのに。
そして夏のある日。5時間目の水泳の授業を前に、まじめな女子のグループが掃除をサボっていなくなった。トイレで着替えていたらしく、何食わぬ 顔で現れた。私は裏切られたと思い、感情的に怒った。「なぜ私たちはちょっとサボっただけで、こんなに叱られるの。あの子たちは、いつもサボっているのに、逆に先生に心配されて」と。本人たちが言ったのではない。その夜、保護者が学校を訪ねて来られて、聞いた言葉である。
それ以来、彼女たちが遠くなった。学級崩壊への拍車がかかった。
35歳で教師になった。それまで10年間、日本を出たり入ったり、世界をほっつき歩いていた。それなりの濃い人生経験も積んだつもりだ。そんな男が、小学校の先生になった。さぞかし、ダイナミックな頼もしい教師なのだろうと、誰もが想像する。
しかし、初めて受け持った6年生相手に、振りまわされっぱなしで手も足も出なかった。そんな情けない新任の時代を振り返りながら、未熟な自分をえぐり出して、学級崩壊の「方程式」を分析してみたい。
鉄則1 ○○っぱなし
書かせっぱなし。活動させっぱなし。やらせっぱなし。指導しっぱなしで評価なし。 評価のない「とりあえず」指導は、指導とはいえない。 評価とは認めることであり、認めることはほめることである。そんなことさえ、できていなかった。
子どもたちは、期待を裏切られ、教師を信用しなくなると、自暴自棄になる。
まじめな女の子の母親に涙ながらに訴えられた。「誰も宿題やりたくてやっているわけではないんです。あの子も、しんどい時もあります。でも、やらなあかんと思って一生懸命にやっていっても先生は何も言ってくれない。宿題をやってこない子の名前をチェックするだけで、怒りもしないって。あの子がだんだん無気力になっていくのが分かるんです」。
そんな親の声にも、戸惑いながら謝罪するのみで、具体的な評価行動を示せず結局、保護者の信頼も裏切っていくことになる。
学級崩壊の物語は、まだ始まったばかりだ。
来年度から、学校も完全週休二日制になり、「総合的な学習」も本格的に始まる。 この新しいカリキュラムは、小学校3年生以上が、週3時間の配当で、情報・国際理解・環境・福祉など、今までの国語や算数の教科の枠を越えた新しい課題を学ぶ時間である。一方で、子ども自らの興味や関心に軸をおいた、学ぶ力・生きる力を身につける時間でもある。 教える教師にとっては、教科に縛られずに主体性を発揮できる場ではあるが、教科書やお手本がないだけに、試行錯誤の連続であることは確かだ。 1年生には「総合…」の時間はないが、その代わりに「生活」がある。小学校低学年の理科と社会が合わさって生活科ができて10年以上になる。 「がっこうではたらくひとたち」では、栄養士さんや管理作業員さんたちに教室に来てもらって話を聞いて絵に描いたり、「あきをみつけよう」では、遠足で拾ったどんぐりや木の葉で工作をしたり、いろいろな活動が一緒になっている。そんな中で、本校では「ちいきたんけん」がある。子どもたちは、自分たちの住んでいる地域をグループで探検?して、その成果 を発表するのである。子どもたちが選んだのは、お寺・駄菓子屋・公園3つ・花屋・ケーキ屋・コロッケ屋の8か所。3人から4人ずつのグループに分かれて、授業中に町に散らばるのである。以前は考えられなかったことだ。もちろん、安全面 を考えてボランティアのお母さん方に連れ添っていただいた。 子どもたちは、自分たちで考えた役割(あいさつする人・インタビューする人・メモする人など)を一生懸命にこなしていた。公園で出会ったお年寄りの方から「小さい子どもに声をかけられたのは初めてでとても感動した」とお礼のお手紙が学校に届いたりもした。 少子化の時代、子どもたちは地域の宝である。次の時代を担い支えていく子どもたちが、まず自分たちの住んでいる地域に目を向け、そこで直接、いろいろな「ひと・もの・こと」に出会っていくことはとても大切なことだと思う。「生活科」の原点を見たような活動だった。
運動会も終わり、学級ゲームとして百人一首を始めた。もちろん五色百人一首を使う。この「五色百人一首」が実は、1年生の実践の中から生まれてきたことは、あまり知られていない。 五色百人一首の大きな特長は、「?百枚の札が20枚ずつ五色に分かれていること」です。そして、「?取り札の裏に上の句が書かれていること」です。この2つを、東京の小学校長小島光雄氏が若き日に考案されたという。 小島先生は、家族で百人一首を楽しむ環境で育ち、中学生のときに、百首を覚える方法を考え付いたそうだ。取り札の裏に4Bの鉛筆で上の句を書いていったら、あっという間に百首覚えられたという(特長?の誕生)。 小学校の教員になった小島先生は、その技を子どもたちに伝えていこうとする。しかし、百首を読む時間があまりにもかかりすぎるため、思うように実践できなかった。 そして、1980年。小島先生は、1年生の担任になる。「ひらがなが読めたら百人一首もできるはずだ」と考えて、取り札の裏に上の句を書いた紙を貼らせて、それを20枚ずつ持たせました(特長?の誕生)。これで、短い時間で百人一首を楽しむことができるようになった。1か月後に次の20枚を作り、5か月後には五色の百人一首が完成したというのである。 その小島校長のもとで勤めていた向山洋一という若い教員が、大借金をして商品化したものが「五色百人一首」である。まだ市販されるまでに至っていないが、優れた教材であることは一度使ってみるとわかる。 「五色百人一首」は1年生でもできる、と言われているが、もともと「1年生のために!」開発された教材なのだ。その原点にたちかえり、自信をもって実践していきたいものである。 なお五色百人一首に関するお問い合わせは、東京教育技術研究所?03・5702・6162まで) 関連図書として小宮孝之著『授業で使える「五色百人一首」小話集』(明治図書)もおすすめ。
入学式の次の日に漢字を教えた。 よこ、たて、よこ。 土という漢字は、土が盛り上がった形からできたという説と、土から植物の芽が出て双葉を開いた形からできたという説がある。子どもたちに話すのには、「芽」に限る。 学級通信の題を「土」とした。「教室を、子どもたちが芽を出し、葉を出し、すくすく成長するよく肥えた土にしたい」と第1号に書いた。 漢字指導の大家に石井勲という先生がいる。『石井式漢字教育革命』(グリーンアロー出版社)の中で、次の3点を指摘されている。 1.どうして漢字の前にひらがなを教えるのか。 2.どうして小学校から漢字を教えるのか。 3.どうして書くのと読むのを同時に教えるのか。 漢字は絵として認知しやすいが、仮名文字は抽象度が高くて、覚えにくい。乳幼児はどんどん漢字を読めるようになる。読み書きを小学校に入ってから同時に教えるのは子どもの発達段階を考えていない、という趣旨である。 私も自分の経験上、納得するところが多いので、今年の1年生には、「漢字読み先習い」で進めている。もちろん学年4クラスの打ち合わせと合意のもとに。 まず、名札(座席表・机・ロッカー)を漢字で表記して、クラスのお友だちの名前を漢字で読めるようにした。これは毎日の慣れなのですぐに覚えた。 公文式の漢字カードを使って、目・口・耳・鼻・顔・頭・歯もすぐに覚えた。 「雨」の成り立ちを語った時はけっこうドラマチックだった。上の横棒は雲をあらわし、点々は雨の粒をあらわし、3本の縦線でザーザー降っている。 100回書かせて覚えさせるのはただの浪費作業。目で覚えて読めるようになってから、成り立ちを知って感動して、自然と身についていくような漢字指導を心掛けていきたい。
先日、NHKBSで「教師を問う」という番組を見た。ある中学校の教師が「教師はそれぞれの個性があり、教え方の切磋琢磨はしない。お互いが尊重し合っているから」というような発言をしているのに驚いた。こんなことが職業人として許される世界は、ほかではありえない。まして、大学の教員養成課程で、まともな(実践的な)教え方を学んできていない以上、現場に入ってから身につけていくしかない。 かつては、徒弟制度に似たシステムが各学校内に存在していた。20代の若い教師がいて、バリバリの30代と一杯飲んだりしながら語り合い、40代のベテランが話に加わり…といった具合に年功序列の経験伝授があった。「教わるもんじゃない、盗め」とも言われてきた。 それが少子化の影響で、若い教師が極端に少なく、横のつながりもなくなり、平均年齢が40歳を越える現場では、かつてのような徒弟制度的なシステムも消えてしまった。それに輪をかけるように「先生の言うことは聞くもんだ」といった暗黙の社会規範もなくなって、現在の学級崩壊も進行しているように私は思う。 チョークの持ち方。自分の立つ位置、話し方。問い方。一つひとつに職業人としての技術がある。私は35歳で正式に教壇に立ち(教諭になり)、世界放浪については語れるが、分数をどう教えるのか、本読みには何通 りの方法があるのか、絵の具の配色の仕方、跳び箱の跳ばせ方…何一つ身につけてはいなかった。 中学や高校で国語の講師をして、世界を語らせればインパクト